ボーイミーツガールにさよなら
大きな瞳と視線が交差する。春一番が吹き、視界が淡い桜色で染まる。僕は思わず目を細める。その景色のあまりのまばゆさに。
彼女は、風にあおられた髪を抑えるようにして、桜並木に浮かび上がる。まるでそれ以外がピントからずれてしまったかのように。彼女しか見えない。見えなくなる。
それはまるで、なにかがはじまるような予感。不思議な胸の高まり。スパンコールが僕らを祝福するように、きらめく桜吹雪が降り注ぐ。
そして無骨で、ところどころ錆びた一台のダンプカー。それが少女を横なぎに轢く。
なにかが始まりそうな予感は、視界一杯の赤色で終わりを告げた。
仏壇の前に座る。
棒を摘んで、りんの表面を撫でるように叩く。
僕は小さく息を吐いて、手を合わせる。
母さん。おはよう。
母さんが死んで、もうすぐ三年だね。
あれから色んなことがありました。舞は部活に入ったよ。バンドをやるそうだから、そのうちギターを買ってやるつもり。
父さんは相変わらずだけど、前ほど仕事を入れなくなったよ。色々大変だけど、みんななんとかやってる。
それから……そう。今、僕は幽霊に憑りつかれています。
「マキくん!」
僕は振り向きざまにじろりと睨みつける。
「なんだよ、祭」
そいつは、僕の背後で呑気に浮遊していた。思うに、足が無いだけでは幽霊の証明にはならない。だがこいつは浮いていた。浮いていたらそれはもう幽霊だと思う。
こいつは芥田祭。僕が目撃した轢き逃げ事件の被害者である。そいつが事故から一週間経った今朝、僕の前に現れてこう言った。「マキくん、復讐を手伝ってほしい」と。なんなら、今も言ってる。
「ねえねえ、いいじゃん。復讐手伝ってよ」
「ひっつくな!」
肩を抱いてくる祭を振り払うと、襖が開く。
「……兄ちゃんなにしてるの?」
妹から見て、僕はさぞかしまぬな恰好をしていたに違いない。
「そもそも、お前はなんなんだよ」
通学路。傍らに浮遊する少女を睨みつける。
「幽霊だよ。復讐に燃える幽霊さ」
「そうか。すごいな。それがなんで、僕なんかに復讐を頼む。生前からの知り合いってわけでもない。ただの事件の目撃者ってだけ。そりゃ気の毒には思うが……」
「あんたも感じたでしょ。私と目が合った瞬間」
「……」
「なにかがはじまりそうな予感。これしかないという確信」
「さあな」
「ふん、答えなくてもわかる。あれは運命だった。私たちは赤い糸で結ばれている。だから、あんたは私の復讐を手伝う必要がある」
「悪霊か? お前……」
「どうだろ? 自覚ないけど」
「警察が捕まえたら、殺すなりなんなりすればいいだろ」
「それじゃあ意味がない。自分で探して、見つけ出さなきゃ」
僕が手伝うのはいいのかよ。
「とにかく、僕にそんなことをやっている暇は……」
その時、眩暈を感じて地面に膝をつく。
「……?」
「お、はじまったね」
「なにをした? お前……」
「私はなにもしてないよ。よくあるじゃん。仲睦まじい夫婦の片割れが死んで、もう片方が後を追うように死ぬって話」
「まさか」
「そう、赤い糸で結ばれたもの同士は死すらも惹かれあう。そうなる前に私を成仏させたいなら、復讐を手伝うしかない」
「やっぱりお前、悪霊だ」
「そりゃどうも」
祭は肩をすくめる。僕は思わず嘆息する。どうやらやるしかない。
「犯人捕まえたら、さっさと成仏しろよ」
教室。机の上に開かれたノートを睨みつける。背後から祭が覗き込んでくる。
「なにそれ?」
「犯人捜しだよ。ダンプカーの特徴を書き出してる……といっても、僕は横からしか見てない。祭から見て、どうだった」
「轢かれた側の視点から?」
「轢かれた側の視点から」
「んん、そうだな」
祭はペンを持つと、
「こんなのが、ぼんやりと見えた」
ノートに三角形を三つ書く。三角形はそれぞれ頂点を向かい合うようにしており、例えるなら放射線のハザードシンボルに似ていた。
「なんだ? これは」
「さあ……」
「もっとこう、顔とか見てないのか。顔とか」
「悪かったね。次死ぬ機会があったら注意しておくよ」
そう言って祭はペンをくるりと回す。
「お、お前! なんだ今の?!」
声がして顔をあげる。友人の驚いた顔がそこにあった。
「ひ、菱内?」
