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『ヤエル49』 第六章

◆神鳥島・南側中腹

 井上たち四人は、「六番目の白ウサギ」が落下した地点に到着していた。  
 神鳥島の、南側中腹に当たる箇所。その地面の草木は焦げ、星型の大穴が開いている。
 その大穴に、バドとカナンが、地面に試薬を振りかけ、その反応を腕のパーツであるマイクロセンサーにかざし、その数値を見ている。

「……タンパク質反応、……ありますね」

「てことは、もう地球上の何らかの生物を食らっちゃった可能性大ですね、タンパク出てるって事は、ガンマ線も容赦なく出てるっていうかまあバンアレン帯にこんだけ晒されて活動出来てる構造体って時点で普通に脅威だし動物取り込んで環境に適応して動き出しちゃったって事は、あれですわなNDGに来てもらって正解とかじゃないですけどこれ普通は1個小隊が重装でやるレベルっていうか下手すりゃ死んでも死なねぇと思うんですけど」

「……」

 スープラがよくしゃべるカナンをただ見つめている。

「カナンがよくしゃべってるうちは、安全ってことです。危機になると黙りますから」

 スープラにバドがささやく。
 カナンはこう見えて歴戦の工作員であり、その圧倒的な知識量もさることながら、危機に対する嗅覚が強く、彼のおかげで井上も何度も命を救われている。

「ここに白ウサギがいたのは、何分前くらい?」

 井上がバドに尋ねる。

「衛星からの画像によると、落下からしばらく……、少なくとも25分前まではこの場所に立ち尽くしていたようだ。時間にして二時間ほどか」

 バドが紙ほどの薄いモニターパッドの画面を井上に見せる。その画面には衛星写真から撮影された白い人型の物体が映し出されている。
 井上はモニターパッドを拡大させるため、手袋を取り操作する。

「その辺の動物を食って消化して体組織を同期させるには十分な時間じゃないっすかね」

 白ウサギが落ちたであろう大穴の脇に、きらきらと光る液体が見える。井上はなんとなくその透明な体液に手を触れてしまった。

「熱っ」

 熱、というより強力な酸に近いそれは、宇宙生物の体液であり、地球上の生物の皮膚をすさまじい速度で分解してしまう。

「気をつけろ。白ウサギの体液は流水で流さないと骨まで達する」

 スープラがどこから取り出したのか、特殊水筒を井上につきつけるようにして渡す。ボールペンほどの大きさだが、弁を外せば、空気中の酸素と反応し約2リットルの水がその場で生成される。

 井上は不快な顔をしてそれを受け取る。パッド操作のため手袋を外し、素手で触ってしまった、というミス。井上にしては不用意な行動だった。
 どうも、スープラといると調子が狂う。普段の作戦では決してこのようなミスはしない。

「あー。それタンパク質成分を急速分解するタイプの体液ですねそれ。てことは」
「うん、間違いない」
「今回の【白ウサギ】は多目体の宇宙外生物のようね」

 井上が言おうとしていた事を、スープラに先に言われてしまった。井上は手を洗いながら、ぶっきらぼうに「ああ」と返す。

「じゃあ、対象の呼び方は予定通り『タモタン』でいいすか」

 カナンが笑いながら井上に提案する。

「何でもいいんじゃないか」

 バドも珍しく軽口を叩く。

「あ、……ああ」

 井上はバドたちの軽い調子に、すこし居住まいを治した。自分が苛立ちを隠していない事を反省したのだ。

 軽口をたたいたバドは、井上の右腕とも言っていいよき参謀役にして、重量火器のスペシャリストでもある。今回のプロテクターでも、およそ50kgはある冷媒タンクと、冷却ランチャーを背負い、この山道を苦もなく分け入っている。
 そうした技術のウデもさることながら、井上に欠けている部分を、陰ながら支えてくれているのが、このバドという男だった。肌は浅黒い。どの国の出身なのかはわからない。腹を割って話した事はない。井上とバドとカナンは、仕事以上の接触は、それぞれ一切していない。

◆調査

「すでに白ウサ……あー、【タモタン】は地球上の生物と融合している可能性が高い。前例としては前回のアラスカに落ちた奴……数百人規模の犠牲者がでたやつと同じくらい厄介な奴と考えていい。軟体タイプだから、当初の想定通り、接触したら基本は凍結させるセンで……」

