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16th #ぼくてつカフェ「日常って、なに?」の簡単なレポート

16回目の #ぼくてつカフェ (オンライン哲学カフェ)をZoomで開催しました。

開催概要)
■日時:2021年12月4日(土)13:00~15:00
■テーマ:「日常」って、なに?
進行:土屋陽介さん
場所:Zoomにて開催
参加費:無料
定員:25名

今回は、ある参加者の方からテーマをお寄せいただきました。

――コロナ感染が落ち着いてきて、やっと「日常」が戻りつつあります。一方、ニューノーマルという言葉が流行ったようにコロナ前とこれからの「日常」は同じではないはずです。また、緊急事態宣言の中にもそれぞれの「日常」はあったのだと思います。よくよく考えると不思議なこの「日常」について、今のタイミングだからこそ考えてみたいと思いました。(by スーさん)

ということで、「非日常」がつづいた2021年の最後に、そもそも「日常」って、なに? といったことを当日集まったみんなで考えてみたいです。

Peatixで参加募集しました https://bokutetsu16.peatix.com/

当日)
12:50~入室開始。13:03ごろスタート。申込者18名⇒参加者14名(初参加4名)。ルール&テーマ説明のあと、それぞれに思うところを「問い」の形で出しあう。

問い出し一覧)
①日常とは退屈か?
②「ありふれた日常」とは?
③日常は安定していたほうがよいか?
④いい日常と悪い日常ってあるのか?
⑤非常事態における日常とは?
⑥非日常から日常に移行するプロセスとは?
⑦日常を手放せないのはどうして?
⑧日常を望む心と非日常を望む心の両方が人間にあるのはなぜか?

いつもなら問い出し後、「似ている問いは合体させよう」と試みるところだが、今回はどれも似てるよねということで見送り。8つのうち、今日話したい問いについて、それぞれ数分間考える。

多数決をとり、本日の問いは【①日常とは退屈か?】に決定。(ここまでで約30分。いつもなら小休憩を挟むところだが、今回は短時間で決まったので、そのまま議論へ)

議論の流れ)
15:00までの約1時間30分(途中5分休憩あり)、いろんな意見を交わしました。ざっくりメモです。
【退屈とはつまらないこと?それとも、飽きること?】【日常を楽しんでいれば退屈ではない。割合かも?】【暇な日常がいちばん退屈で苦しい】などの意見が出てきて【暇とはどういう状態?】【裁量権がある暇と強制的な暇、どっちがしんどい?】という流れになり、【暇は忙しい忙しくないとは別。「新しさがない」が退屈源】【毎日のルーティンワークをどうとらえるか次第?】といったあたりで小休憩。再開後、【コントロールできるできないはどこで判断する?】【コントロールできる非日常はその人にとってすばらしいものになる】【自分が安全圏にいる非日常なら欲しい。でも自分に影響がでちゃう非日常はいらない】【順応するしかない場面では心が麻痺する】【日常=安定、安心。非日常=ドキドキ、ワクワク。日常は安定した感情を求めるためのものかも?】【新しい日常のために非日常を求める。表裏一体】などの意見が出て、「裁量」「安心」「順応」「適応」などがキーワードに。【生きていくなかで、自分にとってその時点でベストな選択をしている。非日常を求めているのは旅の途中なのかもしれない】というのが見えてきたあたりで終了。

終了後)
6~9名が「廊下」に残り、ふりかえりや雑談など約2時間(初参加の方に、ぼくてつカフェ参加のきっかけを聞いてみたら、なんと『水中の哲学者たち』を読んで、そこで引用されている『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』を手にとり、その巻末に書かれた「子どもの哲学研修会」のフェイスブックページに飛び、そこから「ぼくてつカフェ」の存在を知って参加した、という方がいらっしゃいました。こういうきっかけもあるんですね!ありがたいかぎり!)。おつかれさまでした。

感想)
11月下旬、テレビで「87歳のドライバー、事故前に免許返納を検討か」というニュースを見た。画面には、“日常的に車を運転「免許ないと不便だから」”という文字。ここでいう「日常」って?と気になっていた。
哲学カフェ当日、高齢ドライバーのことを考えつついろんな意見を聞きながら、自分のなかで「すべての日常は、非日常から始まるのかもしれない」というのが浮かんで、図にしてみた。
後日、Zoom会議中に土屋さんに見ていただいたら、また新しい指摘があって(受動的・能動的のあたりなど)あれこれ追加が入り「こうして曼荼羅になっていくんですね」と笑った。

図:非日常から日常へ


★次回 #ぼくてつカフェ 開催情報はこちらhttps://bokutetsucafe.peatix.com/

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