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ギャグを面白いと感じた理由について考える

ギャグは「常識ギャグ」「反常識ギャグ」「非常識ギャグ」の三種類に分類できる。これは漫画ライターの竹熊健太郎氏による分析であり、著書「私とハルマゲドン」(ちくま文庫)という本の中でギャグ漫画について詳しく解説している。

竹熊健太郎氏といえば、「サルでも書けるまんが教室」(小学館)等の著作で知られ、同時に「高偏差値のオタク」つまり豊富な知識だけでなく社会的教養、思考力を持ち合わせたオタクというイメージを創り上げた人物の1人だ。ざっくり書くと下記のようなもの。

① 「常識ギャグ」
常識・良識・日常の範囲内でさざ波を描いていくようなものである。例えるなら「サザエさん」のように日常生活のちょっとした勘違いやすれ違いをネタにして、退屈な日常にも少しの刺激を与えるものだ。クスクスと笑うが大笑いは無く、ある意味では面白くないギャクと捉える事もできる。 

② 「反常識ギャグ」
「常識ギャグ」の裏返しで、常識・良識ではやってはいけないことををあえてやることだ。常識が壊れるカタルシスで笑いが起こる。

③ 「非常識ギャグ」
我々の常識とは別次元の制度や常識にのっとって起こる笑いのことである。 

「反常識」と「非常識」の違いは何か。その説明に、高級レストランで食事するというシチュエーションを例にあげている。 「反常識」の場合、「高級レストランのテーブルの上でう○こをする」というものらしい。 

この行為は「非常識」であると思われがちだが、皆できるのにやっていないので反常識にあたる。この行為をすれば犯罪になるかもしれない。道ばたで全裸になる等の下ネタもこの類いである。常識ではやらないことをあえて逆にやるので「”反”常識」だという。

では「非常識」の場合はというと、「高級レストランで極めてフォーマルな格好をして、きちんとしたマナーで食事をする。ところが彼の頭の上にはヒバリの巣が乗っている」というものだ。この行為は犯罪ではなく、世の制度に違反するわけでもない。しかし明らかに常識を逸脱している。つまり「”非”常識」だといえる。 

私の好きなマンガでいうと、「よつばと!」「苺ましまろ」(KADOKAWA/アスキー・メディアワークス)は常識ギャグ、「浦安鉄筋家族」(秋田書店)は反常識ギャグ、「すごいよマサルさん」(集英社)、「伝染るんです。」(小学館)は非常識ギャグということか…(わかったようでわかっていない)。

映画ではどうだろう。
ウディ・アレンの映画はほとんど常識ギャグではないだろうか。確かに初期の『泥棒野郎』や『バナナ』なんかはドタバタ系の反常識ギャグがメインだったが、『アニー・ホール』あたりから皮肉が強くなっている。

普段、テレビでお笑い芸人を見て、「この人面白いなあ、でも人はつまらないなあ」と判断することが多いだろう。

しかしそう思った時に「何故面白いのだろう」と理由を考える事はほとんどない。橋本治も著作「貧乏は正しい!」の中で「何かを感じ取ったら、どうしてそう思ったのかまで考えなきゃいけないよ」と言っている。 また「趣味は分類することから始まるんだよ」。かつてタモリ倶楽部でコケ栽培という趣味を始めたてだったアンガールズ田中にタモリがこうアドバイスした。 

何を今回の日記でいいたいかというと、こういうことだ。 

普段漫画や映画、音楽等へ触れるとワクワクしたりがっかりしたりする。その感情の原因を自分なりに考えて分析することに意味があるのではないか。物事には原因があり、結果がある(因果)。

知識欲求が強い人は因果関係について深く考える事で、より多くのことを学べる。例え趣味であろうと、それを学ぶ事自体に価値があるのだ。 
そして原因追及には分類分けが有効であるということも加えていいたい。 

今回の竹熊氏のギャグ分類もまた、人々は何故ギャグで笑ってしまうのか、なぜ面白いのかを真剣に考えることから始まった。これはただの漫画の話だろうか。漫画以外にも通じる話ではないだろうか。 
  
今一度「なんとなく」という感情を自分自身で問い正す良き機会かもしれない。


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