星の降る夜: 光る君へ 32回「誰がために書く」②
光る君へ 32回「誰がために書く」についての感想は前回書きましたが。
本日は安倍晴明さんにフォーカスしてみたいと思います。
安倍晴明さんについてはまとめて語りたかったので。
安倍晴明という名前
安倍晴明という名前を知ったのは、荒俣宏さんの小説「帝都物語」であったか、それともそれ以外の本、小松和彦先生との共著とか対談とかだったかもしれない。
藤原不比等が日本史における「姿の見えない礎石」であるように(良くも悪くも、ですな)、安倍晴明もまた、日本の「スピリチュアル」界における、姿を隠した礎石であるように思えてなりません。
今のわたしたちの日常にあたりまえに存在する「サイン」。
当たり前すぎちゃって今更、その起源が何かなんて誰も考えない(小松和彦先生みたいな人以外は)。
不比等の方はまだしも、安倍晴明のような役割の人はむしろ、「姿を見せてはならない」ので、それでいいのだと言われるのかもしれませんね。
しかしながらお正月にいただく雑煮も、意味も歴史も知らずに食べているだけではなんの感慨もないけれど、餅には「歳神」という神様のパワーが宿り、それを「食べる」ことで人間も、新年にあたって自分のエネルギーを刷新して「若返る」のだという、そんな「信仰」があると知って食べるのとでは、だいぶ気持ちが変わります。
気持ちだけかよと言われそうですが、気持ち、大事です。
病は気からと申しますが、あの「気」でございますのでね。
(気持ち〝だけ〟ではしょーがない、というのも一面真理ではあるけれど)
占術も暦法も、神社の参拝やお札なども、知らぬうちに現代人の私たちも安倍晴明の影響を受けている。
そう考えていくと、やはり無視はし難い人です。
ドラマにおける立ち位置
とはいえ。
表立って政治に関わったわけではないし、祈祷、占術など「スピリチュアル」のことは現代人は軽視もしくは無視ですから、今回、「光る君へ」の主役の一人が道長さんとはいえ、まー出てこないだろうな晴明さん。と、思っておりました。
なので、わりと早々に、兼家さんとの関わりが描かれたのは嬉しかったですねえ。
平安時代当時の人々にとっては、呪詛も厭魅もリアリティの一部だったけど、現代人はそういうのは信じません。
そういう中で安倍晴明の重要性をどう描くか、というのが、個人的に大変興味深いものでした。
結局、そういう「あやかし」をリアリティとすることはなかったけれど、だからと言って晴明を道化にもしなかった。
ここ大事。
現代でも、立派な大企業のエライ人が、意外にコンサルタント的に占いを利用するそうですね。
安倍晴明さんもそんなポジションに置かれました。
兼家さんは晴明さんを「コンサルタント(相談役)」ではなく、手駒のひとつという扱いをしていました。
便利屋のごとく使われそうになるのを、晴明さんが不快がる場面もありました。
そういう意味では、この安倍晴明さんは、手駒ではなく「コンサルタント」として扱ってくる道長さんには、かなり好意的のようです。
これ、ちょっと意外でした。
彰子の入内を促すとき、
「自分は国家のことを思っているのであって、個人の幸福なんていうレベルは眼中にはない」
ということを言っていました。
花山天皇出家の「寛和の変」では、兼家さんにあれこれ策を授けたのも、晴明さんなりの「天下国家への憂い」ゆえだったか。
晴明さんなりに国家の良きありようを考え、目指していた。
それが、兼家さんと「組んだ」理由だったのかもしれません。
しかしながら兼家さんは国家がどうたらではなく、考えているのは「家」のことだけだったので、やはりどこか、晴明さんとしては突き放した場面や瞬間もあったでしょう。
道長さんにとっての晴明
それに比べると道長さんは。
(このドラマにおける道長さんは、です)
国というものを見て、考えている。
また、晴明さんの重要性も理解し、尊重している。
だから「手駒」ではなく「コンサルタント」なんですね。
雨乞いの依頼のときに「自分の寿命を10年やるから、頼む」と言った道長さんには、「私心」はありませんでした。
自分の手駒だと思っていたら、命令をすればいいだけ。
自分の寿命を与えるとは言わないでしょう。絶対に。
そんな道長さんを晴明さんも評価し、好意を持っていたのでしょう。
晴明危篤と聞いて駆けつけた道長さんへ、
「お顔を拝見してから死のうと思い、お待ちしておりました」
というセリフに、道長さんへの個人的な感情が見て取れました。
晴明さんのことですから、本来ならいつ死ぬということがわかっていたかもしれない。
占術においては死期を占うことは禁忌とされますが、そうはいっても、わかるものはわかっちゃうかもしれませんね。
ちょっとその日だと間に合わないなーということで、数時間か数日か、「時間延長」したのかもしれません。
そういう術があるんですよね。
(昔、怪しい本を読みまくったので変なことを知っている)
須麻流さんがご真言(阿弥陀如来)を唱えていたのも、そんな延命術の一部だったかもしれません。
そうして時間延長してまで伝えたことは、案外、大したことじゃない。
予祝とも言えるようなよき予言。
そして光と闇への小さな助言。
「お父上(=兼家)が成し得なかったことを、あなた様は成し遂げられます」
「何も恐れることはありませぬ」
「思いのままにおやりなさいませ」
いちばんに伝えたいことはこれだったんだなと思いますと。
晴明さんの、道長さんに対する「思い入れ」が見えてくるようで、感慨深いものがありました。
この世(俗世)から常に何メートルか距離を保っているような人が、個人に対してここまで好意、思い入れを持っていたと思うと――胸が突かれる思いでした。
詮子さんもかつて、道長さんについて「お前はとうに父上を超えている」と言っていましたね。
そのことと考え合わせると、頑張れ主人公(のうちの一人)、と思います。
――とはいえ。
道長さんが成し遂げるべきこととはなんなのだろう?
と、そんなこともふと、気になりました。
星の降る夜
そして、晴明さん永眠の場面。
きれいでしたね~。
満天の星々、横たわる月。
最期のその瞳に星を映して。
陰陽師は天体観測が仕事でもある。
生涯、星を見続けた人は最後には星空へ、繊月と共に帰って行ったのかと思いました。
でも、さらに深い解釈をペケったーで見かけて、なるほどーと感心することしきり。
黛りんたろうさんの演出は、非常に絵画的でありながら二次元的な「薄さ」は感じさせず、まさに異次元の世界へ視覚で巻き込んでいく。
何よりもその視界は美しい。
本来なら悲しみの場面でしょうが、美しさにため息が出ました。
心に残る、安倍晴明像がここに結ばれたのだなと思いました。
今後何年もずっと、思い出さずにはいられないであろう名場面であったと思います。
正史に残る晴明さんの記録を見て、あんなスーパーヒーローであったわけがないと冷笑気味におっしゃる向きもありますが。
たぶん、文字にも形にも残らないが、絶大な影響力を持つ存在はあるのだと思いますよ。
政治家でもそれ以外でも、「表に出る」リスクがわかっている人は、あえて自ら姿を隠すことがある。
不比等と晴明。この二人のことを思うとき、そんなことをいつも考えます。
なんにしても、乾燥し切った現代人のドラマにおいて、絶妙なバランスで描かれた晴明像だった。
そのように思いました。
――余談ですが。
晴明を「せいめい」ではなく「はるあきら」と呼ぶの、何か意味があったのでは? と思うのですが、どんな意味、理由からなのか、ちょっと聞いてみたい気がします。
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