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サンデイ

吐きだめみたい。フジサワの足の指の赤い爪が汚い浅川に浸ってゆらゆらしている。川面には虹色の模様が広がっている。

浅川はいつものように生臭い。フジサワは立ち上がりサンダルを履いて首を傾げて僕を見つめている。吐きだめみたいな川の底にフジサワの長い栗色の髪が映る。指の赤い爪が濡れて光っている。フジサワの目線が僕を通り越して上に上がって、振り返るとカワカミがいつものようにだるそうに土手を歩いている。

フジサワのことが好きな僕はフジサワが好きなカワカミのことが嫌いだ。大学のゼミの帰りにカワカミが僕が見たいと言っていた寺山修司のDVDを借りてきたって嬉しそうに言うのも嫌いだ。カワカミの家で映画を見てお酒を飲んで夜明け前に酔い覚ましで2人で浅川の土手に座ってぼんやりマルボロを吸うのも嫌いだ。

フジサワは嫌な女で人に嫌なことを言うしお金とか落ちてたらすぐ拾って自分のものにしようとするような嫌な女だ。あからさまに僕が話し始めると髪をいじってくるくるしてばあってほどけてくのを見せるのも嫌な感じだ。でも胸が大きくて白くてすらっとした脚は綺麗だ。

「明日どっか行こうよ」

文学棟の廊下でフジサワに急に言われても僕はカワカミみたいに中古のレガシーに乗ってないしフジサワが好きなブランキーのこともあまり知らない。母さんが送ってくれた桃を渡したら桃って剥きにくいんだよねってこともなげに言うような女だから僕はフジサワの性器にたどり着くまでにどんなプロセスを踏んでPDCAサイクルを回せばいいのか皆目検討もつかない。カワカミだったらカヌーで鍛えた太い腕でぎゅっと、抱きしめてキスすればただそれだけで辿り着くのだろうな、と悲しい気持ちで思う。ただそれだけで。

カワカミは悪いやつじゃないけど僕の知らないフジサワの色々なことを知っているから嫌いだ。2人は一回生の頃から仲が良くてそういう関係なんだと僕は思っている。僕は後から周回遅れでやってきた馬鹿な道化みたいだ。カワカミに聞くと「じゃあ温泉にでも行こうぜ」とスマホをいじりながら言ってのけた。カワカミの中古のレガシーでフジサワと僕と3人で群馬に向かうらしい。

目が6つ口が3つの車の中でぬるぬるとした空気感が僕は苦手だ。でも僕はきっとフジサワのことが好きだと思う。硫黄臭い車の中で今までにないくらい2人のことが近くなって透き通ってよくわからない。僕にはよくわからないんだと思う。湯上がりのフジサワの伏せた目がすごく綺麗に光っている。夜の湯畑を歩く指の赤い爪がはっとするような赤で僕はそれを口に含んでみたいと思う。もやが風に流れていくのを見つめながらカワカミが大きな声で笑う。「あっという間に卒業だな」

それは悲しみも憤りも何もない声。カワカミとフジサワの2人の背中を僕は見つめる。

「明って就職するんだっけ」とフジサワがカワカミにつぶやく。

「そーだよ、千春は地元に帰るんだろ?」

もうきっとこんな時は来ないしそんなに大げさなことも決して起きない。粘膜を擦り合わせたいとか愛を誓い合うとかそういうんじゃなくて毎日がサンデイだったね。そうだね。まぁ悪くなかったんじゃないかって思うしかない。

「うん、もうこっちには戻らないかな」

カワカミが前を歩いて夜に溶けてゆく。

指の赤い爪を追いかけて白い手首を掴んで煙に巻くみたいに消えてく。毎日がサンデイみたいだったよ。もう跡形もなく消えてしまう。

「ミノルは大学院かー勉強好きだよなー」
「ほんとだよ。でも来年もミノルがあの街にいるって思うとなんかいいね」

僕はフジサワのことがきっと大好きで今までの生涯で初めてこんなに好きになったのはフジサワだけなんだって、どうにもならなかったんだって、いつかカワカミとお酒を飲みながら話したいなって、ただそれだけで、ただそれだけが。サンデイ。


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