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これは一人のみずみずしい女性芸術家の人生物語。ムーミン作者トーベ・ヤンソンを描いた映画『トーベ/TOVE』:フィンランドの専門家によるレビュー

 ※本記事に映画のネタバレはありません。

こんにちは。フィンランド生涯教育研究家・石原侑美です。
今回は、フィンランドの専門家の視点でみた、フィンランド/スウェーデン合作の映画『トーべ/TOVE』の映画レビューです。

フィンランドや北欧が好きな方、ムーミンが好きな方で、この映画を見たい!またはもう見た方が、さらに面白く映画を楽しめるように記事にまとめました。

『トーベ/TOVE』どんな映画?

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写真:映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト
(C)2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

この映画は、ムーミンの作者で知られるアーティスト、トーベ・ヤンソンの半生を切り取った作品。

トーベ・ヤンソンは1914年フィンランド・ヘルシンキ生まれ。彫刻家の父と画家の母の芸術一家で育ちます。トーベ自身も画家としての道を模索しますがうまく軌道に乗らず、トーベが落書き程度に書いていた「ムーミントロール」の世界を、あるきっかけで出版したことで、世界中でヒットします。

本作は、ムーミンの作品が誕生する前後のトーベの人生を中心に描いています。

あらすじは以下の通り。

第二次世界大戦下のフィンランド・ヘルシンキ。激しい戦火の中、画家トーベ・ヤンソンは自分を慰めるように、不思議な「ムーミントロール」の物語を描き始める。
やがて戦争が終わると、彼女は爆撃でほとんど廃墟と化したアトリエを借り、本業である絵画制作に打ち込んでいくのだが、著名な彫刻家でもある厳格な父との軋轢、保守的な美術界との葛藤の中で満たされない日々を送っていた。それでも、若き芸術家たちとの目まぐるしいパーティーや恋愛、様々な経験を経て、自由を渇望するトーベの強い思いはムーミンの物語とともに大きく膨らんでゆく。
そんな中、彼女は舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーと出会い激しい恋に落ちる。それはムーミンの物語、そしてトーベ自身の運命の歯車が大きく動き始めた瞬間だった。
引用:映画『トーベ/TOVE』公式サイトより

フィンランドにおける同性愛

トーベ・ヤンソンについては長らく「独身を貫いた女性」として認識されていましたが、LGBTQがオープンに語られるようになった最近になって、女性のパートナーがいたことが広く知られるようになりました。映画でも女流劇作家であるヴィヴィカ・バンドラーとの恋模様が描かれています。

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写真:映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト
(C)2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

しかし、トーベが生きた時代のフィンランドでは、同性愛は「精神疾患」として指定され、また刑法において犯罪として最大2年の懲役の実刑か課されていました。1894年に作られたこの法律は、約80年後の1971年に非犯罪化され、1981年に疾病分類リストから削除されました。トーベ・ヤンソン自身が同性愛について処罰された記録はありません。本人も自分の両親にカミングアウトしたり、公言していたわけではないようです。

現代のフィンランドでは、同性婚が2017年より合法化され、正式に家族として暮らせる環境です。

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フィンランドを含む北欧というと、同性婚や同性愛に寛容なイメージがあります。少なくとも現代においては、同性婚の合法化やLGBTQに対する理解があることが、寛容なイメージにつながっています。けれど歴史を見ると、同性愛については非常に厳しく取り締まっていました。この「厳しく」というのは、日本の歴史と比べての話ですが。

というより、日本は歴史的に同性愛については、寛容でした。江戸時代の三代目将軍・徳川家光は男色だったという噂が有名ですが、一説によると、それは縦社会が起因しているとも言われています。この日本の歴史における「同性愛」については、私が主宰するElämäプロジェクトのFacebookLIVEで2021年11月10日(水)21:00〜和文化の専門家たちを招いてトークしますので、より深く知りたい方はぜひお聞きください。

話を戻して、そんな同性愛に厳しい時代に生きたトーベは、映画の中ではとても素直でまっすぐに、「これでもか!」というほどヴィヴィカに愛を表現している様子が描かれています。同性愛だの、異性愛だのを越えた「人を愛する」ことの、眩しいくらいの愛情表現が詰まっていました。
このトーベの眩しすぎる愛が、映画のストーリーの中心にあります。詳細はぜひ映画でご確認ください。

フィンランドの映画なのに、なぜスウェーデン語?

