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2020年11月23日 私も、仙台の佐藤

昨晩のアイネクライネナハトムジーク、じんわり心に響いている。登場人物の笑顔で終わると嬉しくなる。優しい温度の笑顔で終わる映画、久しぶりかもしれない。


仙台といえば、のあの仙台駅の西口の風景。S−PALにLOFTにPARCO、今は東口の開発も進んだけど、当時の(今も、かな)仙台の一番外向きの顔の風景。夜のペデストリアンデッキ、あんなに人の往来あったかぁ?と懐かしく眺めた。

いろんな人の人生を聞いて信じられる言葉を探していた佐藤くん。
紗季さんと出会った時もう心は決まっていたのに、心で出した答えを頭で納得するための理由が欲しかった。自分のことなのにどこか他人事のようだった。

これまできっと佐藤くんは、頭である程度納得できる選択肢の、もうその目の前まで誰かや何かが導いてくれることが多い人生だったのだろう。
心で瞬間的に出した答えを頭が理解するのに時間が必要だったんだ。


描かれる世界と自分の記憶に偶然の一致がたくさんあった。きっと同じような人がたくさんいるんだろうなと思いながら自分の過去を振り返る。
自分の歩んできた時間は沢山の人が同じように歩んできたもの。
散布図でいったら点が集まって繋がって面になってしまうような、そんな時間だったんだと思うことが、自分の過去ながら微笑ましいことだなと思う。
その時その時、嬉しかったり悩んだりなんだよこれと思ったりしながら進んできたつもりでいるけど、みんながそうで、自分の居場所は点じゃなく面だったんだ、あんなにジタバタしてたつもりだったけどなんだったんだろうな、と滑稽に思えてしまう。


最終盤、あぁこれはここに繋がるんだとか、話の前半で出てきたあれがこう返ってくるんだ、ということがいくつかあったけど、そのハマり方ピタッと痛快!という感覚ではなく、そうかそうだよねと静かにでもどれも納得の穏やかなハマり方だった。
ジタバタしていた昔の自分に「大丈夫、なんとかなってるよ」と伝えたくなるような、優しい余韻が残る。

この映画が仙台で創られたこと、そして、そうでなくなってだいぶ経つけど、20年以上自分自身が仙台の佐藤だったことが嬉しくてホクホクしてしまう。劇的な場面や展開があるわけじゃないけど、また観たいな、戻ってきたいなと思う119分、とてもあったかい時間を共有できた。






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