 井上はそう口にしながら背面のプロテクター内蔵ケースから取り出した双眼鏡型光子スコープを覗く。大気中の宇宙外粒子の飛散状況がそのスコープに光となって目に見ることができる。

 「ダイバリオン粒子が広範囲で観測されてます」
「出てるねー……あっちこっちに。体液も、今のうちペプチターゼで中和しとかないとこの辺の生き物みんなヤバイね」

 タモタンは地球には存在しない粒子で体を構成しており、少しづつその粒子はタモタンの身体から飛散されていく。その粒子が強く検出されていく方向を見れば、おおよその位置が推測できる。

 「粒子の規則性から考えると、まだ体に慣れてない様子。あちこちにぶつかりながら彷徨ってるようね」

 スコープ越しに見える緑の光が点々と木々の間に見え、それらが木の枝にぶつかったように付着している。
 タモタンはこの地上に降りてしばらくは、この大気と重力に慣れておらず、あちこちを飛び回ったと推測される。

  周囲の木の一部はタモタンの発したであろう強分解酸に溶かされ、黒く墨のように変色している。体液は外気では風化する事がなく、宇宙外生物の証拠隠滅のためにも一つ一つ丁寧に「強化ペプチダーゼ」を噴霧する必要がある。

 このペプチターゼは、外来宇宙生物の成分を分解し、地球上の物質に還元する力を持っている。井上の背中から薬剤を噴霧する管を取り出すと、タモタンが移動したであろう痕跡に丁寧に振りかけていく。

「井上。時間がない。ペプチターゼ噴霧は後回しにすべきだ」

 スープラが井上の肩を掴むが、

「いんや。こういうのも丁寧にやんないと後々……バド。この体液の飛散具合から【タモタン】の移動速度と方向と、今の大まかな居所、計算できるか?」 

 井上は淡々とスープラの手を払い、バドの方に目をやる。 

「通常移動は時速5.6キロ程度と予想されます。ただ、あくまでも通常の移動です。方角は、このまま北へ。このままの速度であれば、14分以内で目視できるかと」

 即答で返すバド。どういう計算式なのかは、井上も詳しくはわからない。ただ、バドが読みと計算を大きく違えた事はない。

「14分では遅い。私なら半分の時間でいける」
「だめ。一人が突出したら戦力が分断しちゃうでしょ。みんながあんたじゃないんだから。このまま薬剤を散布しながら、追跡ね」

 井上がそういうと、スープラは特に反論をしない。カナンとバドの2人は返事をしない。返事は、異論や別の提案がある時にだけすればいい。

 光子スコープで、ガンマ線と体液が一つの線になったような道を発見する。その先をみれば、山頂である。光子スコープ越しに山頂を見れば、その山頂には光の筒のような輪が天に昇っているのが確認できた。

「あれは……」
「『位相断面の環』の発生を確認。「タモタン」の最終目標進路はおそらく山頂になるだろう。足取りから、タモタンはまだ位相断面の環の存在に気づいていないが、時間の問題だ。」

 スープラがスコープもつけずに、井上が言おうとした事を答える。

「位相断面の環、ね……。俺たちも詳しい事は聞かされてないが、あれに宇宙外生物が接触すると……」
「きわめて高い次元相転移が行われる。おそらく地球の地軸や、生体電波に影響する」
「イルカが全滅したりとか?」
「それ以上の災害と心得ておくべきね。理解できる素養があるのならば、道中解説しながら説明するが?」

(※位相断面の環、は、宇宙外生物が地球に落下した際生じる次元のゆがみであり、しばしば宇宙外生物が地球上に存在すると、その周辺に発生する。次元の異なる存在に対する反動であり、そこに宇宙外生物が接触すると、次元そのものが変質してしまい、大災害が起こるとされている。ヤエル49は来週する宇宙外生物に対してこれまで多くの犠牲を払いつつも、宇宙外生物を位相断面の環に接触させた例はない。
 宇宙外生物はこの環を見つけると、自身の存在継続を顧みず輪の中に飛び込み、融合しようという衝動に駆られる。環と融合すると、宇宙外生物は元いた環境と似た環境に地球が変容するので、とてつもない力を手に入れるとされている。)

