初めての下呂温泉
去年の今頃に緊急事態宣言の合間を狙って、我慢していた1人旅熱を冷ますために1泊2日の下呂温泉への旅行に行きました。その日もここ数日のような秋晴れの日で、たまたま平日の連休があったので、2、3日前に行こうと決めて宿の予約だけして電車に乗ったのでした。
実の所を言うと、下呂は僕の実家のある飛騨地方にあるのですが、車で1時間半ほどの中途半端な距離ということもあって、恥ずかしながら下呂温泉自体入ったことが無かったんです。また、公衆浴場も意外に少なく、趣味である考古学の遺跡の分布調査に訪れることはありましたが、温泉には立ち寄る事はありませんでした。そのため、一度ちゃんと下呂温泉に浸かりたいと思っていました。
温泉目的で1人旅をし始めると、限られた時間でいかに良質な温泉に入れるか考えながら行程を考えるように自然となりました。せっかく入るならと、源泉掛け流しの温泉に入りたい。しかし、意外に温泉地として名前が知られている温泉でも、泉質に個性が無かったり、温泉供給を安定して維持するため複数の源泉を混ぜて各温泉施設にパイプで供給するシステムを取ってたりして、あまり温泉そのものが印象に残らないこともあるのです。さらに、お湯を循環濾過して塩素消毒をしている所に当たってしまうと、強い塩素臭にガッカリすることしばしば。下呂温泉も実は街の中央を流れる飛騨川の河原から掘削した源泉を複数引いたものを、混ぜて各施設へ供給しており、循環濾過をしている所がほとんどです。その中でも、何とか源泉掛け流しの所はないか探してみた所、一件気になる民宿「松園」を見つけ、下呂温泉の泉質重視ならこことの口コミを読んで、予約したのです。
下呂には、別の記事に書いたように、湯ヶ峰という小さな火山があり、その火山から流れ出した溶岩の流紋岩、通称下呂石が旧石器時代以降石器の石材として利用されてきました。また、火山があるため、高温の温泉が沸いています。飛騨地方でも焼岳や御嶽山周辺は、現在進行形の火山の影響がありますが、南飛騨の標高も高くないこの場所に火山があるのは不思議な感じもします。
下呂中心部から湯ヶ峰を眺める。
大学で考古学を学んでいましたが、僕は希望として大学院まで行って、旧石器のより専門的な研究がしたいと思っていました。しかし、ちょうど就職氷河期の時代に専門分野で将来的に生き残る自信が無くなっていき、それまで欠かさず出席していたゼミに行かなくなってしまいました。その後半年卒業が遅れたのですが、恩師の教授が声をかけてくれて、先生の研究室を僕が卒論を規則正しい生活の中で書けるように日中開けてくれたのでした。今思うと、当時は考古学という自分の得意分野、他の人には譲りたくないバックボーンが揺らいでいて、アイデンティティーが危機に陥っていたのだと思います。そのため、先生に対しても虚勢を張って、反発するような痛い言動をしていたと思うのです。それでも、先生は門戸を開いて、そっと見守ってくれました。本当に程良い距離で。そのおかげで何とか卒業論文は提出し、卒業できたのでした。その時の卒業論文のテーマが、子どもの頃から携わってきた、下呂にある大林遺跡の下呂石製旧石器の内容だったのです。あれだけ好きだった石器の論文を書くのだから、卒論を書くのは楽しかったのかと言えばそうではなく、その時は既に考古学の進路に進むのを諦めていたので、どちらかというと淡々と作業的に取り組んでいました。ありがたい事に、石器の実物を扱わせて貰って、実測図(石器がどの様な加工がなされているか、どの順番で割られているかを記した図面)を自分で書いて、そこからその遺跡での特色を分析する過程を一通り体験できたのは、今思うと贅沢な体験です。
卒業論文を描き終えてから、僕は考古学、下呂石とは縁のない生活を送りました。卒業してからは、フリーターの時期があり、その後介護の専門学校に入り直し、介護の仕事をする中で、時々思い出す考古学の事は苦い思い出のような、過去の古傷の様になっていきました。
