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同居で苛立つこと3選(食事)

食費負担の偏り

母がたまに買い物に行く時に「何か買ってきましょうか」と定形文を聞いてくる。
なぜこれが私の苛立ちになるかというと、もし料理する気があるなら自分でメニューを考えてそれに合わせて買って来ればいいだけだからだ。私に聞く必要がない。

現在は私が90%以上食事を作っている。
食事というのは、基本は一週間の晩御飯と、休日の昼食。

母のことが無理になってからは、キッチンに一緒に立ちたくない。

自分でメニューも決める

買い物も全部自分でする

母は食材も買わなくなり、ただ食べる人となる 
※このサイクルがほぼ完成した気がする。

ただ私が作らない日は勝手に食べてくれるぐらいはできる。
だから生活サイクルの早い娘に合わせて、在宅勤務の夫と先に食事を済ませてしまうという日も現在増えた。


献立の難しさ

私は基本的に家族が好きなものを中心に献立を回す。
ところが夫と娘だけなら食べられるものが、偏食の母が入ることによって一気に選択肢が削られるのだ。
魚は食べない、とか。味噌汁は飲まない、とか。

これまでずっと“母はこれが好きじゃないな”とかそう思って合わせてきたけれど、献立作りが私のストレスになっていることは間違いない。

なぜなら母親の作る一品メニューは家族全員の食べられるを満たすメニューではないのに、いつもこちらが提供する食事は母親のニーズを満たすようにするなんて無理がある。

なぜ母が料理をしないのか

同居当初は母が週1、2ぐらいは作っていた気がする。
それが今は月2、3あればいい方。
それも一品だけ作る。
ハンバーグならハンバーグだけ、みたいな。
副菜とか、お味噌汁とか、そういうのもないと食卓は整わないんだけど?って思ってしまうのは私が悪いのだろうか?

その一品のレパートリーがハンバーグ、グラタン、オムレツ。
夫はなんでも美味しい美味しいと食べてくれるが、私はもはや母の料理は食べたくない。そもそも娘が重い洋食をほぼ食べたがらないのを知っているはずなのに、なぜそれを作るんだろう??

他にも作れるものはあるけれど、4人分の材料をケチるのか、肉系を作ろうとしない。(そういう母が一番偏食で、こういう肉がいいとかこだわりがうるさいくせに)


現時点での解決策

結局、同居は妥協点を探す、というその一点に尽きる。
この料理問題について言えば、無理して作らない&作る時も母に合わせないという自分の中の軸を作ったことでなんとかやれている。

・食費と料理担当の偏り→基本全て自分が負担する代わりに母の存在に振り回されない(家族3人メインで献立を考える)
・献立の難しさ→ 生活リズムが合わない日は無理に一緒に食事をしない(母の分まで作り置きはしない)


そもそも家族全員で食事するということにこだわる必要もなく、食卓を整えるということが目的でもなく、家族が心地よく過ごすということが目的なのだから、料理の度にイライラしていたのでは本末転倒だということに気付いたから。
最近までずっと献立を考えて、買い物に行く度に私はずっと苛立っていた(涙)

ーーなんであの人に合わせて献立悩まなきゃいけないの?
ーーなんで毎回私が買い物に出ないといけないの?
ーーなんで当たり前みたいにお米食べて補充もしないわけ?

そんな感じで、自分自身が偏狭で嫌な性格になっていく感じがするのが嫌。
好きだったら気にならないことの数々なのかもしれないし、仲の良い家族だったらなんの問題も起こらないところだとは思う。
ただ、既に一緒に食卓につきたくないレベルで嫌悪感を抱いてしまった実母に対して私ができることは、限りなく自分が苛立たない方法を模索するということだった。

・どうすればストレスを感じないのか
・何が嫌だと思っているのか
・どこまでなら妥協できるのか
・変更できる点はないのか
自分自身の感情スイッチを探り、実際に書き出して変えられるところを変更していく。相手の行動は変えられないのだから。

こうして怒りと苛立ちの根源にあるのは、幼少期からずっと子供を自分の二の次においてきた母親の在り方に火種はあると思う。
子どもがどんな気持ちで不調和の家庭内で気を使い、我慢してきたかということに全く想いが至らない親。
それなのに、なぜまた子どもが我慢し続けなければならないのか。
私の苛立ちは、一つ一つは小さくても、鬱屈した小さな怒りと虐げられたことがもう臨界点を迎えようとしている感じに近い(笑)

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