「結構……。」

 井上は無表情でスープラに言葉を返す。

◆行軍、そして、接敵

 四人はタモタンの痕跡を追いながら、山を進む。

「タモタン以外に山の中に大きめの生体反応がいくつかありますね」

 カナンがバイザーに写っている画面をタップして井上に転送する。

「人だよね。2足歩行感ある形、ほら」
「あー、人ですよね。封鎖前に居た人か……こんな夜中に物好きだよね」「え、これ人か?」
「あ、でかい猿って可能性ありますよねー。」
「ゴリラ?」
「猿でも人でも巻き添え食わせるわけにはいかない」

 スープラがしゃべると、沈黙する一同。

「……おしゃべりの時間も終わりかな……カナンも黙ったことだし」

 つい先ほどまで延々と独り言をつぶやいていたカナンが、石のように押し黙っている。
 カナンが黙ると言う事は、そろそろ目標との接触が近いという事だろう。

「戦闘は想定しますか?」

 バドが冷静に尋ねる。

「……あくまでも調査なんだけどなあ。あくまでも。」
「戦闘を回避したいのであれば井上ルームは直ちに退却を。戦意がないなら足手まといです」
「……ったくこれだよ」

 スープラが戦闘を焦る理由が、井上にはまるでわからない。
 少なくとも、現時点で位相断面の環にタモタンが気がついておらず、また融合した生物が鼠程度の小動物であれば、このまま急襲したほうが簡単に済むだろう。
 前回の戦闘結果から、対象に凍結攻撃に効果があるというデータもある。

「……調査の為に、接触を試みてみよう。プランはBで。不要な装備はもうここでパージしちゃおう」

 井上はそう決断する。戦闘だ。

 バドとカナンが調査や資料採集用の装備を空気圧でプロテクターから廃棄する。そして了解の沈黙が広がる。

「各自怪我のないように」

 そう言うと、井上はヘルメットのバイザーを下げる。バイザーに映る赤外線モニターには、高熱を発しながらウゴウゴうごめいている白い点が一つ、見受けられた。

 ふう、と井上は息を吐く。一瞬だけ吐いた息がバイザーの内側を白く曇らせるが、瞬時にクリアになる。曇り止めは、しっかりと効かせてある。

◆夜の森を駆ける

  あさみは、夜の森の中を走り続けていた。

 自分にもどこにこんな体力があるのか、まるでわからない、とにかく、逃げた。
 あさみにとって幸運だったのは、逃げているうちに足慣れた林道のコースを発見したことだ。このコースなら、自分が毎日森林官として往復している慣れた道だ。
 そしてあさみは自分が今いる場所を悟る。自分がいるのは、島の山の北側の地点。もう少し林道を行くと集落に向かう道に合流できる。

 だが、これからどうすればいいのか。

 一度、東にある森林官事務所の山小屋に戻って、カホとさっちんに助けを求めるか、あるいはこのまま南の集落への道を行き、警察を頼るという方法もある。

 だが、酔いどれたカホとさっちんがあのユビナガにかなうとは思えず、みんなまとめて襲われてしまう危険性がある。
 だからといって、南の集落に行くにも、ここからでは一度山頂を経由して反対方向に下山するなど、時間もかかってしまう。

 ただ、山頂までいければ、非常電話もあるし、ギリギリ携帯電話の電波が入るかもしれない――そう思った所で、荷物はすべてユビナガに奪われたのを思い出し、また愕然とした。

 だが、ぼーっとしている暇はない。
 この開けた林道では、ユビナガにすぐに見つかってしまう。
 暗い山道、明かりは、分厚い雲越しに頼りなくおぼろに光る満月しかない。
 あさみは何度も足をすべらせながら、整備されているとはいえ危険な夜の道を移動し続けていた。

「あっ……」

 林道の脇道を見て、あさみはこの島の山の森で自給自足生活をしている森下を思い出した。
 このけもの道を行けば、森下の私有地になる。
 ここ最近姿を見せていないと言うが、今はとにかく一人でも助けが欲しい。
 森下の自給自足の場は、島の北。この林道の脇道を通っていけばすぐのところにある。

