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【 伊勢 滞在日記 】 令和4年 10月1日〜7日 宮本亞門

10月1日 晴天  東京から伊勢へ 

11時過ぎ品川から新幹線で名古屋。名古屋からJRで乗り換えのため多気駅へ。15分同じホームで乗り換え、旅情をかりたてる。虫と鳥の声しかしない誰一人いないホームはどこまでも続く畑と山々だけ。喧騒から離れた場所へいく安らぎを感じて深呼吸。

15時 伊勢市駅に到着、市役所の方と待ち合わせ。笑顔いっぱいの気さくな方々で、宿に着くと楽しそうな女将。温かい出迎えに伊勢への期待が膨らむ。


10月2日 晴天 外宮 伊勢志摩スカイライン 

9時半から自費でレンタカーを借りいよいよ行動。伊勢は3回目だが、まだ行っていない外宮から。 伊勢市駅前からつながり鎮守の森に囲まれた外宮に入ると一変に気が変わる。日差しも木々で涼やかになり、葉、枝、幹一つ一つが輝く。そして足元の石が一歩ずつ前に進む度に軽やかな音をたて、自分が今ここに存在していることを教えてくれる。拝殿含め全てがシンプルで清められた空間。目に見えないものを信仰する美しさを感じる。そして帰り道、驚いたのは重力を感じない幽玄な神馬。その美しさはそこにいてそこにいない儚なさもあった。


午後ここから、街道があった道を辿って、おかげ横丁へ。 晴れの日曜とあって大勢の人で賑わっている。神棚に塩を円柱に盛るための塩入れ。それに我が家で留守番をする愛犬ビートのために江戸時代、おかげ参りの犬が掲げていた旗としめ縄を購入。そして立食いであわび串刺しや伊勢うどん、そして五十鈴川で赤福をいただく。天気予報ではが明日から悪天候になるらしく昔ながらの伊勢志摩スカイラインで頂上へ行く。展望台から壮大な伊勢志摩の自然の豊かさに惚れ惚れし、帰り道に鹿の親子に遭遇。静かに会釈して山を下りる。


10月3日 局地的豪雨 生きる正倉院展

8時半 大量の白鷺の列を見る。沖縄でも静岡の葉山でも日本どこに行っても白鷺には、霊的な力を感じる。だがこの量は多すぎる。この霊験あらたかな伊勢では普通のことなのかもしれないが。

午前10時 雨が降り出す。昨日行けなかった外宮に入ってすぐにある、せんぐう館に行く。ちょうど特別展「生きる正倉院展」があり一昨日は秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまがお1人で来られたとか。何を感じられたのだろう。展示は見事で神々に献上するお食事から生活に必要なもの、遷宮の様子などが映像などで丁寧に説明され、どれほど神職や伊勢の人々によって守られてきたかを知って唸る。

14時 それから特別展の他の会場である神宮微古館や神宮美術館に行き、正装、儀刀など数々の宝物を拝見する。このすべてに気の遠くなるような技術と年月をかけてつくられて職人の手業にただただため息をつく。 

16時 ネットで探した雰囲気の良さそうな伊勢河崎のカフェ「茶房河崎蔵」に寄る。古民家を軸になんともアットホームな雰囲気の素敵なカフェ。すると店主が帰りがけ「2回目ですね」と優しく声をかけてくれる。そう言えば前回の旅番組の時、休憩したカフェだ。その時も古民家の雰囲気に感心した。年を重ねても好きなものは変わらないこと、すぐに忘れまた感動している自分に嬉しくも呆れた。そして古い街並みが残る河崎を探索、伊勢河崎商人館で、伊勢がどれほど初めてづくしなのかを知る。土屋(みやげ)やお払い箱、紙幣、旅行業、カレンダーなどまだまだ。

これで現代に影響した伊勢発祥にますます興味を持つ。

18時 鳥羽で海鮮丼と海女のどんどん焼き! これが凄い!海女さんがとったであろう貝の缶箱詰め。貝好きにはたまらないごちそうだった。帰り道、たぬきが車と並行して長い間走っていく。初めて見た自然の狸、たまらなく可愛い。自然だらけの伊勢の魅力だ。


10月4日 晴天  内宮 猿田彦神社 

10時 ついに内宮を参拝。 太陽が燦々と輝く美しい朝。宇治橋を渡る、靴を脱ぎたくなるほど磨かれた美しさ。そのヒノキの「俗界と聖界の境にある橋」で佇む。木陰に入ると太陽、天照大御神様の輝きが照らしてくれる。木々はその光を浴び成長し森羅万象は清らかな命を広げる。

式年遷宮を終え、そこに在る目に見えるものはお住まいと調度品だけ。

ご本人の姿は参拝する各自の想像の上にある。敬愛するものに思いを巡らす、寄り添うことの日本人の原点を感じる。

13時 猿田彦神社を参拝。天岩戸のアメノウズメノミコトが桶(おけ)を逆さまに置いたのが舞台のはじまりと聞いていただけに、アメノウズメノミコトには親近感が人一倍ある。彼女はその後、猿田彦大神の本拠の地である五十鈴の川上の地に赴かれる大神と共に来られ、その功により「猨女君」(さるめのきみ)と称号を受けられた。絵馬に願い事をし、お守りをいただく。16時 皇學館大学の斎藤先生のお話を聞く。秀吉や家康は伊勢参拝には来ていないこと、伊勢の御師(おんし)は下級神職で、伊勢以外では御師(おし)と呼ばれていたことなど、初心者の私の質問に丁寧に答えていただき心から感謝。