「今、シャーペンが浮いてなかったか?」
心臓が跳ね上がる。祭は当然のようにペンを持ち上げていたが、そうだ。彼女の存在は他の人には見えない。僕はせいいっぱいのすまし顔を作る。
「何を言ってるんだお前? そんなわけないだろ……」
「そ、そうか。俺、疲れてるのかな」
「ああそうだ。顔でも洗ってこい」
すごすごと教室を出る菱内の背中を見送りながら、僕は小さく息を吐く。そうか、祭は実体に触れることができるのか。ならば、
「逆に物体をすり抜けることはできるのか?」
「できるよ。ほら」
そういって校舎の外と内を行ったり来たりする。
「おお、すごい」
「エッヘッヘ。そうでしょそうでしょ」
「ああ、とてもすごい」
というわけで警察署。
「なんて?」
「だから、警察署に忍び込んで捜査資料をパクってこい」
「ええ……」
「あのな、素人の捜査がプロを凌駕できるわけないだろ。だから大半はプロに任せて、最後だけ手柄を横取りするのが一番だ。わかったらさっさと行ってこい」
「幽霊使いが荒い!」
ぶつくさ言いながら警察署へと入ってゆく。一時間後、捜査資料を抱えた祭が帰ってきた。
「どうだった?」
「だいぶ騒ぎになりました」
「そうか。まあ怪談騒ぎのひとつくらい問題にならないだろう」
祭から受け取った捜査資料をざっと眺める。
「ふむ」
「なにかわかった?」
「まず、ダンプカーなんて大型車両を持ってる所は限られる。だから警察が犯人を見つけるのにそう時間はかからないだろうと思っていた。だが捜査資料をみる限り、まだ犯人を特定できていない。だが犯人を特定できていないことが、犯人を絞る要素になる。犯人は事故車両を隠し通せるほどの土地と力を持っていて、同時にダンプカーを所持している組織でなければいけない。ここには、その一覧が載っているよ」
「じゃあ、そこを探していけば」
「言っただろ。大半は警察に任せると。一人と一幽霊とじゃ、どうあがいても警察のマンパワーには敵わない」
「ええー、じゃあ私たちは何するってのさ」
「のんびり楽しく過ごそうぜ。じゃあ、これ返してきてくれ」
指紋を綺麗に拭き取った捜査資料を渡す。
それから僕と祭はなんてことのない時間を過ごした。失ってしまった時間を補うように。死んでしまった少女への同情だろうか? いや違う。これはきっと僕が──。
「マキくん」
捜査資料から顔をあげる。
「どう、なにか進捗があった?」
僕と祭は横並びで歩く。
「だいぶ絞れてきたみたいだよ。復讐の日は近いわけだ」
「そう。それは楽しみだね」
祭は笑う。復讐したいのは、それほど彼女は無念だったのだろう。生きたかったのだろう。やるせない気分になる。
「マキくん。明日はどうする?」
「悪い。明日は用事がある」
「用事?」
「母さんの墓参りなんだ」
「そう。じゃあ、適当に街でもぶらついてるよ」
ふと、気になったことを聞いてみる。
「そういえばお前、他の幽霊は見えるのか?」
「見えないよ。だから、マキくんがいない時は退屈なんだよねー」
「そうか」
「ちょっと? 今の私の貴重なデレだよ?」
もし祭に他の幽霊が見えたなら、それなら……。
「なんでお前は見えるのに、母さんは見えないんだろうな」
「えっ」
「悪い。忘れてくれ」
僕は無意識に衝いて出た言葉を誤魔化すように、足早で彼女の前から去る。
翌朝。家を出ると祭が仁王立ちで待ってた。
「おはよう、マキくん!」
連れ添って歩きながら、小声で話しかける。
「まさか墓参りについてくるのか?」
「いや、それは無理。お寺の中には入れないから」
「どういうことだ」
「さあ、神聖なパワーでもあるのかね?」
「やっぱりお前、悪霊じゃねえか」
「まあいいじゃない、退屈なんだよ一人は。それに、マキくんのことが知りたい」
「あ?」
「ほら、言ってたじゃん。お母さんがどうのこうの」
「……別になんてことのない話だよ。これから母親が死ぬことを直視できずに逃げた。よくある話だ。もう一度会えたら、ちゃんとお別れを言いたいってわけだ。笑えるだろ?」
「そう、じゃあよかったね」
「なにがだよ」
「私とはちゃんとお別れできるじゃない?」
「は?」
「ちゃんとお別れしてよね」