 森下には、いざという時の為にトランシーバーを渡してある。
 森林官事務所につながるだけかもしれないが、森下には何か他の連絡手段もあるかもしれない。下着1枚の今のこの恰好が気になったが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 道を外れ、脇のけもの道にわけ入るあさみ。

 だが、森下の私有地に入る経験は少ない。上司の山岡によれば、違法な罠も備え付けられているらしく……、

「!?」

 あさみが体重を預けた場所の近くで、何か金属音がした。暗い中を目を凝らすと、本来違法なはずのトラバサミが、あさみの足の数センチ脇で作動していた。

 踏み抜いていたら、アキレス腱を確実に切っていただろう。あさみは冷や汗をかく。

 草がだいぶ生えているが、つい最近踏みならした跡もある。太ももに草や枝が引っ掛かり、真っ白な太ももに何本も赤い筋が入るが、今のあさみは痛みを感じる余裕はない。

 しばらくすると、森下の、古びた帆布のテントが見えてきた。

◆森下のテント

 森下のテントに入るのは初めてだった。

「……森下さん、森下さん……」

 あまり、大きな声を出しては、ユビナガに聞こえてしまうかもしれないと思い、外から小さく声を出すが、反応はない。慎重に、帆布をめくり、森下のスペースに足を踏み入れる。

 テント内は広く、低木と帆布を上手く組み合わせて作られた居住空間は、独特の獣臭さと、人間の匂いがしている。

「!」

 不意に、解体され、吊るされている動物が目に入る。
 突然の事なので面食らうあさみ。入口付近の広いスペースはポンプ式の井戸や作業台がある。
 森下はここで狩猟した動物の肉を解体していたのだった。台の上には皮はぎの途中の猪の肉もある。テントのさらに奥を探索する。

 居住スペースと思われる小さな場所は何枚か猪の皮が敷かれており、そこには寝袋と簡単な木の台があった。

 寝袋は、もぬけの殻……こんな真夜中の時間に、森下の姿はなかった。

 だが、机代わりにしている木の台に、ランタン型電灯を発見した。
 そっとランタンのスイッチを押し、光を最小にすると、そこに書きかけの日誌を見つける。

「……今日の日付?」

 あさみは日誌を見る。そこには森下のポエムのような言葉が延々とつづられている。近くにはカセットテープも散乱しており、森下は独り言のようなセリフを吹き込んでは、気に入った言葉を清書して文に残していたようだ。

 しかし、日誌の最後の部分に、奇妙な言葉が残されていた。

『突然の大音。いったい何だろう。見に行く』

 日誌はそこで途絶えている。

 渡してあったトランシーバーもあったが、電源を入れても反応がない。電池が抜かれていて、電池も見当たらない。

 机の上に置かれた、動物解体用のナイフが目に入った。

「お借りします……」

 そう呟いて、あさみはナイフを拝借する。あさみはふと、自分がパンツとシャツ一枚の姿であることに気づき、壁に干してあった作業ズボンのスペアも拝借する。
 少し大きいので、ズボンを縛って履いていると、テントの奥が気になった。奥一帯が、ぼろぼろの帆布で覆われている。

 ランタン型電灯を片手に中を覗くと――

「これは……」

 帆布の奥は崖の天然の穴でできており、そこには大量の金属部品が置かれていた。

 よく見ればそれは、日本の法律では使用禁止になっているトラバサミをはじめ、電殺器を改造したヤリや、それを利用した電気ワイヤーといった代物。

「こんなに……沢山……」

 罠の一つ一つをよく見れば、森下が相当手を加えて改造しているのが分かる。なおかつ、巨大だ。

 踏み抜けば象の足でも切断しそうなトラバサミに、何重にもコイルがむき出しで巻かれて異常なほどの電撃を出せるであろう電殺器のヤリ、さらには中世の蛮族が使うようなオノやトゲ付きのサスマタといった、もはや鳥獣捕獲の域を超えた凶器らが、乱雑だがある規則性をもって置かれている。

「ヌシと……戦うため?」

 一つ一つ、実際に使われた形跡もある。
 ここに積まれているのは、森下が罠にさらなる改造を施そうとしている物なのだろう。
 これらの罠がこの森のあちこちに設置されていると思うと……。
 あさみは背筋に冷たいものを感じた。

◆あの音は何?

