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アイドルマスターにおける樋口円香というメタ、あるいは異端

ようやく梅雨が終わる。梅雨が終わったところで夏が来るだけだが、とりあえず外へ出るたびに傘をささなきゃいけない煩わしさからは解放される。だが夏が来るということは水着ガチャが来るということだ。できれば樋口円香は来てほしくないのだけど(なぜならこの前のサポートSSRで石を使い果たしたので)嫌な予感が当たるのがアイドルマスターシャイニーカラーズ。覚悟くらいはしといた方がいいかもだ。

さて、これは個人的意見なのだけど樋口円香はアイドルマスターの中でも異端のアイドルだと思う。異形と言ってもいい。記事冒頭なのであえてややキャッチーなことを言っているが、概ね間違っていないと思う。
思えば今まで樋口円香に鬼ハマりしておきながらちゃんと「樋口円香について」を書いたことがなかったのでここに散文的に記しておこうと思う。
ほぼ自分の考えを整理するための文章なので、あまり身構えずに読んで欲しいです。それと言うまでもないことだけど、本記事は【ギンコ・ビローバ】樋口円香のネタバレを含む。

過去記事

樋口円香の好きなところは色々ある。顔が良いところ、潔癖さ、雰囲気、自己と他者との境界線の引き方、才能、顔が良いところ。等々、様々な要素がパズルのピースみたいに自分の感性にバッチリとハマった形になる。その中でも特に好きな(そして異端である)のが、「プロデューサーのことを本当に嫌悪している」というところだ。
樋口円香と言えばそのエッジの効きすぎたプロデューサーへの態度で逆に甘々な二次創作を大量に発生させたことで有名だ。だが本編の樋口円香は別にそんなこともなく、普通に酷い罵倒を言うし【ギンコ・ビローバ】で見せた感情は憎悪に近いものがあった。
樋口円香がプロデューサーを嫌悪する理由は様々ある。その一つは【UNTITLED】樋口円香の記事で言及した通り、「浅倉透をスカウトした」ことだろう。一種の完結した関係性だった幼馴染四人組はプロデューサーという異物が入り込んだことでノクチルへと変貌する。
樋口円香はシャニマスの中でも特にアイドルに対する動機の薄いアイドルだ。雛菜や小糸がそれぞれ目的や伝えたいことを見つける中、樋口円香は歌になんの想いも込めず、そこに動機も意思もない。ただ周囲の熱に背中を押される形で前へ進んでいる。それ故に他アイドルの持つ熱意や努力に誰よりも敬意を持っており、熱意のない自分がアイドルをし、あまつさえ成功してしまっていることに苦しんでいる。それは潔癖故の自傷行為に近い。
目的の無い樋口円香にとってアイドル活動には到達点がなく、終わりがない。それは無間地獄のような苦しみなのかもしれない。
そんなアイドル活動に樋口円香をスカウトしたのが、他でもないシャニPだ。
幼馴染の関係性になんの変化も望んでいない樋口円香だったが、浅倉をステージの下から見上げないため、その無間地獄に身を投じることになる。その元凶がシャニPなのだ。彼のことを嫌うには十分な理由だろう。
そしてもう一つ樋口円香がシャニPを嫌悪する理由がシャニPの完全無欠さだ。
これはだいぶメタ的な話になるし、実際意図的なのだろうけど、アイドルマスターシャイニーカラーズのシャニPはものすごくデキる人物だ。完璧超人と言っていい。
25人のアイドルを同時にプロデュースしながらそれぞれのアイドルに正面から向き合う誠実さを持ち、熱意を持って仕事をこなす。もちろんミスもするし、自分よりアイドルを優先する危うさもあるが、そんな部分も愛嬌だ。本質的な欠点を持たない(あるいは見せない)存在。それがシャニPだ。
特にアイドルとのコミュニケーションにおいてはシャニPの存在は完全と言ってもいい。メタ的に言ってしまえばアイドルマスターシャイニーカラーズはアイドルとプロデューサーがコミュニケーションをとるゲームであり、パーフェクトコミュニケーションは必然であり親愛度や信頼度がシステムとして存在するのが要因なのだが、とにかくプロデューサーは全てのアイドルの心を掴むほど優しく、愛嬌があり、好かれるような顔立ちをしている。
かくいう私もそんなシャニPが大好きだ。
だがそんな自分もシャニマス初期ではシャニPという存在にかなり不気味なものを感じていた。
初期のシャニPは自我の輪郭が薄く、あまりにも舞台装置めいた完全性を持っていたからだ。
恐らく樋口円香が抱いている嫌悪感は、そこに端を発するに違いない。
もちろん今ではかなり自我の輪郭が浮き彫りとなり、それなりの個性を獲得してかわいいキャラクターとして好かれるようになった。そして樋口円香が出会ったのは、そんな自我が生じた後のシャニPだ。だがやはりシステム上、舞台装置のような完全性はいまだに存在し、客観的に見ているプレイヤーはともかく、同じレイヤーで見ている樋口円香にとって シャニPはかなり不気味な存在に映るに違いない。とくに樋口はロマンチックなリアリストみたいなところがあるので、よりシャニPのような存在は信じられないだろう。
それは、【ギンコ・ビローバ】でのTrueコミュ「銀」での言及からも明らかだ。思えば、樋口円香はシャニPの持つメタ的な完全性に言及したはじめてのアイドルなのかもしれない。