そういって歯を見せて笑う。それがとてもまばゆくて、僕は熱くなった頬を誤魔化すようにそっぽを向いて言う。
「まずは復讐だろ」
煙をくゆらせた線香を墓前に添え、僕は手を合わせる。祭がいるのだから、きっと魂があるのだろうと思える。この思いも届くのだと。だから、あいつのために犯人を見つけてやろう。
「それにしても」
僕は目を開ける。
「こんなところに思わぬヒントが転がっているとはな」
僕が見つめるそれは、確かに犯人を見つける道筋を示していた。もし僕の考えが正しければ、手柄は横取りだ。
思わず笑みが込み上げてくる。謎が解けた高揚感もあるが、それ以外にも理由はあった。早く祭に知らせてあげたい。住職に挨拶している父と妹を横目に境内を出ようとする。
「楽しいことでもあったのかい、少年?」
足を止める。袈裟を着た長髪の男が煙草を吸っていた。住職、じゃないよな。
「見習いさ」男は心を見透かしたように言う。「それよりお前さん、霊に憑りつかれているね?」
「……」
僕は果たして、動揺を顔に出しただろうか? 長髪の男は紫煙を吐き出す。
「別に答えなくていいよ。だが忠告はする。お前さん、このままだと死ぬよ」
「……ご忠告どうも。でも大丈夫ですよ。あいつを成仏させるために僕は」
「復讐を手伝ってる?」
「……っ」
こいつ、本当に心がわかるのか?
「お前さん、案外メルヘンだねえ。運命の赤い糸なんて、存在するわけないじゃないか」
「お前、どこまで……っ」
「赤い糸なんてものは存在しない。ならば、お前さんが死にかけている理由は?」
それは、それは……。
「別に珍しい話でもなんでもないだろ? 悪霊が人を憑り殺すなんてことはさ。まあ、どちらにせよ成仏させなきゃ、お前さんも彼女もろくでもない結末を迎えるぜ」
長髪の男は目を細める。
「人殺しの行く末なんて地獄か刑務所。またはその両方だ」
境内を出ると、祭が笑みを浮かべる。
「おっす。お疲れ」
こいつが俺を殺そうとしている? 本当に? きっと僕は焦燥した顔をしていたに違いない。祭りは心配そうに眉を寄せる。
「大丈夫?」
「ああ。いや……それより犯人がわかった」
彼女の瞳を見据える。
「犯人は菱内家の人間だ」
「なるほど、家紋ねえ」
夕暮れの山道は暗く、スマホの明かりを頼りに歩く。
「ああ、墓石を見てピンときた。祭が見たアレはハザードシンボルじゃなくて、家紋だと」
そして、山道から逸れた見えづらい所にそれはあった。
「ビンゴだな」
それは確かに祭を轢いたダンプカーだった。
「ようやく」
祭が呟く。
「ようやく果たせる」
ああ、そうだね。でも……。
男の言葉が頭を過る。
──人殺しの行く末なんて地獄か刑務所。
「なあ、こんなこと止めないか?」
「ここまで来て?」
祭の言葉はぞっとするほど冷淡だ。
「まさか、今になって私が恋しくなったわけじゃないでしょ?」
「……」
僕は答えない。祭が怪訝そうに眉をひそめる。
「マキ君、まさか」
「せめて、明日にしないか? 今日さ、花火が見れるんだ。祭りがあるんだよ。だから、一緒に」
「……で、デートのお誘い……ですかね?」
「ああ」
僕は頷いた。
「僕と一緒にデートしてくれないか?」
待ち合わせ場所には既に祭がいた。うつむいて髪の先をいじっている。少しは楽しみにしていてくれているのだろうか? だとしたら、嬉しいような、悲しいような。
果たして僕はさよならできるだろうか。
いや、しなければいけないんだ。母さんとはさよならできなかった。せめて、彼女だけは。
僕はハンドルを握りしめる。住職の言葉を思い出す。
幽霊を成仏させるには──
「死んだ状況を再現すること」
大型車両特有のエンジン音が唸る。
ヘッドライトが孤独な少女の影を浮き彫りにする。
「マキ、くん?」
大きく見開かれた瞳と視線が交差する。
君が僕に惹かれたのは真実だろうか?
でも、僕が君に惹かれたのは紛れもない真実だ。
だから、僕は。
「うおおおおおおおおおおおおッ!」
アクセルを踏みぬく。一台の無骨なダンプカーがたった一人の少女を轢く。彼女の四肢は四方八方に散り、それは、真夏に咲く一輪の花火のようで……。
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