『ヤエル49』 第二章【#創作大賞2024・#漫画原作部門】
◆トラバサミ
「この森はもともと俺たち一族の森だった。俺は生まれてからずっと、この森で育っていた……」
森下がカセットテレコにセリフを吹き込みながら、山を歩いている。筋肉質な体型に、チェック柄のハイキングウェアに山ズボン、靴と、どこかオタクにも見えるファッションだが、髭と髪の毛は伸び、顔だけ見れば修行僧のような風体だ。
「幼いころから俺は森の中から視線を感じていた。何かを見透かすような、鋭い視線だ。俺はその目線を、森のヌシの物だと直感していた……」
森下が設置していた罠の一つに気がつく。テレコに声を吹き込むのをやめる。
日本国内では使用を禁じられている巨大なトラバサミの一つが作動し、歯が閉じている。その歯にライトを当てる。歯にわずかに、体液がついているのを発見する――
◆タクシー
「森下さん。ここ最近里にめっきり姿見せなくてねぇ、」
あさみは、すっかり泥酔した二人をなんとか後部座席に乗せ、自分は助手席に乗っている。
タクシーの運転手はあさみとはなんとなく顔見知りで、森林官事務所の山小屋のある島の北側にまで、タクシーを利用する際たまに見る顔であった。
「ああ……そうみたいですね」
「森下さんね……育った森が国有地になるとき、いろいろあったみたいだからね、うん」
運転手の額には大きなホクロがあり、それをポリポリ掻きながら運転手はあさみと話している。後部座席にいる泥酔の二人はすっかり眠りこけていて、あさみもまた眠いのを我慢しながら、話し好きの運転手の相槌を打ち続けている。
「うん、ねえ、自給自足生活だなんてねえ……気持ちわかるけどねえ、うんうん」
「ええ……」
「森下さんとこね、昔からここのジヌシでね、古い感じのほら……旧家」
あさみは、森下の姿を思い浮かべる……。
「森下さんとこ、ほらこの島が観光地になる前からの一族でサ……山のサ、一族の。森下の親父さんがほら、この島を別荘地にって最初に言い出して売り出して、島も本当裕福になって……でもホラ、先祖代々の土地をお金に変えたなんて、一族でもめにもめてさ。もともと親子関係も、よくなかったみたいでサ、」
◆ぐちゅっ、ぐちゅっ
そのころ、森下――。
罠を再設置していると、何か普段と雰囲気が違うのか、耳を澄ます。
森下が耳に手を当てると、不思議な音……ぐちゅっ、ぐちゅっというような湿り気のある生き物の音が聞こえる。
「なんの音だろう。……。イノシシか?」
森下はテレコの録音ボタンを押す。
「……1975年。沖縄海洋博で公開されるため運ばれていた動物を乗せた貨物船が、神鳥島近海で座礁したという。その中に、つがいの××(滑舌が悪く、またテレコの録音のノイズのせいで聞き取れない)が居たらしい。……爺さんが言うには、そのころから島の雰囲気が変わった、という。」
テレコに声を吹き込みながら、森下は音のする方へ向かう。
◆タクシーの運転手の語りは止まらない
「で、森下の親父さん、死んじゃったわけでしょ? 3年前だっけ。息子の森下さんがだから、土地の権利やらなんやら、莫大なお金を相続して……30かそこらでね……ほら、国の自然遺産登録の候補とかの話も合って、国から土地の権利だのなんだのって、森下さん、対応につかれちゃって……まぁ、森を愛する無職だからお金に全然頓着もしないし……」
◆琉球山刀“ヤマナジ”
ぐちゅっ、ぐちゅっという音は、断続的に聞こえている。
森下は、その小さな音を聞き逃さないよう、足音をたてず、やわらかな土を選んでつま先立ちのまま、その音のなる方へ近づく。長く、島と一体化してきた森下だから可能な歩法だ。
「……流れ着いたつがいの子が、この山のヌシとなって住み着いている……俺はこうして今、その姿を追っている」
森下は腰に下げていた琉球山刀“ヤマナジ”を構える。
「俺がもし、お前に出会えたなら……俺は……」
◆無職なのに名刺交換
「まあでも、守ってくれているらしいね。」
「あ、はい。なんか……」
「もりしたふぁん?」
酔いどれていたカホが夢心地半分で会話に加わる。
「うんうんそう。守ってくれてるんだっていうから……ねえ。」
「まもる? なにから?」
カホがあさみに尋ねる。
「名刺交換したときに言ってましたね、ハイ、守ってるっていうか、立ち向かってるとか、なんか」
「え、森下さんと? 名刺交換? 無職なのに?」
カホが不思議そうに口をはさむ。
「あ、ほら、私、森林官だし」
あさみは森下の顔を思い浮かべる。
なんとなくだが、死期が近い雰囲気が出ていた気がする。
「守ってくれてるんだろうからねえ……何かから」
タクシーの運転手も、森下にどこか同情的な雰囲気だ。
「え……、何から?」
「なんか……ヌシ? がどうこうとか」
◆森下さん、脛から下だけになる。
森下は藪の中、大木に隠れてそれを見ていた。
ぐちゅぐちゅしたものは、月光に照らされていた。