そしてその嫌悪感、あるいは拒否感は、樋口円香の代名詞とも言える罵倒となって出力される。

はっきり言って樋口円香の罵倒はかなり悪意的だ。彼女の罵倒は決して照れ隠しでもじゃれ合いでもなく(そんな時もあるが)、時に明確な悪意をもって出力される。本当はプロデューサーが自分をよく見せようと自己プロデュースするような気質じゃないのは樋口円香もわかっているはずなのだが、それでも罵倒として出力するのはかなり悪意的だ。

では樋口円香がプロデューサーに対する感情は嫌悪のみなのだろうか。もちろん否である。
これは個人的意見だが、G.R.A.D.の時点で樋口円香とプロデューサーの間にはインファナル・アフェア2のアンソニー・ウォンとエリック・ツァン並みの絆と信頼が芽生えていると思う。

左からアンソニー・ウォン、エリック・ツァン

G.R.A.D.ではエッジの効いた罵倒は鳴りを潜め、バディ映画かのようなテンポの良いやりとりを展開する。インファナル・アフェア2のアンソニー・ウォンとエリック・ツァンも警察とマフィアという敵対的な立場ながら、同じ目的のために熱い視線を交わす。
恐らく、樋口円香もアンソニー・ウォンのように、プロデューサーの危機的状況に引き金を引くだろう。
彼らと同じくらい、樋口円香とプロデューサーの間に絆と信頼感、あるいは親愛の情が存在する。
なぜならシャニマスはプロデュースを繰り返せば信頼度が上がるシステムだからだ。やや意地悪な言い方なので言い換えると、シャニPのような好青年、好きにならないはずがないのだ。信頼できないはずがないのだ。そもそも樋口円香とプロデューサーはこの世で一番出会ってはいけない存在な上に出会い方がなにもかも最悪だっただけでプロデューサーのような好青年は普通嫌いになりようがないのだ。
だからと言って、プロデューサーに対する憎しみが消えるわけではない。
現在進行形でアイドル業は樋口円香に苦しみを与え、無間地獄のような責め苦を負わせている(そういう意味では樋口はアンソニー・ウォンよりアンディ・ラウかもしれない。あとアイドル活動が苦しみだけかと聞かればそれは否だろう。彼女にはノクチルがいる)し、やはりその完全性は樋口円香にとって不気味に違いない。その結果が、愛憎だけでは言い表せない歪な感情の発露、「ぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまえばいいのに」だ。

シャニPの完全性を暴きたいにしてはかなり物騒な表現であり、そうとうな愛憎めいた感情が入り混じっていることが推測できる。
樋口円香と言えば矛盾した感情を抱えがちだが(【UNTITLED】樋口円香参照)そんな状態が健全であるはずもなく。
どんなにプロデューサーを嫌悪し拒否しようとも機械的に親愛度と信頼度が上がるシステムがある限り、樋口円香はプロデューサーに対して好感を抱いてしまう。その結果、歪な感情を抱えた怪物が誕生してしまったのだ。もしかしたら、樋口円香の頭の中は、我々が想像する以上にぐちゃぐちゃで悲惨な状態なのかもしれない。これはもうアイドルマスターというゲームのシステムを利用した人格形成だ。そしてそれは、アイドルを一つの人間として扱いながらその感情を機械的にコントロールすることに対するアンチテーゼとも言える。プロデューサーというガワを通して行う「アイドルマスター」という巨大なコンテンツに対する批判、それが樋口円香というアイドルなのだ。

解釈がメタに寄りすぎと思われるかもしれない。
だがそもそもシャニマスは大分アイドルマスターというコンテンツ(あるいは二次元アイドルコンテンツそのもの)に対するカウンター的なスタンスをとっているゲームだ。ストレイライトからはじまりノクチル、シーズなんかはかなりアイドルコンテンツに対してメタを張ったような、カウンター的ユニットである。そこらへんは言うまでもないだろう。なので、樋口円香がこれくらいメタ的なキャラクターであってもおかしくはない。
とはいえ、それだけが樋口円香という存在ではない。人間がその一面だけで全てを語ることができないように、シャニマスのキャラクターも、たった4000文字ちょっとの文字数で言い表すことはできない。
なので今回は、「樋口円香はこうなのでは?」ということを一面的に語っただけに過ぎない。プロデューサーに対する感情ももちろんそう。0と1で言い表せない複雑な心情を抱えているから、樋口円香のことが好きなのだ。
というわけで本記事は樋口円香という複雑な人間性を理解、あるいは考察するきっかけになると良いかもだ。

にしても樋口円香、「アイドルとして成功する」もシステム上必ず至る道なので、そういうシステム的に回避できない苦しみを抱えるキャラなのかもしれない。つまり我々は、どんなにキャラクターを人間として扱おうとも、そのキャラクターの人生を機械的にコントロールしていることを忘れてはいけないのかもしれない。

おわり

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