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とある研究者夫婦の里親奮闘記 その4

気がついたらまた1ヶ月が経過していました。忙しすぎて色々と後手後手に回っている気がします。関係各位、すみません。

さて、前回の記事(その3)では里親登録が完了してから電話で子どもの紹介を受けていたときのことを書きました。今回(その4)は、電話で紹介を受けてから実際に息子に出会うまでの数ヶ月についてを書いていきたいと思います。ちなみに私のキャリア形成という意味では、この数ヶ月間が最もシビアな決断を迫られた時期だったのではないかと思います。


「候補家庭、1位になりました!」

2019年の秋、児相からひとりの男の子の紹介がありました。いつもの通り、夫婦で1日考えてからエントリーする旨を電話で回答しました。エントリーしては「ご縁がありませんでした」となることが何度も続いていたことから、「〇〇くん(紹介のあった子ども)に良い出会いがありますように」という気持ちに切り替わりつつあったような気もします。

エントリーして1ヶ月ほど経った11月の終わり頃、職場で児相からかかってきた携帯電話に出ると担当方の声が少し弾んでいて、なんだかいつもと違う様子。これはもしかして….

「候補家庭、1位になりました! 」

当時の私は相部屋だったので廊下に出て電話を受けていたのですが、めちゃくちゃ嬉しくて、廊下でかなり挙動不審な動きをしてしまったのを今でも覚えています。

交流を始める前に

候補家庭1位になったからといって、すぐに子どもとの交流がスタートするわけではありません。電話で紹介のあったときには伝えられていなかった詳細な情報などの説明を受け、さらに私たち夫婦サイドの受け入れ環境などについても改めて面談等での確認があるとのこと。家庭訪問の日程を調整し、慌てて資産状況や雇用関係の書類を取り揃えるとともに、職場に育休が取得できるかどうかの問い合わせもしました。2019年12月のことです。

民間のあっせん業者を介した養子縁組ではなく、児童相談所を介した特別養子縁組里子の受託をする場合、正式委託となるまでに半年ほどの時間をかけて少しずつ子どもとの交流を進めていくのが通例となっています。(子どもの月齢や状況によって、数ヶ月のこともあれば1年ほどになることもあります。)

この交流期間の最後に「長期外泊」という1ヶ月のお泊まり期間があります。この期間は保育園に預ける等が禁止されており、夫婦のどちらかが必ず子どもに付きっきりでいなければなりません。児相の方から「この期間がきちんと対応できるか、面談までに職場にも確認をとっておいて欲しい」と言われ、私の方で育休を取れるかを確認することにしました。

立ちはだかる育休の壁

「育休とるなら女でしょ」というような考えは私は大嫌いですし、相方もそんな人間ではありません。(というか、そんな人間だったらまず結婚していない笑)。ただ当時は、夫はすでにテニュア准教授で指導学生も抱えている状況だったのに対し、私は任期付の助教でした。育休を取得するためにしなければならない調整事項が圧倒的に私の方が少なかったことから、夫婦で相談して私が育休をとろうという話になりました。

ところがいざ問い合わせてみると…

「育休はとれませんし、特例の議論もしません。」

それはもうびっくりするレベルで冷たく、けんもほろろに突き放されてしまいました。通常のルートではなく、誰か学内の権力者を味方につけてから慎重に話を持っていけばまた違った回答だったのかもしれません。ただ、あまりの冷たさにすっかり心が折れてしまった私は、規程を変えるために努力することは諦め、児相には「長期外泊は夏休み等にタイミングを合わせ、私と相方が有休を最大限活用してなんとかするか、もしくは私が仕事を辞めて対応します」と回答することにしました。

なぜ育休が取れないのか

里親奮闘記その1でも少し触れましたが、育児・介護休業法の改正(2017年1月1日施行)によって「特別養子縁組の監護期間中の子、養子縁組里親に委託されている子等」も育児休業等が取得できる対象となっています。当時私が勤務していた東京工業大学でも、この法改正に対応した育休規程となっていました。