10月5日 曇り 古市と会見

11時 古市参宮街道資料館に行く。今は「昔のおもちゃ展」のため遊郭などの展示は一部のみ。しかし遊郭三座の写真が残っていたのは嬉しかった。資料館の前の街道沿いに花街三座があり、遊女1000以上 舞う女性が80人。三味線や太鼓など演奏する女性が60人ほどいたとか。江戸の三大遊郭の華やかな時代。だが1つ目の江戸の吉原は、天保の出版統制の弾圧により、浅草寺の裏の隔離された土地でしか営業できず、2つ目の京都の島原も同じように隔離された土地で。しかし、ここ街道沿いにあった古市は違っていた。遊郭追放令や隔離命令があったものの、人々は営業をやめずこの街道沿いで営業し続けたのだ。江戸や京都とは違い追放令を無視して営業。その間には色々戦いもあったのだろう、その反骨精神には魅力を覚える。北斎でさえ命の危険を感じ、同じ天保の出版統制で江戸から信州の小布施に避難し、歌舞伎十八番を作った成田屋も捕まって上演禁止となったのだから。

14時20分に市役所へ。

15時から記者会見。あまりに真面目に語ったようで、皆驚いた様子。「記者の方がワーケーションなんだから、バケーションも楽しんでもいいんですよ」と温かいお言葉。そうかあまりバケーションより興味があることに猪突猛進していたな、と少し反省。それから緊張した疲労もあり、早めにホテルへ 夜は海辺のグランピングを楽しむ。


10月6日 曇り 外宮 丸岡家

12時45分 まず再度外宮へ参拝。後に参道街道のそばの旧御師丸岡宗大夫邸を訪れ、御師の生きた証を18代目の丸岡正之さんに案内していただきました。この丸岡家は天正時代1580年くらいから外宮の御師をしていて全国に約8000件の檀家を持っていたそうです。そして明治4年突然の明治天皇の命令による廃藩置県が起き、それまで御師が使っていたお札も江戸政府のものしか使えなくなり、御師そのものも廃止になったとか。あらゆるアイデアで人を喜ばせ楽しませた御師たち。その激動すぎる歴史に心痛め、当時に思いを馳せました。


13時 晴天 内宮へ再度、参拝。

まず大々神楽を拝見し、鳥肌が立ちました。巫女たちの無駄のない動き、そして生の笛御神楽とお祓いを受け、いよいよ皇大神宮御正殿へ。

案内をしてくれたのは、神宮司廳の音羽悟さまです。穏やかにそして厳粛に丁寧に案内をしていただき、特別参拝をさせていただき一生忘れえない体験となりました。皇大神宮御正殿の前に立たせていただいた時、感じたのは眩しすぎる太陽そのものでした。下に引かれた白い御石の反射もあるでしょうが、天照大御神様の眩しさに包まれたような、まるで宇宙に浮遊し太陽の前にいる感覚のようで驚愕しました。そして音羽さんによる説明を聞き身震いがするほどの深さを感じ、私たちの稚拙な質問にも答えていただき、ただただ感動のひとときでした。


10月7日 しとしと雨 月夜見宮と古事記

朝から感動の日々を書き留めるべく籠り 14時からはあらゆる表現は見ようと忍者キングダムやおかげ横丁の古事記神話の劇場を観て、帰る前に必ず行きたかった月夜見宮を参拝しました。いよいよ秋の気配も濃くなり寒い雨でしたが、この暗さもツキヨミを拝むには素晴らしくしっくりときて、穏やかで忘れえない安らぎの時間を過ごしました。そして6時から地元のきさくで美味しいお料理をいただき、楽しい語らいの後、明日の帰宅を前に伊勢日々と思い起こし、床に着きました。


10月8日 曇り 二見興玉神社 帰宅

最後の日の朝、9時。ホテルの方々にお別れをを述べました。これほどの長期滞在は珍しくお別れが寂しい。そして二見興玉神社へ。なんとそこで紹介いただいた宮司と沖縄から来られた尚満喜さんと出会い、楽しく語りあいました。 

なんとも強い気が満ちている場所で、江戸時代の伊勢参りの時、ここで清めてから神宮へ行ったのが納得する所でした。 そしてレンタカーを返しついに伊勢市駅へ。旅の終わりはいつも哀愁が漂うものです。特に今回の伊勢では多くの個性あふれる人たちのおもてなしと笑顔によって救われた心現れる旅となりました。なぜ心が現れたか、そして興味をもったか、レポートを見ていただければ幸いです。

宮本 亞門(Miyamoto Amon) 演出家

https://www.horipro.co.jp/miyamotoamon/


【滞在期間】2022年10月1日〜10月7日

※この記事は、「伊勢市クリエイターズ・ワーケーション」にご参加いただいたクリエイターご自身による伊勢滞在記です。
伊勢での滞在を終え、滞在記をお寄せいただき次第、順次https://note.com/ise_cw2020に記事として掲載していきます。(事務局)