「……?」

 遠くで、断続的な音(ヤエルチームがタモタンと接触し攻撃している。)

 あさみは音が気になって、テントの外に出る。山の上の方から断続的に音がしている。それとは別に、この近くで別の音もしている。
 ユビナガだろうか?
 あさみは慎重に周囲を見渡す。すると、くぐもった声が聞こえてきた。

「誰か……いるの……?」

 暗い森の中、そしてトラバサミが周囲にあるかもしれない中、うろつき回るのは自殺行為ともいえた。
 だが、森下のテントにいても状況は変わらない。
 それに、ユビナガの声とは明らかに毛色が違うと感じられた。あさみは、ランタン型電灯を何気につける。そしてその明かりを、森の奥に掲げてみる。

 黒くうごめくものが、闇の中にいた。あさみはゆっくりとそこに近づいていく――。

「く……ま?」

 あさみが見たものは、ところどころ体毛の禿げた熊だった。

◆「GO」

 山頂手前の森の急斜面。
 タモタンを目視発見した井上たち。
 井上が指示を出すと、カナンとバドは背中のプロテクターに装着された砲を前に伸ばし、ためらいなく発砲する。

 弾頭が射出された先には――多目眼外宇宙生物。全長は150cmほどの乳白色の柔らかなゴム質の肌を持った人型のフォルム。だが頭部はワニのように突き出ていて、その頭部の上部には六つのヒスイ色をした水晶体が備わっている。

 不思議な事に、その頭部には何らかの金属片……メガネのようなものも乗っかっているが、容赦ない弾幕は、そのメガネをあっという間に吹き飛ばした。

 井上はバイザー越しに現れる画像やデータを腕のキーボードで次々と処理していく。
 撃ち込まれた弾丸は高速気化弾……いわいる冷凍弾であり、周囲を恐るべき速度で温度を奪っていく。

「皮膚の形成限界を確認。バド、パイルドライバーに切り替えろ。カナン、ペプチターゼ広域噴霧」

 井上の指示で二人はすぐさま行動に移り、バドは近接してバックパックから接続された巨大な杭打ち装置をタモタンに接触させる。

 鈍い音が何度も凍ったタモタンの皮膚を打ち付ける。その間にカナンは広域にペプチターゼを散布し、環境へのダメージを抑えている。

「……」

 スープラは何の手出しできず、手際のよい流れ作業のようにタモタンはその動きを停止した……と思われた。

◆くらやみの中に子ども

 あさみは比較的開けた森の中の大木の下で、一匹の熊が足をトラバサミに取られて、身体を震わせているところに出くわした。
 相当抵抗した後なのか、身体は衰弱しているように見える。

 熊と言っても、生後間もない子熊のようだ

「この島に、熊……?!」

 本来熊は、南の島にいるわけがなかった。
 見たところ本州の山奥に存在するヒグマにも見えた。だが、体毛は抜け落ちており、もともとそれほど体も強くない事がうかがえた。

 あさみはゆっくりと近づく。
 子熊とはいえ、野生の熊に近づくのは危険な行為だ。まして今はユビナガにも襲われている。

 それでもあさみはその子熊に近づく。
 子熊も、あさみの存在に気づき、反応する。だが抵抗する力が残っていないのか、ただあさみを見るだけだ。

 ふと、あさみは最近頻発しているニュースを思い出す。

◆世界各地の異変

 世界各地で、子供が動物により救出されるニューズが相次いでいた。

【ライオン、強盗から少女を救う】
【イルカ、遭難した少年たちの乗ったボートを救出】
【寒さで行き倒れた貧困層の少年、野良犬たちが集結し温め命をつなぐ】

 まるでオカルトじみた話だったが、突如世界ではこうしたニュースが頻発していたのだった。

◆救出

 あさみは子熊に近づくと、子熊が怯えない様、背中をさする。そして驚かせない様、トラバサミをゆっくり解除する。
 トラバサミが解除されると、子熊はビクンと反応する。まだ足がしびれているのか、出血もある。

