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石上ニモの笑った話No.027:20円で笑え

 例えば、一回の買い物で、クーポンを利用したりポイントを溜めたりして、20円得できるとする。この20円の得を嬉しいと感じる人間と、そうでない人間がいる。

 時と場合によるけれども、私は、基本的に嬉しくない派だ。

 まず、ポイントカードに類するものが、昔から好きではない。ポイントカードを管理したり、たまたま持っていくのを忘れたり、財布から出し入れしたり、有効期限が切れて使えなかったり、「いついつまでにポイントを使わなきゃ」という思いに脳のリソースを取られたりすることが好きではない。もう少し言えば、それで得られるのが、20円という誤差レベルの金額であることが嫌だ。そういう管理工数を払うのであれば、数千円くらいは得したい。私にとっては、それらの雑事が生活の中でランダムで発生するストレスは、まあまあ大変なことなのだ。

 似たような話で、数十円、数百円を浮かせるために遠くのスーパーに買い物にいくような行動も好きではない。その動きに1時間かけていたりするのが好きではない。極論にはなるが、そうするくらいならば、少々高くても近場のスーパーで買い物を済ませ、その1時間を労働に充ててお金を稼いだ方がいくらかマシだ。そうでなくても、浮いた1時間を楽しく過ごす、ということでもよい。時間は大事だ。1時間を数百円と引き換えることは、基本的にはあってはならない。共感を得られなかったときが怖いので、リアルではあまり言えないけれど。

 昔の職場で、このような20円の"浮き”を、無邪気に愛する先輩職員が隣の席にいた。朝、出勤すると、

「いや~、今日、20円得しちゃってさあ」

などと話しかけてくる。毎朝毎朝、非常に苦痛だった。価値観の違いを痛烈に感じる。その話に、何の旨味も感じることができない。どれだけ真剣に聞いてみても、結局は「あえて少し遠いドラックストアで水を買ったら20円安かった、超嬉しい」という話でしかないからだ。得てして、こういう手合は、「良かったですね」と相づちを打つ私の目が、ペンタブラック並に黒く沈んでいることに気がつかない。

 勇気がなくて最後の最後までチャレンジできなかったけれど、

「1万円あげるから、私に二度とそういう話をしないでください」

と言ってみたかった。心情的には、あれがなくなるのならば、1万円くらい払っても問題なかった。それくらい、価値の低い話に自分の時間と体力を遣うのが嫌だった。

 こういうことを言うと、「お前みたいなやつが、いざというとき、20円で泣くんだ」という、昭和初期の価値観かと思うようなセリフをぶつけてくるやつが出てくる。それならそれでいい。100歩譲ってそれが本当だとしたら、私はいざというとき、20円に泣くことを甘んじて受け入れる。その代わり、お前はお前で、20円で笑っていろ。いざというときも、いざとはいわないときも、常に、そういう類の20円で笑っている人生を過ごしていろ。いいか。小銭を得ることに執心するあまりに、自分の人生をないがしろにしていることに気づかない者よ。笑え。20円で笑え。

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