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ぐるぐる備忘録

先日、突如MURRALのワンピースが私のクローゼットのミューズとして降臨した。

MURRAL公式サイトより

私にとっては着慣れないワンピースという形状、少し前の自分だったら尻込みしたであろう着たことのない系統の服。でも着たら意外と似合ってしまった。綺麗に着こなすには私のボディは少々ガタイが良過ぎる気もするが、そこは精神力でカバーだ。(周りの。)
びっくりからのしっくり、妄想を飛び出して現実へって感じの経験だった、私にとっては。

このワンピース、仕事には着ていかないから着る頻度が少ないであろうことは予測できた。それでも良い、私はこの服が体現している世界観を購入したのです。
そう言えばブランド名のMURRALは「壁画」を意味する「mural」が由来だそうですよ。

ブランド名の「MURRAL」の由来は「MURAL = 壁画」から来ており、壁を彩る壁画のように飾られた状態でも ヒトを魅了する。そんな洋服を私たちは作っていきたい。 ヒトの日常の中にある壁を彩っていきたい。という思いから名付けたものとなる。

着られる壁画をワイは買うたんや。身に付ける世界観や! そう考えたら安いもんやで。

それで、もう目に見えて私の理想の世界が形になっちゃってる~、君こそがコンセプト! くらいに思ったんですが、ならばそれがどんな世界なのかを言語化したくなるのが自問自答というものです。というか順番が逆です。承知しております。

そもそも私の仮コンセプト「宝石を内に秘めた隠者」(照)は、ファッションのコンセプトとして頼りなさそうだなというのは考えた当初から思っておりました。
なんと言ってもただの自己紹介過ぎる。
私で~す」。以上。
(ただ、これを考えた時点では「私で~す」を自覚するのが精一杯だったんだなと今は思います)

あとこれ「宝石を内に秘めた隠者」を私が内に秘めてるの? マトリョーシカなの?? それとも私が隠者そのものなの? ということも、私自身が分かってなかった。今も分かっとらん。
そのくらい曖昧だったし、あと、「なりたい」の要素が圧倒的に足りなかった。これは11月19日のあきやさんの講演会をアーカイブ視聴し、翌日に前述のMURRALのワンピースを着てみて突然ガツンと気付いた感じです。

そこで改めてキーワードの洗い出しです。
なんとこれより以下、延々と自分のための備忘メモが続きます。

MURRALのどこに惹かれたか

順番が逆ですが、好きなものに惹かれる理由を考えて自分を紐解くヒントにしたい。

・夢がある

MURRALのワンピースと出会ったときに感じたのが「夢がある」ということ。
私にとって「夢がある」とはどういうことかと言うと、「心のトリップ感」を感じること。
ごくたま~に目にするだけなのだが、NHKの番組で「ブラタモリ」というのがある。この番組の最後、井上陽水のテーマ曲が流れてくる瞬間に私はいつも心のトリップ感を感じるのだ。ふわっと良い匂いの風が吹いて、心が自由に解放されていく感覚。うっとりするようなその気持ちを感じさせてくれるものが私は好きなようです。

・ドラマチック

派手なものには気後れするがドラマチックなものには惹かれる。
MURRALのコンセプトは“平凡な日常に少々のドラマチックを”。
自分にとって「ドラマチック」とは、出来事の大小に関わらず「心が動くこと」である。
ふとしたことでも感じるさざ波のような心の動きを大切にしたいし楽しみたい。
そう思うとそもそも「平凡な日常」なんてものは存在しないわけですが、MURRALの過剰ではないドラマチックさが自分にマッチしたのだと思われます。