全身土まみれだったが部分的に白い部分があり、それがぐちゅぐちゅしたものの本体部分であることは察せられた。
「……なんだ、あれは?」
だが、ややあって……。森の中で森下の悲鳴が響く。
一瞬だった。
森下のシルエットは、何か巨大なものに飲み込まれ、地上に残されたのは、靴下と靴だけであった。
◆森の中で光ったもの
「?」
夜の森の奥で、何かが光ったように感じた。
「ねえ、今なんか……」
と言いかけたが、一瞬の出来事に気づいたものは、あさみしかいなかった。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
今日の森は、ちょっと様子がおかしい。そうあさみは感じ始めていた。
◆男の戦い
「……兄さん、信じてるのよ……」
「はぁー」
森下妹が、さっきまであさみ達の居たバーで飲んでいる。入れ違いで入ったようだ。客は一人であり、森下妹は「はぁ」しか言わないバーテン相手に語っている。
「兄さん、幼少のころからそのヌシに見られているって思いこんでて……姿の見えない「ヌシ」と、精神的な戦いに負けたせいだって。だから、今、戦ってるんだって。ヌシと一対一の男の戦いを挑むんだって」
「はあ……」
「いると思う? 森のヌシだなんて……」
「はぁー、いるんじゃないすかね」
◆森の山頂にある神社
比較的低山で登りやすいこの山の頂上付近は開けており、地元の祭りや踊りの披露できるくらいのスペースがある。
だが神社の脇は急な崖になっており、今は地盤が緩んでいるため、保護のためにブルーシートがかけられていた。
その神社の社の近くにある電柱に、何本かコードが張られている。電線のほかに、ふもとへの直通の非常用電話の回線だ。
そこへ、ブルーシートを踏み越えて、その電柱近くにやってくると、手にしたナタでそのコードを叩き切る。
何度も何度も、ナタを叩きつけるようにして―――。
それはあさみ達がバーで出会った男・“ユビナガ”であった。
◆ヤエル49の特別応接室
「何か質問は?」
ヤエル49の特別応接室――天井は高く、石造りの大聖堂のような空間は数百人は収容できそうな大きさだが、それをたった一人で独占する少女は開口一番そう言い放つ。
「特にないなら、もう行きましょう。私たちには時間がありません。」
さっさと移動しようとしている少女。
歩き出し、目の前の井上を通り過ぎようとしている。井上は呆れながら声をかける。
「あー、えー、ミス・スープラ」
「はい」
少女はスープラと名を呼ばれて振り向く。
透き通るように白い肌を持ったスープラ。
年齢的にはローティーンにも見え、その身長の低さから少女と呼んでも差し支えない外見。顔は東洋人とアーリア系のハーフのようであり、細い目にしっかりと意志のこもった灰茶色の眼が、一切無駄な視線移動なく井上達を見つめている。胸と尻を除いた体のラインはきわめて細く、まるで人形のようだ。
「ヤエルの本部からは、あんたにどういった指示が?」
井上は尋ねる。
「増援と教導です」
「増援とキョウドウ……キョウドウ?」
「ええ。白ウサギを確実に仕留めるための増援と、そこに導くため適切な指導を期待されています」
「教導って、あ、センセイってこと。ふーん。で、確実に仕留めるって……?」
「殺害することです。殺すことです。この世から抹殺することです。存在を消去することです」
「分かった分かったって。……あのね、俺らはあくまで先行調査ってオファーだったんだけど」
ヤエルから井上に下された命令は「白ウサギと思しき生物の先行調査」であり、その中には「可能と判断した場合はその場での殲滅を許可する」という内容も、含まれてはいた。
もっとも白ウサギの討伐は少なくとも100人規模の小隊で行うのが従来までの作戦の定跡であったが。
「なんか絶対に殺せみたいになってるけど」
「そうでないと人類に未来はありません」
「ああ、うん。知ってるよ。そうらしいよね。知らないけど。でも俺たち、仕事としてはね」
「ジェイソン井上氏。私たちはあなたが第四、第五の白ウサギ殲滅作戦において、きわめて優秀な仕事をした事を知っています」
「優秀なんかじゃないよ。人助けが得意なだけ。あと、証拠を残さない様に、こっそりいろいろするのが、普段の仕事だからね、」
殲滅は、井上の専門ではない。
井上はあくまでヤエル49の組織が外部に漏れないような証拠隠滅が主な仕事なのだ。
「サポートという立場でありながら【白ウサギ】との交戦経験があり、生き残ったという実績は高く評価できます」
「うん。評価はいいんだ。ありがとう。うれしいよ。はい。……いや、他が死んだから、俺が生き残っただけだよ。運がよかったんだ。優秀な奴ほど早く死ぬ」
「私は死なせない。」
するとスープラは銃を抜き取り、自身の頭を撃ち抜く。
眼から上の頭部が砕け散る。無数の飛沫が飛ぶ――。
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