フィンランドの専門家として一番注目したのは、この映画のほとんどがスウェーデン語だったことです。一部のシーンでフィンランド語、英語、フランス語がありましたが、登場人物は基本、スウェーデン語で話されていました。

なぜフィンランド映画なのにスウェーデン語が話されていたのか?
それは、実際のトーベ・ヤンソンがスウェーデン語系フィンランド人だったからなのです。

フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語。
スウェーデン語系フィンランド人とは、スウェーデン語を話すフィンランド国籍の人のことで、現在は人口の約5%がそれに当たります。いわゆる文化的マイノリティであることは確かで、現代に生きるスウェーデン語系フィンランド人は実際に、「フィンランド人」としてのアイデンティティはあるものの、言語や教育などにおいて文化的マイノリティ特有の生きにくさがあることは事実です。

しかし、フィンランドにおけるスウェーデン語系フィンランド人については、一般的にイメージする弱者としての文化的マイノリティとは少しニュアンスが違います。それは、フィンランドの貴族や上級層の人たちが話す言語がスウェーデン語だったからです。

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写真:映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト
(C)2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

フィンランドは1200年ごろ〜1800年ごろの約600年間、スウェーデンの統治下でした。その後、1800年代の約100年はロシアの統治下になったフィンランドですが、1917年にフィンランドが国として独立します。実はフィンランドは、約100年前にできた新しい国なのです。そんな国の成り立ちがあって、スウェーデン語を話すフィンランド人は伝統的に存在し、1900年代前半においては上級層が話す言葉として存在していました。

フィンランドの歴史について詳細はまた別の機会に書くとして、映画トーベを見るにあたって大事なことは、1900年代前半の戦時中〜戦後の貧しい時代を画家や芸術家として生きたトーベは、スウェーデン語系フィンランド人であった、つまり当時のフィンランド社会の中で比較的上級層にいたことを物語っています。

映画では、オールディーズや往年のジャズナンバーの音楽が流れる中、1900年代のフィンランドの社交の場の雰囲気を楽しめます。

※注意
フィンランドでは、統治されていた時代が長いという国の成り立ち上、イギリスやインドのような「階級」というシステムは存在しませんが、なんとなく社会の層として分けて考える上で「上級層」という言葉をあてました。現代のフィンランドでは「対等と平等を重んじる社会」ですから、「上級層」という言葉が適切ではないと考えるのが一般的です。今回は、北欧に興味のある日本の皆さんに向けてわかりやすい表現を選択しました。あしからず。

フィンランドにもあった戦争と戦後の光と闇

トーベが生まれた年から3年後の1917年、フィンランドはロシアから独立し、「フィンランド共和国」が建国されました。フィンランド独立後は、翌年に内戦があったり、第一次及び第二次世界大戦に巻き込まれ、フィンランドの森では激戦が繰り返されていました。これらの戦争で述べ10万人以上が犠牲になったフィンランドは、経済的にも社会的にも大きく痛手を被った国の一つでした。

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映画では、爆弾の音が鳴り響く戦時中にムーミンの絵を書いているトーベの姿からスタートします。

その後1950年代〜60年代にかけて、日本と同じようにフィンランドも戦後復興をしていきます。映画で描かれている時代は、まさにフィンランドが戦後復興の真っ只中の話で、時代が生きる喜びと物を豊かにする勢いが感じられます。1950年代のムーミンの世界的ヒットは、まさそのエンターテイメントやアートにお金が巡り始める時期とも重なっています。

その大ヒットによって、ムーミン作品を大量に生産しなければならない「質より量」を求められることにトーベが苦心していくのですが、映画ではその時代の話はありません。続編が作れそうな形で映画が終わっているので、その際はぜひそこの苦悩を見たいものですが、映画のストーリーの中で、戦後の芸術家の集まりで見える「生きることの喜びと苦しみ」が垣間見えます。

芸術家、あるいは上級層が集まるパーティーのシーンで、人々は楽しく会話し踊りながらも、おそらくアルコール度数40度以上ありそうなキツいお酒を何杯も一気飲みするシーンがあります。

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実は、1960〜1975年のフィンランドはアルコール消費量が急増し、アルコール中毒患者の増加が社会問題になる程でした。キツい体力仕事が終わったら、バーでお酒を飲んで帰るか家で酒を飲む、寒くて日照時間の少ないフィンランドの当時のレクリエーションは限られており、お酒を飲むことが楽しみだった人が多かったと想像されます。

現在はアルコールに関して日本より制限が厳しく、アルコール販売は夜9時まで、度数の高い蒸留酒の製造の禁止(フィンランドでウィスキーを製造できない)、飲酒による健康被害の啓蒙活動(学校でも学びます)など、戦後の苦しみと反省を現代フィンランド社会に多く活かしています。

映画では戦争に関して多くは描かれていませんが、そういったフィンランドの戦後背景を知っておくと、トーベの性格やキャラクターの解釈を多角的に楽しめることでしょう。

ムーミンの世界観は外して。1900年代を生きたみずみずしい女性芸術家の物語。

ムーミンの可愛くて、でも深くて悟り深いキャラクターの世界観を想像してこの映画を見ると、あまりにもギャップがありすぎて、「期待はずれ」なんて思ってしまう方もいるだろうなぁと思いながら、映画を見ていました。

そう、トーベ・ヤンソンという女性は、1900年代前半の戦争と戦後を生きた芸術家であり、イラストレーターであり、ムーミンの作家なのです。時は経済的に貧しい時代、皆が困難を乗り越えて、「生きること」に喜びを感じたり苦しんだりする泥臭い時代なのです。そんな中でトーベは大ヒット作を生み出した作家なのですから、人生一筋縄ではなかったことは想像に固くありません。

