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里山ってなに?

日本の生態系の特徴は、里山が多いことだと思う。里山の定義にはいろいろあるけれど、ここでは、人がほどよい利用をすることで保たれている生態系、というふうにしておこう。

人間が生きていくためには、なんらかの方法で土地を利用することが必要となる。地面をコンクリートやアスファルトでかためて都市と住宅をつくることもあるし、森を切り拓いて田んぼや畑をつくることもある。里山もそのような利用形態のひとつで、むかしから日本人は、里山で木の実を拾ったり、きのこやたけのこ、山菜を取ったり、炭を焼いたり焚き木を取ったりして生活の足しにしていた。竹を植えて、さまざまな日用品をつくったりもしていた。

日本の国土はせまいのに、むかしからけっこう多くの人がくらしてきた。そんな状態で持続的で安定したくらしを送るためには、知恵が必要となる。自然の回復力を超えるほどの負荷を与えたら、そのツケは将来、自分や自分の子孫にはねかえってくる。それをよく思い知ってきたからこそ、必要以上の利用は控えるという教えを守り、森が「はげ山」になってしまうのを防いできた。そのように、人と自然が折り合いをつけて維持してきたのが里山だといえる。

世界には、文明の発展とともに森が「はげ山」になっていき、そのけっか文明が滅亡したような例がたくさんある。幸い日本は雨がよく降る温暖な土地だから森の回復力が高かったにせよ、長期間・広範囲にわたり人と自然のバランスを保ってこれたのはすばらしいことだと思う。

里山は、庭や畑とも違うし、原生林とも違う、独特の生態系だ。人がそこにくらす生物のことをことこまかに管理すると庭や畑になるし、まったく手つかずの状態でキープすると原生林になる。里山はその中間であり、環境におうじて生物が自律的に繁殖したり競争したりする自由が存在する一方で、定期的に巡回してくる人によって、人間のくらしに役立つ生態系になるように導かれているのである。

ひとむかし前まで、日本人のくらしは地域の自然によって支えられてきた。自然界が供給する食料はもとより、家を建てるための木材や、こまごまとしたものをつくるための資材、果ては民間の薬にいたるまで、身近な自然が供給してきたのである[ドクダミの写真・竹林の写真・ヨモギの写真]。

人々は必要におうじて自然の恵みを収穫した。田んぼでちょっとしたすり傷ができると、あぜ道のヨモギをすりつぶして消毒した。ヨモギは、お正月のお餅のフレーバーとしても活用された。私が小学生のころも、年末の餅つきが近づくと、母といっしょにあぜ道に出て、せっせとヨモギを摘んだものである。もちろんこれは、比較的温暖な四国の平野部での話であり、別の場所では、きっと別の、しかし自然の恵みをいただくという点では共通したエピソードが存在することだろう。


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