それでも私が育休を取れなかった理由。
それは、以下の2つでした。(任期付きだから取れないという訳ではありませんでした。)

  1.    「長期外泊」含む交流期間は、正式な委託前なので対象外(児相の方によれば、会社によっては交流プロセスの実態を考慮して対象としてくれるところもあるそうですが、東工大はNGでした)

  2.    正式委託後も子どもの年齢が3歳を超えるので対象外

いやいや、規程に「その他、学長が特に必要と認めた場合」って書いてあるじゃん! 必要じゃん! 認めてよ! せめて審議に回してよ!! 
といっても、大した研究業績もないジョボい任期付き助教ひとりのためなんかには動いてくれるはずもなく。このときほど、自分が大学にとって考慮に値しない取るに足らない研究者であることを情けなく思ったことはありませんでした。

っていうかさ、法律もさ、育休1歳(最長2歳)までとか、自分(もしくはパートナー)が妊娠・出産するケースしか考慮してなくない? 特別養子縁組の委託期間も対象にしてくれたのは素晴らしい前進だけど、1歳までとか無理でしょ。子どもの年齢が上がってくると極端に希望する里親が減るの、里親のわがままとかじゃなくて、育休取れないせいも多分にあるんじゃないの???

里親・里子のケースも考慮して欲しいし、他にもステップファミリーとかも増えてきていることを考えると、1歳という年齢で区切るのはおかしいんじゃないですかね。たとえば「育休を取得する必要が生じた日から1年が経過する間」とかに改正できないか、是非検討して欲しいと今でも思っています。


はじめての写真

育休は取れないということがわかり、それでNGが出たらどうしようとドキドキしながら迎えた家庭訪問の日。この日、はじめて子どもの写真を見せてもらいました。

うおーーーーー
かわいいーーーーー!!!

完全なる語彙の喪失ってやつですね。
ちょうど見せてもらった写真では、子どもがクルマのおもちゃで遊んでいて、クルマ好きの私は「もうこれは運命だ!」と大興奮。
これくらいの歳の子ども(2歳4ヶ月)の多くはクルマで遊んでいると思いますが苦笑

子どもを担当する区の児相の方とはこの日が初対面だったのですが、私たち夫婦のマイペースさはこの面談で伝わったような気がします。

この日、私たちの方からは育休が取れないこと、そのため長期外泊は授業のない期間に合わせたいこと、2人とも裁量労働制なので時間をずらしながら対応できること、たまっている有休を一気に使う予定であること、委託後は保育園を利用することを考えていること等を説明しました。子担当の児相からもそれでOKが出たことから、無事次のステップ(子どもとの顔合わせ)に進めることになりました。

キャリア選択のこと

私たちのように里親として子どもを迎える場合でも、また自身(もしくはパートナー)が妊娠・出産して子どもが生まれる場合でも、新しい家族ができるということは、それまでのキャリアや働き方を見直すことになる大きな出来事だろうと思います。

私の場合、「仕事をやめて家庭に入る」というキャリア選択を考えたことはこれまでの人生で一度もありませんでした。その私が、育休が取れない現実を突きつけられ、初めて「仕事を辞める」という選択肢を本気で検討しました。このことは、少なくとも私にとってはかなりシビアな問題でした。

特任という不安定な身分を渡り歩き、ようやく任期付とはいえ「特任」が外れた部局構成員になれた矢先のことでした。せっかく候補家庭の1位になれたのに育休が取れないという現実にぶつかり、キャリアを中断する覚悟をしたときの、当時のなんとも言えない気持ちは今でもはっきりと覚えています。生涯賃金がまたドンドンと下がってしまうことを虚しく思いつつ、学振のRPD制度でなんとか復帰を目指そうと考えていました。

最終的に私は、仕事を辞めるのではなく、より安定した条件の大学への「異動」というキャリア選択をしました。どうせ育休が取れないのであればキャリア上の大きな変化は全部ぶつけてしまえと、今思ってもかなり無謀な選択をしたなと思います。



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