ある日のこと(にんじん)
気になる気になる。
編み物が気になる。
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わたしは手芸がすきだ。
物置を探せば、どこかから手芸本と手芸糸がセットで出てくるだろう。手芸屋さんで買った、がま口作りのキットも。かわいいからという理由だけで購入した布もある。どこかに。
遡れば、小学生の頃、わたしは母が高そうなお菓子の空き缶に入れていた手芸糸で、みつあみを覚えた。当時はプロミスリング(ミサンガ?)が流行っていて、わたしは黄色とオレンジの糸でプロミスリングを編んで、足につけたりした。
中学生か高校生の頃、母の編み棒を使ってマフラーを編んだ。赤と紺色のしましまのマフラー。初めの3分の1くらい編んで飽きて、そこからは母が編んでくれた気がする。身長ほどの長めのマフラーを、真冬の朝、ぐるぐるに首に巻きつけて自転車に乗った。わたしの通った高校は進学校で、そして無意味に服装に厳しい学校で、マフラーは禁止だった。先生に見つからぬよう、ぐるぐるのマフラーは校門に着く少し前で外してバッグに押し込まねばならない。授業開始は7:30。家を出て自転車で7分爆走すると、学校に着く。その頃にはどんなに寒い日も、少し汗ばんでいる。ぐるぐるのマフラーを外すと、首やほほ、あごのあたりの汗による湿気が冷たい空気に急にふれて湯気になり、一挙に蒸発していった。校門の下で、自転車から降りて坂をのぼる。ふんふん言いながら自転車を押して、わたしは湯気を散らした。
そういえば。
高1の頃、あのマフラーをつけて自転車で帰宅する途中に、事故にあったのだ。多分。
多分、というのは、自分がその日とその前日の記憶をさっぱり失っていて、なぜ血まみれになって自転車の横にいたのか誰にもわからないからである。
母に聞いた話では、ある日の夕方にわたしから電話が来て「ちょっと怪我をした。」と言ったそうだ。母は、この一言で娘がとんでもない怪我をしただろうと感じたらしい。すぐに現場に来てくれた。わたしは顔中が血染めのボールのようで、すぐに救急車で運ばれた。血まみれでストレッチャーに乗せられ、いくつもの検査を受けたが、幸いにも脳や骨には異常がなく顔を13針縫うだけで済んだ。「検査より先に血まみれなのをどうにかしてほしかったけど、そういうわけにはいかないもんね」と母は言っていた。週に一度だけ家に帰ってくる父も、母に事故のことを聞いて平日なのに病院に来ていた。
記憶にあるのは、事故の日に処置を終えて入院していた部屋で、わたしが何度も母に「いま、なんじ?きょうって、なんにち?」と聞いたこと。覚えられないのだ。3度目くらいで父が「もう寝なさい」とわたしの言葉を遮って、それで眠った。検査結果で異常なしと言われても、父も母もわたしの脳がどうにかなったのではと怖かっただろう。次の日には治っていたけどね。
診てくれた医師の説明によれば、メガネの上から強い圧力がかかり、裂傷ができたように見えると。メガネがあったからすっぱりとした一本の傷になっているけれど、メガネがなかったらぐっちゃりと潰れていただろうから、こんなにキレイには縫えなかったかもしれないと言われたそうだ。メガネよ、ありがとう。かけてて良かった。
事故の翌朝、病棟のトイレに行くことにした。母はわたしがトイレに行くのをマズイと思いながら止めようもなく、わたしは気にせずふらふらとトイレに行った。そして、鏡で初めて自分の顔を見た。
本来、顔があった場所から随分と皮膚が隆起していた。
試しに、両手で左右の頬に触れてみてほしい。視界には指先だけが見えるだろう。当時のわたしの感覚では、その両手を手のひらが見えるくらいに頬から離したあたりに顔の表面があったのだ。
鏡に映るわたしの顔は、すべての皮膚がぱんぱんに腫れ上がり、いくつもうっ血し、目は埋もれ、唇ははち切れんばかりに膨れている。わたしは自分の顔の美醜はすっかり諦めていたのだけど「わたしの人生、終わったなぁ」と思った。こんな顔じゃ、もう外は歩けないや、と。
その日のうちに事故の連絡を受けた担任が病室に来た。声をかけてカーテンをめくり、わたしの顔を見るなり、スっと負の感情を消したのが分かった。ああ、そんなに酷いのか。そうだよな。努めて明るく会話したけれど、高1のわたしはひとりで絶望していた。
のだけど。なんとまぁびっくり。三日後には腫れはすっかり収まっていた。怪我をして縫った傷に湿潤療法のシートが貼られているだけで、事故翌日のセルフ人生終了宣告は簡単に撤回されたのだった。若さゆえの回復力もあるだろうけれど、そもそも身体の作りが頑丈なのだろう。そういえば双子の妊娠から出産にかけて、お医者に何度も身体の頑丈さを褒められた。帝王切開後に「立派な胎盤だった!」と言われる産婦もなかなかいまい。
しかし。話を戻すと。
あの事故はなぜ起きたのか。
母がわたしを発見したとき、わたしは自転車と共に電柱のそばにいたそうだ。そして、自転車の後輪の後ろ側がぐにゃりと曲がっていたと。更に、かけていたはずのメガネがどこからも見つからなかった。
その日、自転車で帰宅中のわたしは後ろから車に追突され、その弾みで電柱に衝突したのだろう、というのがわたしの母の推理だ。
「事故の夜に懐中電灯持って現場に行ったけど、落ちてるはずのメガネがなくて。次の日、近くの家にも聞き込みしたけど結局見つからなかった。きっと、犯人がメガネを持ち去ったんだと思う。」と事故からしばらく経って、母は言った。あまりに真剣なので、そんな犯人いないでしょう、とは言えなかった。いやでも、メガネ持ち去る犯人って。そんなひと、いるかなぁ。
わたしはそのまま、二日間の記憶をさっぱり失って今に至る。大学に落ちて浪人することになったのは、その二日間の授業の記憶がないせいだ。たぶん。
そして、話が戻りに戻るのだけど、その日にわたしは前述の赤と紺のマフラーをつけていたはずなのだ。
まだ母が保管しているのかもしれない。今度聞いてみよう。
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そういうわけで編み物が気になります。猫のおうちを編みたい。
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