毒親の作ったものは食べたくない

どうして毎日を穏やかに過ごせないものだろうか。
人はもう嫌いになってしまうと、感謝なんてできなくなる。
一品作ってくれてありがとう。二品作ってくれてありがとう。
そう言えるのが理想なんだろうけれど、もうこの人の料理は食べたくない笑


私だって料理してますよアピールにうんざり

今日は夫と娘と外出して三時頃帰宅したら、高野豆腐煮物と蓮根のきんぴらだけ作ってあった。(以下、ーーのところは私の心の声)

ーーで?
ーーメインはどうするんですかね?こっちで考えろって?

外出で疲れた私は夕食をパスタにするつもりでいたのだが、半端に副菜二品作ってもらってもパスタには合わせられない。
私がいらいらしたのを感じたのか、母曰く“炒飯を作ったから食べてもいいわよ”
と言い始める。
ーーはいはい。私が買い置きしていた食材を使い切ったんですね。
ーーネギ、卵、シーチキン。補充しないくせに。


夫も咄嗟に“お母さんこれで料理したよアピールなのかね”と気づいた様子。
作ったなら連絡くれればいい。
結局また三人で夕方スーパーに行って、足りない主菜として、出来合いの唐揚げを追加する。帰ってみれば、母は炒飯を食べずにその唐揚げに手を付ける。

ーーおいおい。炒飯食べるんじゃないの?

改めて文章にしてみると、私の沸点が異様に低いのかもしれない。
出来上がったおかずを見て、それに合わせなきゃいけないと勝手に思ったのは私だ。別にそのまま私は夕食パスタを強行してもよかったわけだ。


私自身の落ち度と本音

そもそも私が母との会話を避けており、noteに書くような不満を現場でぶちまけていないという私の落ち度ではある。

本音はこうだ。
ーー私はもう母と共に台所に立ちたくない。
ーー料理するなら0か100 半端にして私に残りを押し付けるな。
ーー料理するなら自分で材料揃えろ

母は母で不満だろう。
料理を作っても感謝もしないって(笑)

HSP気質の私には、あの人がそんな風に思ってるのは手を取るようにわかる。
だけどそんなの無視だ。
早く同居を解消したい。
私が望んだ幸せは、穏やかな食卓を囲むことなのだから。

嫌われたところで、どうでもいい人との関係が終わるだけです。
嫌われることは怖いことでもなく、自由になることです。
どうでもいい人がいなくなれば、本当に好きな人たちに恵まれます。

アドラー心理学


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