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いづれの御時にか: 光る君へ(31)「月の下で」

 いよいよ源氏物語の誕生ということで、ちょっとドキドキしましたね。

 ソウルメイトと言われてきたまひろちゃんと道長さん、いよいよその意義や能力の、本領発揮の段へかかってまいりました。

 前回までにまひろちゃんが書いていた「カササギ物語」、焼失したのは新たに書いていた分だけかと思ったら全編だったんですね……。なるほどそれはがっかり。

 あらすじは覚えていたり、その後の構想もあったでしょうが、書き直すのも違うし、もういいや……という気持ちになるの、わかりますね。
 何時間もかけて入力したデータが、いきなりの停電でバックアップも取れずに全部消えた、という経験がある人間には
「ああ……わかる……」
 となりますわね。

 さても。
 ドラマの内容もあるのですが、いよいよ源氏物語だ、ということで、ガチ勢の解説や情報提供が始まっております。
 その中で、わたしもあらためて「へー! そうだったんですか!」と思ったものがありますので今回はそちらを中心に。
 ドラマ自体の感想からはズレております。
 そんなんでもいいよという方、お付き合いいただけたら嬉しいです。



各キャラのモデル


 まずは!
 源氏物語の桐壺帝と桐壺更衣(光源氏の両親)のモデルが、一条天皇と定子さんだというのはわかってきていたのですが。

 藤壺の宮と光源氏自体にも、モデルがあったというのは「光る君」で初めて知りました。

 定子さんの遺児、敦康あつやす親王について、政治上の思惑もあってのこととはいえ、彰子さんが養母となっていたとは全然存じませんで。

 敦康親王がまだ10歳になるならずの幼さで、彼の母というにはあまりにも若い、よくて姉だろうという程度にしか年が離れていない彰子さん14〜15歳。
 これ、モロに藤壺の宮と光る君の設定ですよね。

 藤壺の宮は光る君の養母ではありませんが、光る君10歳、藤壺の宮15歳のときの出会いであり、当時は光る君は幼い子供なので、女性のいる御簾のうちにも入ることができ、宮とも親しく接することができた。

 光る君の両親のみならず、光る君の設定自体がすでにモデルだったとは。



一条天皇が怒らなかった理由


 そうするとやはり驚くのは一条帝です。
 これは誰が見たって、自分たちのことがモデルになっているとわかるでしょう。
 ドラマ中では道長さんが、
「これではかえってご不興を被るのでは」
 と心配するのも当然と言える。

 だがしかし。
 しかしでございます。

 史実のほうの一条天皇は、むしろ、そういう作品を求めていた、という話を今回初めて聞きまして。

 中国の漢詩文の世界には「諷諭ふうゆ」と呼ばれるものがあったそうです。
 文芸作品ですが、実際には現実の権力者のありようを詩文に折り込み、権力者を「諌める」という手法があったそう。

 面と向かって偉い人を非難する、いさめるのは(たとえ言っていることが正しくても)やはり無礼にはなってしまいます。
 なので、詩文の形式の中で、季節のことや草花や生き物その他にたとえながら、権力者に向かって
「こういうことは、こんな結果を招きます。よろしくございません」
 と申し上げるのですね。

 一条帝も諷諭のことは知っていたので、自ら、この諷諭——つまり自分をいさめる作品を臣下に命じて書かせていたとのこと。
 周囲をイエスマンで固めたがる人ではなかったというのはエライと思いますね。

 そんなわけで一条天皇は、世の常識を外れてまで一人の女性を寵愛し続けた自分への批判だと承知のうえで、源氏物語「桐壺」を読み、それはそうだと頷くしかなかったのかもしれません。

 それに。
 これはわたしの個人的な感想ですが、「桐壺」では、過度の、あるいは偏った寵愛が国を滅ぼしかねないものだという非難は、非難としてあるけれども、一方では非常に、その悲しみに寄り添う描写も多いんですよね。

 楊貴妃は当時の人にも後世の人にも悪様に言われ続けて気の毒ですが、源氏物語はそこまでのことはしない。
 たしかに、過度の寵愛を続けた行為は君主としては非難されるべきものだったかもしれないけれど。
 一人の人間としての、愛する人を失う悲しみには寄り添いきっているし、また、定子さんがモデルとみなされる桐壺更衣のことも、多くの人から慕われる、人格も清廉の人として描かれています。

 定子さんの人柄をむしろ称揚しているとすら見えるし、桐壺帝の悲しみにも、「ご無理のないこと」という視線を注いでいる。

 行為自体は非難されるにせよ、人の情としてはよくわかります、「愛別離苦」のお悲しみもお気の毒に存じますという、作者(紫式部)の呟く声が聞こえてきそうなくらいです。

 文学的感性が豊かであった一条帝ならば、その点をよく汲み取っただろうと察せられますね。

 非難されていい気分にはならないでしょうが、それはそれでもっともなことだと思い、また、源氏物語はやはり面白いんですよね。なので、そこは素直にお読みになったのではないでしょうか。



千年の時間旅行


 源氏物語に関するあれこれ、いくつか聞いてはいるものの、今回のドラマのおかげで
「えー! そうだったの!」
 ということがけっこうあって、たいへん楽しく、また勉強にもなります。

 それにしても。
 ドラマを見ていて
「紫式部の原稿が残っていたらなあ」
 とつくづく残念に思いました。

 原本はないというなら「枕草子」でも他のものでも同じでしょうが、枕草子はそれでも、脩子しゅうし内親王が厚く保護していたのでまだ「底本」となるものが残ったと言えるのですが。
 源氏物語はなあ……。

 紛失した巻がある、なんて説があるくらいで。
(『輝く日の宮』という巻があったという話がある)

 時間旅行が可能になったら、紫式部執筆の側に張り付いて、書き上がったら原稿を現代へ持ち帰ってコピーして、また返しておく、という作業をしたいくらいですわ。

 そういえば「源氏物語」という名称も、どの時点で定着した名称だったんでしょうね。
 式部が執筆当時は、「紫の物語」と呼ばれていたという記録もあるそうです。
 また、紫式部も、宮仕え開始当初は「藤式部とうのしきぶ」と呼ばれていたとか。

 源氏物語の主人公は、光る君の他に紫の上(モデルは彰子さんとみなすべきか)だとも当時の人にはみなされていたとも言われ、「紫の物語」は、「紫の上が主人公の物語」という意味があったのかもしれません。

 源氏物語については、ガチ勢からの情報、解説を、今後も楽しみにしていきたいと思います。


 

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