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鉄道王が本気を出すまでウマの走り方がイヌだった話

タイトルの画像は、19世紀フランスの画家テオドール・ジェリコーによる“Le derby de 1821 Epsom (The 1821 Derby at Epsom)”で日本語では『エプソムの競馬』と呼ばれる。ジェリコーがイギリスに旅行した際に1821年エプソム競馬場でのダービーステークスを描いた作品で、代表作の一つとされる。だが、現代の競馬を映像や写真で見慣れた人間からするとなにか少し違和感を感じる。

違和感の正体は、絵画のウマの足運びにある。描かれた4頭のウマは、どれも両前脚を前方に、後ろ脚を後方に伸ばしている。実際にウマが疾走する際にはこうした足運びはせず、脚が地面から離れる瞬間、前脚は体の下で曲げられていることがわかっている。両脚を伸ばす描き方は「フライング・ギャロップ」または「フェイク・ギャロップ」と呼ばれ、実在しない絵画の中だけの描写だ。

これは、人間の目では疾走するウマの脚は早すぎて観察することができず、19世紀後半までウマの本当の足運びが判明しなかったため。代わりにイヌを観察して描いていたことから生まれた「ウマなのにイヌ」というフライング・ギャロップの描き方は、19世紀の絵画に多く見られるとされる。

1878年、アメリカでウマの本当の足運び解明に挑んだ2人の男がいた。一人はアメリカの実業家にして鉄道王リーランド・スタンフォード。大陸横断鉄道セントラル・パシフィック鉄道を設立し、カリフォルニア州知事と上院議員を務め、スタンフォード大学を設立した人物だ。働きすぎて健康を害したため医師から戸外での運動を勧められ、牧場で過ごしたのはよいものの乗馬では飽き足らずに競走馬を所有し、「ウマの足運びを科学で解明し、走り方を改善する」という一大プロジェクトを始めてしまったワーカホリックおじさんだ。

鉄道王スタンフォードに協力し、プロジェクトの中心となったのが写真家エドワード・マイブリッジだ。イギリスからアメリカに渡って写真撮影を始め、ヨセミテ渓谷の風景写真で名を挙げた人物で、スタンフォードの鉄道会社の広告写真を撮影するなど協力関係にあった。芸術性を持つ「写真家」という名乗りを最初に用いたとされる。

1872年、スタンフォードはマイブリッジにカメラで疾走するウマを撮影したいと依頼した。スタンフォードは「ウマがトロットまたはギャロップで走る際には、4本の脚がすべて地面から離れる瞬間がある」という持論を持っており、足運びとスピードとの関係を解明して所有する競走馬の走りを向上させたいと考えていたのだが、反対論も多く真相はわかっていなかった。何しろ見えないのだ。

だが、当時は感光材料が未発達で露光に15~60秒と時間がかかりすぎ、そうした高速撮影は困難だとマイブリッジは難色を示したという。また、カメラの機械式シャッターは普及し始めたばかりの時代で、多くのフォトグラファーはレンズを板やキャップで覆って露光時間を手動でコントロールしていた。

スタンフォードは諦めずにカメラ技術を改良して撮影を実現しようとした。当時の金で5万ドル(現在の価値でおよそ1億3000万円)のプロジェクト費用まで用意した。しかしマイブリッジが間男を殺害するという事件を起こしたため、裁判によってプロジェクトは中断してしまう。

マイブリッジが無罪となって裁判から開放され、ウマの足運び撮影プロジェクトが再開されたのは1877年。5年の間に技術が進展し、マイブリッジは電線を使ってウマの通過に合わせてシャッターが自動的に開閉する仕組みを考案していた。1877年7月、スタンフォードの自慢の競走馬オクシデント号の疾走をこのカメラで撮影したところ、どうやら4本の脚が地面から離れる瞬間はあるらしい……というところまで判明した。

鉄道王と写真家は「カメラ1台で足りないなら12台使えばいいじゃない」という作戦を考案する。ニューヨークから最新式カメラを、ロンドンから当時最高のレンズを取り寄せ、馬場に暗室を設けてカメラを並べ、撮影後に即現像を開始するという壮大な仕掛けを作成。ウマと二輪馬車に乗った騎手がトラックを通過すると電線を切断し、電気式シャッターが動作するようにした。カメラの対面には白い垂れ幕を張ってコントラストを高め、12台のカメラの露光時間を0.5秒に制御した。

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1878年6月15日に決行されたこの撮影で、マイブリッジは牝馬サリー・ガードナーの疾走を撮影することに成功する。4本の脚が地面から離れている瞬間が実際にあることが判明した。4日後の6月19日には、二輪馬車を使わず、騎手が搭乗して再度撮影。疾走するウマの脚が空中にあるときは、体の下で丸めるようなかたちになっていることがわかった。サイエンティフィック・アメリカン誌に掲載された写真は大変な反響を呼び、マイブリッジは写真を投影するツアーを開催して時の人となった。

スタンフォードは結果に満足して、後に書籍として発表した。嬉しくないのは、今まで描いてきたウマが「間違っている」ことにされた画家たちで、オーギュスト・ロダンは「写真術なんて大ウソだ!」と怒り狂ったらしい。heliographにせよphotographにせよ、図画は人が作るものなのでウソもあると考えていたのかもしれない。

欧州でこれを目にして衝撃を受けたのが、フランスの生理学者エティエンヌ・ジュール・マレーだ。マレーは同じ写真撮影技法を研究して、世界で初めて逆さに落とされたネコが足から着地する様子を撮影し「ネコはなぜ何も支えのない空中で姿勢を反転させられるのか」という物理学の激論に火を付けることになる。『猫が逆さに落ちても足から降りられる秘密を解明した300年の物理学史』で紹介する書籍に詳しいのでこちらもぜひ。

マイブリッジがウマを撮影した12枚の写真を連続して投影すると、走るウマを再現した映像となる。マイブリッジの写真“The Horse in Motion”は、映画の先駆者とされている。これだけの功績があったにも関わらず、スタンフォードがマイブリッジの貢献を認めなかった(書籍の中で関わった技師らと同じ扱いだった)ために裁判にも発展したという。裁判ではマイブリッジの主張は通らなかった。

晩年のスタンフォードとマイブリッジの関係はともかく、「走るウマのポーズ」はアメリカ人の心に誇りとなって残っているらしく(冥王星に思い入れがあるのと似たようなものか)、フォード・マスタングのエンブレム「ランニング・ポニー」のデザインの源になったという話まである。絵画の世界では長いことウマと称してイヌの足運びが描かれてきたわけだが、鉄道王と写真家のおかげでフライング・ギャロップは無事に時代遅れになったわけだ。

■画像クレジット

タイトル画:Course de Chevaux, dit traditionnellement Le derby de 1821 à Epsom Géricault, ThéodoreFrance, Date de création/fabrication : 1e quart du XIXe siècle (1821) #LouvreCollections https://collections.louvre.fr/en/ark:/53355/cl010064852

本文中央:The Horse in motion. "Abe Edgington," owned by Leland Stanford; driven by C. Marvin, trotting at a 2:24 gait over the Palo Alto track, 15th June 1878 (LOC)
https://www.flickr.com/photos/library_of_congress/13624627695/



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秋山文野:宙開発中心のフリーランスライター。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。