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「こだわり」とはいつから褒め言葉になったのか?

表題は、いつしかの文藝春秋に掲載された林真理子氏による日本語の乱れについての言及だ。今でも印象に残っている強烈な表現だった。

よく短所と長所は表裏一体だと言われる。就職試験でよくこういう質問をされる。
「あなたの強みは何ですか?」
「私の強みは物事を筋道を立て考え行動できる事です」
完璧な回答である。しかし、面接官はこう言う。
「冷静ですね。でも勢いがない。まず行動してみる、そういう勇気はないのですか」

「とりあえず行動」など軽卒で、単に先を予測する能力がない人間の精神論にのっとった正当化でしかないという解釈もあるが、世の中には小難しく考えることを嫌い、とりあえずチャレンジするタイプを好む人間が多いのも事実である。

どんな長所も逆に言えば短所に成りうる。「こだわり」もそうである。こだわりとは、本来悪い意味で使われていた。しかし、「こだわりの味」「こだわりの素材」と徐々に良き意味として多用されるようになった。「こだわり」は「頑固」とも捉える事もできるし、「意志を貫く」と肯定的な意味としても捉えることができる。

言葉というものはインチキで、使い方次第である。
文化や伝統については内容はともかく先人の考えを尊重するべきというスタンスなので、日本語の乱れについては林真理子氏について同意する。

ただ、時代によって意味合いが変わるのもまた仕方が無い事である。
しかし、間違ってることを知らずに使うのと、知っていて使うのとではまるっきし話が違ってくる。本来の意味をしっている人には、「わざと」間違うことに価値がある。あまり好きな表現ではないがファッションの「外し」とかいう類いもそうだ。(あれはおしゃれな人がやるから「外し」に成りうると思うのだが)

年輩の小言だと思っても、拒絶せず受け入れるべきだと考える。若い者はやはり、上の世代より物事を深く突き詰め見返すぐらいの意気込みが必要だ。特に、私たちのように蔑まれてきたゆとり世代の連中は。

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