ショートショート・『長身バニーちゃんはアンドロイドの夢を見るか?』
銀座のクラブは、いつも静かにざわめいている。豪華なシャンデリアが煌めき、客たちは誰もが重々しい空気をまとっている。初老の男たちが集い、金と過去の栄光について語り合う社交場だ。黒服として働くボクは、その空気の中に溶け込んでいた。目立たないように、しかし常に気を配りながら、客の動向を見守る。ボクの仕事は、客の快適さを確保すること。無駄な会話はなく、ただ黙々とこなす。
大桃さんもこのクラブで働いている。182センチの彼女がヒールを履くと2メートルになる。素晴らしい存在感だ。その上彼女はいつも、バニーガールの格好をしている。しかし銀座のクラブで働くときは特別なバニーの衣装だ。その辺のバニーガールではない。全身ラメのバニーコスチュームをまとい、ピカピカの笑顔を振りまきながら、お客様にお酒を注いでいる。
彼女のバニーガール姿には、尻尾がない。代わりに、彼女の大きめの尻がそのまま丸見えになっている。大抵の客はチラリ視線で彼女の下半身を追うが、少数の客は股間や尻をここぞとばかりに凝視している。ボクも毎晩ちらりと確認しているが、バニーの衣装から下着がはみ出ているのを一度も確認したことがない、おそらくノーパンなのだ。そう思って彼女をみてしまうとボクはいつも気が変になる。
彼女はバニーガールの衣装をどこでも着ている。大学でも、喫茶店でも、どこでもだ。彼女は、ひたすらバニーガールとしての自分を生きているようだった。
大桃さんは、いつも大きなリュックを背負っている。リュックには替えのバニーの衣装が何着か入っているらしい。彼女は気分によって衣装を変えることがあり、そのためにいつも複数のコスチュームを持ち歩いている。リュックはミリタリー風で、彼女の派手な衣装とは対照的な無骨さを感じさせる。
平一さんもこのクラブで働いている。彼も黒服だが、実は地下アイドルとして活動している。彼はいつも明るく振る舞い、誰にでも笑顔を見せているが、ボクにはその笑顔の裏に疲れが見え隠れしているのがわかる。彼は、自分の夢と現実の間で揺れ動いているのだろう。クラブの仕事をこなしながら、心の中ではダンサーとしての自分をどこかで見失いかけているのかもしれない。
「俺さ、地下アイドル辞めた方がいいのかな」
平一さんがそう漏らしたのは、この前のことだ。「実業家の方が、向いてる気がするんだよ俺」彼は笑いながらそう言ったが、その声には本気が混じっていた。
ボクは何も答えられなかった。ボクだって、自分の未来に対して漠然とした不安を抱えている。夢なんて、もう遠くにあるもののように感じていた。
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ある夜、クラブでの仕事が終わりで、大桃さんと平一さんと一緒に、いつもの深夜喫茶店に向かった。喫茶店は、古びた木のドアを開けるとすぐにコーヒーの香りが漂ってくる。64年も続いているこの店は、どこか懐かしい空気をまとっている。
窓際の席には常連の、おばちゃんとおじさんが座っていた。おばちゃんは、携帯動画爆音で、推しバンドの演奏を流して、おじさんに聞かせている。おじさんは無表情で「素晴らしいね」とつぶやく。それは、本心ではなく、ただの形だけの言葉だ。おばちゃんが定期的に、おじさんの口座にお金を振り込んでいるのを、僕らは知っている。そのために、おじさんは毎夜、彼女の話し相手になっている。
大桃さんは、バニーガールのまま窓際に座り、何かを考え込んでいるようだった。普段は明るい彼女だけれど、今日はどこか違う。
「ねぇ、雛形くん」
突然、大桃さんがボクに話しかけてきた。
「アンドロイドって、どう思う?」
彼女のその問いに、ボクは少し驚いた。
「アンドロイド?」
ボクは聞き返す。彼女がどうして急にそんなことを言うのか、理解できなかった。
「うん。最近、アンドロイドのことをよく考えるんだ。もし感情を持たない、ただ機械のように動くだけの存在だったら、楽かもって」
彼女は笑いながら言ったが、その笑顔にはどこか寂しさがにじみ出ていた。
「どうして?」
ボクは思わず聞き返した。彼女はいつも強く見えた。感情を持たないアンドロイドになりたいなんて、彼女らしくない。
「ストーカーに追いかけられてた時、父さんが空手で追い払ってくれたことがあったでしょ?あの時、感情がなければもっと楽だったのかなって考えたりするんだよね、それにアンドロイドだったら無敵の強さだから、父さんの助けもいらないし」
彼女は、少し遠い目をして言った。彼女は3人のストーカーに追い回されていたことがあった。「全然平気だよ」と言っていた。それを聞いた時、彼女の内面の強さを感じたけれど、今はその強さがどこかで揺らいでいるのかもしれない。
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その夜、ボクは不思議な夢を見た。未来の街。ガラスでできた高層ビルが立ち並び、ホログラム広告が浮かんでいる。その中に、大桃さんがいた。彼女はバニーガールの姿のまま、無表情で立っていた。彼女はボクを見つめていたが、何も言わなかった。彼女がアンドロイドになってしまったようだった。
目が覚めたとき、ボクの胸の中に不安が広がっていた。彼女が本当にアンドロイドになってしまったら、彼女の笑顔や人間らしさが消えてしまう。それを考えると、怖かった。
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次の深夜もまた、ボクは深夜喫茶で再び大桃さんと会った。彼女はクラブでの仕事が終わったばかりで、バニーガール姿のまま座っていた。今日も少し疲れた表情をしていた。
「ねぇ、この前のアンドロイドの話だけど、どうしてそんなこと考えたの?」
ボクは気になっていたことを、ついに口に出した。
彼女は少し考えてから、ため息をついて答えた。「最初は楽だなって思ったの。でも、よく考えたら、アンドロイドになるのもそれなりに面倒なことがあるんだよね」
「例えば?」
ボクは興味を持って聞いた。
「まず、定期的なメンテナンスが絶対必要、それにお金がかかる。食費は必要なくても、結局働かないといけないの。それに、メンテナンスの工場が遠かったら、交通費もかかるよね」
彼女は少し笑いながら続けた。
「それに、もし長生きしすぎて、友達がみんな死んじゃったら、ひとりぼっちになるのも嫌だなって思ったの。アンドロイドになっても、それじゃあ意味ないよね」
ボクは彼女の言葉を聞いて、心が少し軽くなった。彼女は自分自身の感情や、迷いを受け入れることを選んだのだ。
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早朝、ボクたちは銀座の街を歩いていた。大桃さんはバニーガール姿で、リュックを背負いながら前を歩いている。彼女の尻がくっきりと映えているのを、ボクは無意識に目で追ってしまった。桃色の雲が空に浮かび、彼女の背中を優しく照らしていた。
「アンドロイドにならなくていいよ」
ボクは心の中でそうつぶやいた。彼女はそのままでいい。彼女の笑顔も、悩みも、すべてが彼女らしさだから。
未来がどうなるかはわからないけれど、今はこの瞬間があればそれで十分だ。ボクは彼女のお尻を見つめながら、そう思った。
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