そういった色々複雑で、少し苦い思い出のある下呂ですが、大学卒業から17年ほど経って、日にち薬が効いてきたのか、もう一度フラットな気持ちで下呂に行けるのではと思ったのです。久しぶりに降りたった下呂は、昔訪れた印象とはまた違う場所でした。ちょうど稲刈り前の稲穂が棚田で揺れる美しい時期で、水が豊富なので大量の山水が田んぼ脇の水路を通っている様子や、川沿いの石垣から湧水が沸いている様子を見て、清々しい気持ちになっていました。そして、気分が良くなったので、思い出の場所大林遺跡まで歩いて行ってきました。山道で、急な坂道が続くのであまりお勧めはできませんが、全く苦にはなりませんでした。
道中物音がしたので、「クマ?」と焦りましたが、カモシカ様でした。
久しぶりの大林遺跡は昔の印象とは少し変わり、昔100歳近いおばあさんが住んでた家があったのですが、おばあさんは他界され、今では旧家をリノベーションしたお洒落な料理屋さんになっていました。そして、あれだけ下呂石だらけだった遺跡も、下呂石の小さな欠片を見つけるのが一苦労という状態でした。月日が経ったんだなと感じる反面、石器を夢中に拾いまくっていた中学生の自分が今も畑の隅にいそうな不思議な気持ちにもなりました。
遺跡を巡り、時には下呂石が山の斜面から顔を出しているのを見つけたりと(下呂石の原石は湯ヶ峰近辺の土壌に広く含まれているので)、思いのまま歩き回ってふと気づくと、足が疲れてパンパンでした。スマホの万歩計を見ると20キロくらい歩いていました。やっぱり夢中になってしまうなと苦笑いです。さすがに足が痛くなりそうなので、宿にチェックインして早速温泉に浸かる事にしたのです。
どう見ても親戚の家。というくらいの宿に極上温泉が。■民宿「松園」http://www.gero-spa.or.jp/search/31.html
ネットの口コミで内湯しかなく、湯船が小さいとは聞いていましたが、確かに小さい。でも、空いてさえいれば都度貸し切りなので、温泉を独り占めできるのです。浴室に入って立ち込めるほのかなゆで卵の香り。掛け流しのため、前に人が入っていないとかなりの高温です。熱いお湯に浸かります。「熱っー!」一気にじわーっと鳥肌が経ちますが、疲れた足の感覚が和らぎます。無色透明ですが、硫黄の香りから紛れもない温泉なのが分かります。小さな浴室だと、湯気で浴室が温泉で満たされて、下呂温泉でここまで温泉を生々しく体験できる所はないのではと思いました。また、アルカリ性単純温泉のため、浴後お肌のツルスベ感が違いました。下呂温泉の成分は温泉成分の濃度は意外に薄いそうで、個性がないと思われるかも知れませんが、実は刺激がない優しい温泉と言えるのです。だから、お肌がデリケートな人に合っていると思います。実際浸かってみると、下呂温泉の個性をしっかり感じられました。僕にとっては、故郷の優しい母性の温泉という感じでした。
その日の晩は、地元の居酒屋に行き久しぶりに鮎の塩焼きなど、地の物を中心に頂きました。僕のお爺ちゃんが投網を使って鮎を採っていたので、久しぶりに食べた鮎は小ぶりで、秋の鮎はもっとボリュームがあって卵や白子が最高だったのになと、思う反面お爺ちゃんに食べさせてもらった贅沢な思い出を噛み締めていました。
終わりに
旅行記を書いていると、何度も行ったことがある行き慣れた場所でも、良い旅というのはずっと頭にその思い出が残っていて、またすぐにでも行きたくなります。そういった旅をこれからもしていきたいです。下呂への旅は僕の個人史と強く結びついていて、一つの青春の終わりと、新たな出会い直しをしてきた旅だったと感じています。旅というのは、ただ単純に娯楽やストレス発散という側面もありますが、その時の心のあり方や、置かれている状況、目的地への思いや関係性によって、全く違った印象になり得るのだと思いました。そして1人で旅をすることが、自分の今までとこれからを心静かに考える良い時間でもあると思いました。
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