「……」

 子熊はあさみを見つめる。あさみはふと、すがるように、

「助けて」

 と子熊に救いを求める。だが、ふと我に戻るあさみ。

「こんな小さな子に助けてって言っても、だめだよね……それにわたし、もう子供じゃないなんだから……」

 そう呟くと、子熊は足を引きずりながら、ゆっくりと去っていく。子熊とはいえ、貫禄は十分である。

「あれが森下さんが言ってた山のヌシ、かな……」

 しばらく呆然とするあさみ。張っていた心の糸が、ふと途切れる。体の力が抜け、へたり込むように座る……。

◆玩具

 その時、闇の中から何かがガサッと放りこまれた。あさみは体をビクンと震わせる。

 すぐ、目の前には――

 さきほど助けた子熊の生首が転がっていた。

「ッイ!!」

 声にならない声が出てしまうあさみ。

「『コンナ小サナ子ニ助ケテッテ言ッテモ、ダメダヨネーエ?』」

 不自然な茂みの盛り上がりのように見える外観のサバイバルコートに、だらんとした手、そして血走っている、目……。

 それが、子熊の逃げた方から近付いてくる。

 ユビナガだ。

  テントを出てから、あさみの後をつけ、あさみのすぐ近くで先ほどの出来事を見ていたのだった。

「『ソレニワタシ、モウ子供ジャナイナンダカラーア?』」

 あさみは恐怖で、声も出ない。

「『モリヲアイスル、モリシタサン』『ワルイヒトジャナインダケドネー』」

 ユビナガが甲高い声で言葉を繰り返しながらあさみに近寄り、その髪を掴む。

 あわてて逃げようとするアサミだが、そのまま引きずり出されると、藪の多い場所にあさみは投げ捨てられる。

 そして――ユビナガは、何もしない。
 何もせず、あさみが立ち上がるのを、じっと見ている。
 
 あさみが立ち上がり、逃げようとすると、また近付いて、転ばせ、投げ飛ばす。ユビナガの目は――笑っている。あさみはそこで気づく。

 ユビナガにとって自分は、オモチャなのだと。

 あさみが必死でもがけばもがくほど、相手は喜び、圧倒的な力で自分を凌辱するのだろう、と。

 ゆっくりと立ち上がるあさみ。
 立ち上がるのをユビナガは待っている。立ち上がり、逃げるあさみ。しかしすぐユビナガは追いつく……。

◆スープラの身体は真っ二つになり、斜面を転がる

「!?」

 井上を庇うような動きで前に躍り出たスープラの体が、左右に真っ二つになるのを、井上はバイザー越しに見ていた。
 完全に凍結されたかと思われたタモタンだったが、突如体積が爆発的に膨れ上がり大きくなり、自身に衝撃を与えていたパイルドライバーを手刀一発で破壊すると、さらにその手を大きく伸ばし、手刀でスープラを一薙ぎで両断したのだ。

「伸、び……!」

 スープラの二つの体は、くるくる回って繁みの中に倒れ、斜面をころがっていく。

 バドとカナンは凍結が不十分だったとみてすぐさま後方に跳び、左右に展開したまま高速気化弾頭を撃ち続けた。ドスンドスンという着弾の衝撃音が森に響く。

 計算外だった。

 前回の討伐でも、戦闘のさなか形を変化することは了承済みであったが、突然これほど大きく形を変え、人間ほどの背丈になるのは想定していなかった。

「あー……これはあれか、もうヒトを食って、適応を完了してたってことか」

 井上はつぶやく。冷凍弾の白い煙の向こうで、タモタンは振り返り、肩をくねらせている。ダメージが聞いている様子はなかった。

「気化弾頭、効果なし――」

 井上たちの10メートル先にいる「タモタン」は、冷凍攻撃を意に介さず、170cmほどの体長と、人間のような手足と顔 をもつ形に変化しきっていた。

 さらにタモタンは何か周囲を見渡すような動きをすると、地面から何かを拾い上げる。それは、さきほどの弾幕で吹っ飛ばされていた黒縁のメガネだ。森下がかけていたメガネを、人型タモタンは頭に乗せる。

 そして人型のタモタンはゆっくりと、井上たちに向かって距離を縮めてくる――。 

 

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