自己価値判断に迷う仔羊たち

 古い格言や諺は正反対で真正面から対立するものがわりとあって、
どっちやねんってなる。
例、2度あることは3度ある vs 3度目の正直

それは現代の謂れ、風潮、主張、世論の論調、なんかでも同じで。
一定の説得力を持つ価値判断が相反して2つ以上存在することはままある。

例えば、

 ラノベ界などの若者向けフィクション脚本に於ける努力VSチートハーレム

 貧乳はステータスVS巨乳を眺めていると幸せになる

 バーチャルYouTuberはロールプレイが命。それを捨てるのは着ぐるみの頭を取ってタバコふかしてるのと同じだ。萎える VS 何言ってんの?下世話な話が面白いし聞きたいんじゃねーか。

 クリエイターに対して「時間やお金が無くて行けません!ごめんなさい」とか言うな!!!!周囲から「あ、価値が低いんだ」と見られちまうだろ!! VS いや「どうしても見に行きたい!行きたいのは山々だが、やむにやまれぬ人生の事情で行けないだけなんだ!本当は行きたいのに!!」と思わせるだけの価値を見出すだけの魅力があるのだな、って見られるんじゃね?

 などなど・・・


 誰が言ったか・何を言ったかを問わず、説得力を持つ複数の"アルファ価値判断"に挟まれて綱引きされてしまいがちな、自己価値判断力の弱い迷える仔羊めいた多くの一般市民である私たちは、どうしたらいいのか。
まるで、スペースオペラSF作品なんかであるあるだと思うんですが、指導力を持つ二つの勢力が争った結果共倒れして
「人類は指導者を失った・・・。BAD END」
みたいなものを彷彿とさせる。

 富野監督「重力に魂を縛られている人々」
 宮崎監督「土から離れては生きられない」
と作品内の主張で殴り合っているのも有名な話。

その辺は仮面ライダーゼロワンとか、デトロイトビカムヒューマンとかの、(昔からあるけど)ロボット(AI)が自我を持ったら人類はどうするかという命題に対する答えが割れているのも観測される。作品ではこう描かれているが、これでよかったのか?ってなる。これはサイコBAD ENDなのか? HappyなTRUE ENDなのか?


 世間の大勢の評価として、スッキリした!と概ね溜飲下せる系のものと、概ねモヤモヤ後味悪い系のものに分類できるとは思いますが、個々人の評価では物語の起承転結の「結」がAで終わろうがQで終わろうが、視聴者の気持ちはAになるとも限らないしQになるとも限らない。それは映画「ジョーカー」評を観測していてもわかる。

自己価値判断力が弱く自信が無い者にとって、この自由な自己判断を迫られ押し付けられた社会に於いて、どんな世界観、どんな物語、どんな道徳を信じて生きていく覚悟を決めればよいのか。わからないでいる。
人生ってどう生きたらいいんですか?


 自分が意図したかどうかを問わず、いつのまにか自分がアルファな立場となって影響力を及ぼす場に立ってしまったとき、覚悟を決めてやっていける人もいれば、ビビって引っ込む人もいると思う。または、自分の影響力に自覚がない人もいたりする。フォロワー10万人とか、チャンネル登録10万人とか。組織で部下を抱えることとか。

アルファな立場にいる人間というのは、いわばファンたちを赤子の手をひねるかのようにある程度コントロール可能になる。それを悪用する人も居れば慎重に真摯に運用する人も居れば、責任が重すぎて潰れてしまう人もいる。詐欺師や指導者やオピニオンリーダーや魅力的な人といった立場にいる者は、共に「人心掌握に成功している」という点では共通していると言える。パイドパイパーたち。

おれは...。信じて良いんだよな..。しんじているぞ......


 いや、なに他人事みたいに受け身でモノ言うとんねん。自分だって「自身の社会的影響力の大きさを正確に把握していない、自覚がない者」の可能性もあるんですが。人間社会に干渉して暮らしているすべての人間はなんらかの影響を及ぼしているわけで、その数値は誰しもゼロより大きいわけです。「インターネットへアウトプットをしている」というだけで、ROMっているインターネットユーザーよりは影響力が大きいわけです。その辺は動画共有サイトの再生数vsコメント数の比率なんかを見てもわかる。