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持続可能な日本文化の価値

先日、あるヨーロッパの日本武道武術研究者である友人と話す機会がありました。

彼は西洋の武術について、使われなくなった技術はどんどん忘れ去られる一方だと語ります。

どう言うことかと言えば、例えば、中世ヨーロッパの戦場で使われていた当時の戦術などは現代に再現しようと思ってもなかなか難しい。

なぜなら、誰もその技術を継承していないから再現しようがないのだそうです。

現在、研究している人たちはいるようですが、あくまでも研究対象なだけのようで、どこまで再現されているかははっきりとはわかりません。フェンシングなどもありますが、あれは競技であり、ルールの上で成り立っているものです。戦場で使えるものではありませんし、ルールが変われば技も変わります。

ところが、日本の剣術などは、武術武道として現代まで継承され、生き続けているため、再現が可能だといいます。

日本は今では戦争に刀を使うことはありませんが、その技術は未だに学び続けられ、その技術を学びたいと思えば学ぶことが可能な環境が、いまだに日本にあるということ自体がすごい!と、その友人が感動しながら語ってくれました。

(しかし、今の問題として伝統技術の継承者が圧倒的に少ないのが現実のようです。そのため現在はYouTubeなどで門外不出の技術を解説している方も見受けられます。このままでは貴重な技術が後世に残せなくなってしまう焦りもあるようです。この話はまた別の機会にできたらと思います。)

私はこの技術継承の話を聞いて、日本ほど持続可能な社会を築けている国はないな、と改めて感じました。

ヨーロッパの人たちも歴史や伝統を大切にする民族ですが、そんな彼らが日本に来た際には驚きを隠せません。

なぜなら、現代でも昔と変わらない文化や景色が残っているからです。

日本人からしたら、なんでそんなに驚くの?と思ってしまうかもしれませんが、よく考えて欲しいのです。

例えば、日本の奈良にある法隆寺に代表されるようなお寺は遺跡ではなく、今でも信仰の場として機能しているということです。

ギリシャの神殿はただ観光地として保存されているだけなのに対し、日本のお寺は現代においてもその本来の役割を果たしているのです。

そして、そのような場所は日本全国各地で見ることができます。これってよくよく考えたらすごいことですし、誇りに思っていいことです。

こういった風景はヨーロッパではなかなか見られない光景です。戦争で負けてしまえば、その国の文化や建築物、言葉まで破壊し尽くされてしまうからです。

日本の持続的な文化は、その昔から変わらない価値観と精神によって支えられているのだなと感じさせられます。

現代に視点を移せば、大量生産大量消費は確かに便利で効率がいいですが、資源に限りがある以上持続可能な社会になりざる負えません。

ただ、日本はすでに持続可能な社会が成立してきた歴史があり、そのこころは多くの日本人たちに受け継がれていると思います。

例えば、あるミュージシャンが日本のビンテージレコードは保存状態が良いために値打ちが普通より高いと言っていました。これは日本人の性格やものを大切にする姿勢が表れていると感じます。

また、中野ブロードウェイを訪れたことがある方はわかるかもしれませんが、そこにはサブカルチャーを大切にする文化が如実に現れた雑貨屋さんがたくさんあります。昔懐かしいお菓子や清涼飲料水に付いていた景品など、「えっ、こんなものまで?」と思ってしまうようなものを大事に保管し値段をつけて商売をしています。

そして、もらった贈り物の舗装紙は破らず捨てずに綺麗にとっておき、再利用しようとする人は多いのではないでしょうか?アメリカでは破って丸めてゴミ箱へポイです。よくて暖炉の火起こしに使うくらいです。まあ、再利用はしていますが・・・

SDGs:Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)って実は新しいようで我々日本人からすれば、なにを今更感があります。

これは私の予想ですが、この持続的な社会の見本として、日本がその模範となり世界で活躍する時代がすぐに来ると思います。

もし、あなたが日本人、もしくは日本語を理解している人であるのならば、これから忙しくなるかもしれません。

日本的持続可能な社会を世界に伝える大仕事がこれから来ると私は考えているからです。

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