そんな時代の中で目立つトーベの特異性は、素直で、真っ直ぐで、子供のような純粋さと鋭い洞察力は、周りの人を虜にしていく様子が映画で描かれています。

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写真:映画『TOVE/トーベ』オフィシャルサイト
(C)2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

子どもと大人の内在、このトーベの性質がムーミンの世界観のベースになっているんだと映画を見て発見しました。そう、実はこの映画、ムーミンファンの方にはたまらないポイントがたくさんあります。

ムーミンファンの間では有名ですが、ムーミンのキャラクターは、トーベの家族や友人がモデルとなっているので、そのモデルとなった登場人物が次々に出てきます。
ムーミンパパはトーベのお父さん、ムーミンママはトーベのお母さん、その他スナフキンのモデルとなったトーベの友人や、後のトーベのパートナーでトゥーティッキのモデルとなったトゥーリッキも登場します。

そしてこの映画では、ムーミン作品に登場する切っても切れない仲良しの二人組トフスランとビフスランのモデルとなった、トーベとヴィヴィカのお話が中心となります。

私がお勧めするこの映画の鑑賞方法は、
1.ムーミンの世界を深く知ってこの映画を楽しむ
2.ムーミンの世界と切り離して、一人の女性芸術家の人生物語として楽しむ方法

2つのどちからです。中途半端にムーミンを想像してこの映画を見ないことを強くおすすめします。

前向き・ポジティブは、時に闇を炙り出す凶器にもなる

この映画では、トーベが眩しいくらい素直で純粋、そして愛にまっすぐな姿が描かれています。苦悩しながらも生き生きとしているトーベは、周りを虜にしていきます。そんなトーベの映画を見て私自身改めたいと思ったこと。それは、前向きな人、生きることにポジティブな人は、周りの人を惹きつけながらも、その前向きさ、ポジティブ思考が眩しい光のように見えて、自分の闇を炙り出したり、自信をなくさせたりすることを痛感させられました。

映画の中で、トーベは眩しいくらいに生きることにまっすぐで、愛をストレートに表現します。けれど、そのトーベの眩しさを受け止められず…そんなシーンがあります。

詳細はネタバレになりそうなのでぜひ映画でチェックして欲しいですが、映画が終わってから振り返ると、ああ、私もそうだ、「ゆみさんがキラキラして見えました」「ゆみさんと話すと前向きな気持ちになれる」と言われる性質の人だったなぁと、ふと我にかえりました。

大学院修了後、すぐにフリーランス経営者になり、結婚して田舎に移住した私は、周りから見れば前向きに、生きることに積極的で行動的に見えるようで、一見するとキラキラした経歴で、職業上前に出て話す機会が多いため、周りにはそのように映るようだと、最近感じます。まして現代はSNS全盛期。SNSで発信しているところしか印象に残らないため、余計にキラキラして見えるのかもしれないのです。

でも、私の視点では必死に自分の幸せな生き方を模索しているに過ぎません。「私の幸せはこれかもしれない」と探してみて、見つけて、行動してみて、失敗して、また次の行動を起こして、失敗か成功かもわからないまま次のことを起こして…の繰り返しなのです。トーベと同じく生きることに必死で、自分の生きる道を模索して、自分の情熱を人や仕事の注ぐ、この心の熱量、勝手ながらシンパシーを感じてしまいました。

だからこそ、私のような性質の人は知っておいた方がいいのかもしれない。
「自分らしく必死に幸せな生き方を模索するその生き様は、人に勇気を与えつつも、自信をなくさせたり、闇を炙り出しているかもしれない」
ということを。

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でもこれって、「闇を照らしてあげなきゃ!」「自信を持ってもらおう!」と下手に行動するより、ただ知っておくだけでいいのかもしれない、と思っています。結局闇を照らせるのは、その人自身しかできないのだから、焦らず、干渉せず、ただ待つこと。それが最大の愛情表現なのかもしれない。

そんな思いを頭と心にぐるぐる巡らせながら、映画館を後にしました。

この記事を通して、フィンランドやトーべ・ヤンソンの背景を少し深掘りすることができましたでしょうか。
この背景をベースにぜひ映画を楽しんでみてください。映画を通じてさらに深い対話が生まれると幸いです。

『TOVE/トーベ』
全国公開中
配給:クロックワークス
(C)2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

公式サイト https://klockworx-v.com/tove/

石原侑美
フィンランド生涯教育研究家、Elämäプロジェクト代表
専門分野は国際関係学、文化人類学、教育学(Pedagogy)。大学院修士課程在学中のテーマは「韓国と台湾の若年層における日本大衆文化と対日感情」。ブランド・コンサルティングの会社を起業以降、教育・製造・自治体でのブランド構築事業に携わりながら、フィンランドの教育文化を研究し、「人が自立しながら豊かで幸せに生きる文化」を追究し続けている。

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