4月の庭にテントが立った。
うちの庭にでけえテントが立って24時間が経過した。これは夫の家だ。我々は敷地内別居を始めた。
夫が先週、ある意味で今流行りの感染の多い地域に出張した。帰宅後は隔離して過ごそうとAirbnbやウィークリーマンションを見てみると、価格のわりにWi-Fiが貧弱だったりするそうで、仕事をできるかは行ってみないとわからない状況だった。夫は一緒に働く人と常に通話を繋ぎっぱなしにしていて、バーチャルオフィスに出社してる状態。お客さんとのリモート会議も多い。Wi-Fiの強さは死活問題だった。Pocket WiFiも持っているものの、使う場所によってはあてにならない。それでも2週間も滞在すれば4万円はかかるのだ。
「同じ金額でテント買えるね」「買えますね」
え、ほんとに?まじで庭にたてるの?とかなんとか言いながら、欲しかったメーカーのテントを購入して、夫は庭で隔離生活を送ることになった。
Amazonからテント、テーブル、テントの下にひくグラウンドシートなどなどが届き、二人で建てる。テントを建てるなんて20年ぶりで、ペグを庭に打ち込むのが楽しくて率先してハンマーを振る。わざわざ貼った芝を弱らせてしまうけれど。芝ごめん。
20分くらいで完成し、「わ〜すごーい!」と中に入るとそこは、嘘みたいに寒かった。テントは2枚のシートを重ねる構造で、内側は全面メッシュのテント、外側は雨風を防ぐシート。けれど想定外に、外側のシートが風にあおられバサバサしているし、メッシュ越しに芝が見える。こんなに隙間があくのか、と調べてみてわかった。このテント、春夏秋用らしい。よく風が入る涼しいテントだそうだ。ノリでテントなんて買うからこうなる。気温は15℃あるが、海風と山風にさらされ、背後の竹林もわさわさ音をたてている。ダウンを着ているわたしでもちょっと寒い。夜、死ぬんちゃう?夫、これに2週間暮らせるのか。
これじゃ寒いだろうと庭から電源を引き込み、パネルヒーターを設置。床には毛布と寝袋。あつあつの緑茶を支給した。「じゃ、また」と仕事をする夫を残してテントを出た。なるべく風が入らないようにとテントの入口を慎重に閉める。ひとりで家に戻ると、窓から見えるテントはやっぱりばさばさ揺れていて、30分くらいで夫は帰宅した。打ち合わせをするには音がうるさいのだそうだ。
夕方、打ち合わせを済ませるとまた夫はテントに戻った。わたしはいつもどおり子どもを保育園に迎えに行き、夕飯を作る。今日は皿うどん。外が暗くなり、そろそろご飯を運んでみることにした。テントのジッパーを上げながら「こんにちは〜!ウーバーイーツでーす!皿うどん1万円になります!」そういう夫婦間以外では絶対にやらないギャグを終え、「ところでさむくないの?」というと
「案外いける」
夫はこっちを見てきりりとそう言ったけれど、下半身はしっかり寝袋に入ってるし上半身にはかけられるだけの布がかけてあって、すぐ隣にはヒーター。これで「案外いける」ってなんだろう、と思う。極寒の地に必死で耐えてるやん。こんなとこで皿うどんなんて食べられるんだろうか。
そうして深夜、子どもを寝かしつけて家事をし、さあ自分も寝ようと思ったタイミングで、そういえば夕方から夫が一度も帰宅していないことに気づいた。もう0時なのに。夫は17時頃からトイレに行ってないことになる。野外で用を足している可能性もないことはないけど、そういう大胆なタイプではないはず。もしかして死んでるんちゃうかコレ。
なんだか心配になって「生きてる?」と家庭内Slackに送るも返事なし。どうにも気になって見に行くことにした。
静かに玄関を閉めてテントに近づくと、ぐおお、ぐおおと小さく重低音が響いている。テントのジッパーを一応上げてみたら、寝袋に入った夫が予想通りいびきをかいていた。「生きてるやん」無駄にひとりごとを言って、家に戻った。心配性は治らない。そういえば昔付き合っていた恋人から夜にメールの返信がないとき、わたしは恋人が事故にあったのでは、また浮気しているのでは、と気が気でなく、何時間でも起きて返信を待ってしまうような人間だった。「ごめん!寝てた!」と朝7時にメールが届き、「大丈夫!わたしもすぐに寝たし…」と返信するような、まじで嫌なタイプの人間だった。当時は若さとメンヘラの掛け合わせですごい執着心と行動力とネガティブを発揮していて忙しかった。あの頃の自分とはもう違う、と思いたいけど、実際には庭にテント泊する夫が心配でこっそり見に行ってしまうような人間に変わりない。恥ずかしい。ついでに思い出したけれど、当時の恋人はメールでよく四つ葉のクローバーの絵文字を使う人で、わたしは実はそのモチーフが苦手で、交際してた4年間は己を騙してわたしもその絵文字を多用していたんだけれど、今でも幸せの象徴たるそいつを好きになれない。三つ葉で十分です。
翌朝起きると、シンクに空っぽのお皿があった。なんだかホッとした。引きこもりの息子がご飯をきれいに食べてくれるだけで幸せになるおかんの気持ちだ。幸せのハードルがダダ下がりしている。今ならなんにでも感動できる気がする。さっき、普段は会話を控えている夫と少し会話をしただけで(コミュニケーションってほんとーにいいもんですなぁ…)と悦に入れたので、道端を歩く野良猫と目が合うだけで涙が出たり、自分で作った夕飯の旨さで己の天才性に気づき、勢いで失禁してもおかしくない。今後しばらくは失禁に気をつけて生きねばならない。
サポートは3匹の猫の爪とぎか本の購入費用にします。