自分のキーワードと好きなもの


ぐっとくるキーワード:
孤高、静謐、自由、静かな煌めき。

なりたい(憧れ):
ちいかわのうさぎ。自由で人の目を気にしない。ご機嫌。飄々。他人の感情に左右されない。

人生で大切にしていること:
・本質を見失わない
・シャープな切れ味
・フェアでありたい
・属さない

好きなもの・モチーフ:
石。月。猫。

好きな石:
ローズカットのダイヤモンド、アレキサンドライト、ナチュラルブルーのパール、スモーキークォーツ、ルチルクォーツ。

自分を表現するなら:
言葉。

人生のバイブル:
・小説部門
村上龍「最後の家族」
夏目漱石「夢十夜」
ミヒャエル・エンデ「鏡の中の鏡─迷宮─」
テッド・チャン「あなたの人生の物語」
姫野カオルコ、吉本ばなな、野村史子
他多数
・漫画部門
ながいけん「神聖モテモテ王国」
相模なつき、かわかみじゅんこ、吉野朔実
他多数……バイブルとは……?

好きな映画:
「ユージュアル・サスペクツ」
「シックス・センス」
「バベットの晩餐会」
「お買いもの中毒な私!」

人生のテーマ曲:
HALCALI「今日の私はキゲンがいい」
ゴールデンボンバー「腐男子」
米津玄師「M八七」
アルベニス「Asturias」↓

好きな作曲家はドビュッシー
好きなピアニストはホロヴィッツ
好きなギタリストは木村大

ルーツはファンタジー小説

私は小説や漫画やゲームなどのフィクションの世界に救われてきた人間だと思う。
幼少の頃どっぷりはまったのがファンタジー小説で、特にルイスの「ナルニア国」シリーズとグウィンの「ゲド戦記」シリーズが大好きだった。

書いていて思い出したが、大学生の頃に友人とファッションの話になり、「どこの国に行ってもおかしくない格好がしたい」と言ったことがあった。友人からは「それは無理でしょう」と言われたし、私も心のどこかで難しいだろうなとは思っていた。
今になってそのときのことを振り返ると「どこの国に行ってもおかしくない格好がしたい」というのは、つまり「局所的な流行や常識とは距離を置いた格好がしたい」という気持ちだったのだと思う。

これ、どうしたら実現できるのか必死に考えてみると、
①何を着ていても関係ないくらい本人のキャラを確立する
②自分らしい、自分的スタンダードなものを身に付ける
③できるだけ普遍性のあるものを身に付ける
……くらいしか私には思い付かない。

で、ですよ。重要なのはこの③の「普遍性のあるもの」。私は以前から、アイテム、特に小物を選ぶときにどうやらかなり強くこの「普遍性」を意識していたようなのです。(もちろん「現代の日本で買う既製品」という前提なので、流行などから完全に距離を置くことは不可能とは思いますが)

そして私がどういうものに「普遍性」を感じるかというと、その基準が「ファンタジーの世界(※)にあっても違和感のないもの」だと気付きました。気付いてしまいました。しまいましたよ!
※……私にとってはナルニアとゲド戦記の世界

そっか~、どおりでキッチュでポップでファンシーなものは選ばないはずだ。だってナルニアとゲド戦記の世界にそぐわないもの。
GUCCIのバッグならダイアナじゃなくてホースビットだわそりゃ。(※あくまでも私の考えるファンタジー界が基準になっています)ディオニュソスはオッケーだがGGロゴにはピンと来ないのも納得だわ。

というか前述の「どこの国に行ってもおかしくない格好がしたい」って、国っていうかつまり「ファンタジーの世界に行ってもおかしくない格好がしたい」ってことなんじゃ……。
えっまさか私ファンタジーの世界に生きたいのでしょうか。やべ~。

私、あきやさんのこの素敵な記事(個人的にながやまこはるちゃんが出てきたのが嬉しかったです)を読んでも「行きたいレストラン……浮かばない……悲しき人生……」とボケーっとしていたのですが、あったわ。
私が行きたいのはタムナスさんのお茶会だわ。
(タムナスさん……ナルニアのフォーン。ヤギと人間の半獣半人。優しい。)

タムナスさん
C.S.ルイス「ライオンと魔女」岩波書店

タムナスさんのお茶会、行けね~。やべ~。(興奮のあまり口調が乱れております)
あとここまで書いておいてコンセプトもいまだ決まりません。いや~でも絶対に好みもコンセプトも既にあるはず。

多分つづきます。

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