見出し画像

2021年4月17日 B♭の青春

同じ目標に向かって仲間と取り組むことってもっともっと楽しいことだったのに。
新年度になり、新しいメンバーで新しいことが動き出した今改めて感じていること。同じ目標に向かって夢中に取り組んだ昔のことを思い出す。


私の通った小学校では4年生からブラスバンドに参加することが出来るルールだった。
運動会の時、みんなと同じ体操着なのにみんなとは違うスカーフとベレー帽を身に着け、楽器を演奏しながらバトントワリング隊を引き連れ行進を披露するちょっとかっこいい存在だったブラスバンド、4年生になってすぐ友達と見学に行った。

楽器に触らせてもらい、吹かせてもらう。はじめはスカスカと息が楽器を素通りしていたけど、何回か通い何度も楽器に息を吹き込みやっと初めて音が鳴った、その時の「うわぁ」という喜びは今も覚えている。
鍵盤を叩けば音が鳴るピアノや息を吹き込めばそれがそのまま音になるリコーダーとは違うんだ、と、管楽器の難しさと楽しさは10歳の私を丸ごと包み込んだ。

体の大きさと本人の希望、バンドの人員配置状況から担当する楽器が決められる。私はクラリネットを担当することになった。
黒い部分が木でできてるなんて知らなかった。ひとつレバーを抑えると遠いところにある音孔が閉じたり、閉じていたものが開いたりした。
いつまででも楽器そのものを眺めて触っていられたように思う。音がまだうまく出せなくても、楽器を構えて沢山あるキィやレバーを動かすと音孔が塞がれるパタパタという音がする、それだけでなんだかとても楽しかった。

音が出せるようになり、楽譜に沿って吹けるようになり、全体と合わせて演奏することが出来るようになり。だんだんと自分の出す音がバンドの音の一部になる感覚がとても嬉しかった。
学校の中での集団の指導だけでなく、先生と繋がりのあるクラリネット専門の先生の所に出稽古に行ったり、バンドとしてのコンクール、学校行事での演奏、指導の先生の熱心さもあり、小学校生活の後半3年はすっかりブラバン一色だった。


中学校にあがっても引き続きクラリネットを吹く毎日が続いた。
先輩の奏でる音の丸さに度肝を抜かれ、それまでのちょっと天狗になりつつあった気持ちの背筋がぴしっと伸びるような、そんな緊張感を持ちながらも目指す先を具体的に感じることができた充実でいっぱいになり、ますます楽器の演奏に夢中になっていった。

綺麗な音が出せるように、細かいタンニングが出来るように、スムーズな運指が出来るように、そしてバンドのバランスにおいて自分の音が自分のパートが良き一部分となれるように。
同じ目標に向かって、同じ時間音楽と向かい合う仲間がいるけど、各自が扱う楽器もそれぞれに与えられる楽譜も違う。良いものを目指してあれこれぶつかることがあっても、根底には自分には操作できない楽器を操り音を奏で、楽譜に描かれているものを自分とは違う温度で捉え表現する仲間への尊敬の気持ちがあって、それが気持ちの良い関係を作ってくれる要素になっていたように思う。


ブラスバンドは様々な移調楽器で構成されているけれど、クラリネットとトランペットは同じB♭管の楽器(ほかにもあるけれど)で、楽譜をそのまま共有することができる。
最後のコンクールの自由曲、それぞれのソロの部分もしもコケたら代わりに吹けるよう、クラリネットの私はトランペットのソロの部分も練習した。もちろんその逆も。それぞれのパートに2ndも3rdもいるから違うパートがソロを変わることなんて現実にはなり得ないのだけれど、誰から言い出したことでもなく自然とそうあって、誰もはっきり言ってないけど自分のソロを仲間の誰かが吹けることはわかってる。どうかこれを本番で披露することがありませんようにと願いながら、仲間のソロを練習する。

それはブラスバンドで繋がった友情そのものだった。みんなに共通する「音楽が、楽器が好き」というベースにそれぞれへの尊重と尊敬と信頼とでももしもの時は私行けるよっていう覚悟が乗っかっている。誰が決める訳でもなく自然とそうあった、そういうもので繋がっていた関係だった。


子どもだから出来たことだったのかな。ベースに同じものを持つ者同士だったからなのかな。大人になると尊敬の代わりにプライドが大きくなって、尊重の代わりにマウントが幅をきかせることが多くなる。
バカなこと言い合って笑ってばかりの仲間が、自分には出来ないことをこなし、高みを目指し努力する姿を間近で眩しく見てきたから、一方的な高低差を含んだモノの見方や全体のバランスを崩す自己主張に出会うとあぁ無理だと扉を閉ざしてしまう。もっと視野を広く持たないとと思いながら、ここを折ったら自分じゃないなというブラバンで培われたモノの見方、複数の人が関わり合いを持つ時のスタンスに対するちょっと頑固な思いが、表に出なくても、心のうちにずっとある。クラリネットを握りしめた10歳の自分に見つめられているような気持ちになる。10歳の自分のまなざしを感じながら立ち止まる。



楽器への興味は今も尚尽きないけれど、私の憧れの存在はずっと変わらずフレンチホルンだ。
基本的には目立たずともなくてはならないリズム隊。主旋律を狂わぬリズムで支え、時に牧歌的で高貴な音の対旋律で華やかさを与える。音域が広く低い音域では金管楽器ならではの太く響く音を奏でる。マウスピースの形状の美しさが金管楽器イチ(私調べ)。
華やかな形状や音色に対する憧れももちろんあるけれど、集団の中で果たす役割、関わり方…うまく言葉がでてこないけれど、そういう所も含めてホルンはずっと憧れの存在だ。

今私の日常を作る要素が変化する時が来たら、また仲間と音楽を作り上げる場に自分の居場所を作ることが出来たらなと、細々とでもずっと思っている。クラリネットに復帰(といってももうゼロからのスタートだけど)するのも、憧れだったホルンに挑戦するのも、いいな。
顔を真っ赤にして音を出すのに必死だった10歳の自分の肩をポンと叩いて、今あなたが始めた夢中になっていること、生活の中で占める割合に変化はあっても実際に音を奏でることから遠ざかってしまってもずっとこれからも心にあり続けてるよと伝えたいな、と思う。
マッサージに行ってもデトックスしきれなかった平日に溜まったぐるぐるを心の外に追いやることができずにいる雨の土曜日、好きな動物の本を夢中に読み続けているまもなく10歳になる娘の横顔を見ながら、ふとそんなことを思う。


この記事が参加している募集

#部活の思い出

5,464件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?