「湯呑 春秋沈金 総朱」(「悪との距離」)
山中塗の湯呑に、輪島の作家さんによる沈金を施しました。
模様は、「春秋」。
川の流れと、そこに舞う桜と紅葉というデザインです。
詳しくは、当店のホームページから、どうぞ。
さて、今度は、「悪との距離」という台湾ドラマを見ました。2019年の作品。
出演は、色々と有名な人は出ているのでしょうが、自分が知っていたのは、ウェン・シェンハオ、チョウ・ツァイシー、ツァン・ペイツー。
台湾の催事の時に、通訳の大学生が面白いと言っていたので、見てみました。
主人公タージーは、兄が無差別殺人を起こし服役中のため、名前を変えて、ひっそりと暮らしている女性。
そんな彼女が、アルバイトをしていた放送局で手腕を買われ、編成業務を任されることになります。
しかし、そこで上司になったチャオアンは、タージーの兄によって息子を殺されてしまった女性で・・・。
ここに、タージーの兄を死刑から救おうと奔走する弁護士、タージーの友人の弟で、精神を病み始めている元映画監督の物語が絡んでゆきます。
この話は、何を言いたいのだろう?
無差別殺人犯の心理に迫ることで、彼の動機が明らかになり、そこから登場人物たちの心情に変化が訪れる、みたいな話でしょうか?
と思いきや、前半で、タージーの兄は、あっさりと処刑されてしまいました。
この辺まで来ると、ようやくこの物語のテーマは、悪そのものではなく、身近な所に突然、悪とされているものが現れてしまった人間が、その悪に、どう向き合うのか、だと分かりました。
だからタイトルが、「悪との距離」なんですね。
兄が殺人を犯したために、隠れるように生きなければならなくなった主人公。
息子が殺人を犯したために、社会から非難され続ける両親。
息子が殺されてしまったために、心を閉ざし、夫、娘と心を通わせることができなくなってしまった妻。
弟が精神に異常を来してしまったがために、婚約を解消することになってしまう女性。
この物語の中から浮かび上がるのは、社会が悪をどう扱っているのかです。
今まで特に考えたこともありませんでしたが、我々の社会は、異端が現れると排除し、また新たに異端が現れると、また排除し、の繰り返しで成り立っています。
しかし、このドラマは、そんな当たり前に疑問を投げかけます。
ただ異端を排除するだけでは、ずっと同じことの繰り返しで、不運な犠牲者を生み出し続けるだけではないのか?
異端となってしまった人達を理解しようとすることで、この連鎖を止めることができるのではないのか?
同じテーマを日本で扱うと、ひたすら人間の暗部を晒すだけで終わりそうです。
しかし、この作品は、相手が自分と違う人間であろうとも、理解に努めることで、悪の量を減らすことができるのだという、台湾らしい性善説に基づいた物語となっていました。
色々と考えさせられますし、暗い話ではありながらも、暗くなり過ぎないように作られています。
それに、全10話と、台湾ドラマにしては短いですので、見やすいと思います。
興味がおありの方は、ぜひ、どうぞ。
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