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【ヨーロッパ周遊旅】アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れる

この旅の中で絶対に行こうと決めていた場所。日本に住んでいた頃はあまり興味を示していなかったかもしれない。けど、4年ほど前から海外生活をはじめ、その頃から、いつか絶対に訪れようと決めていた。
人種、宗教、文化、差別、迫害
海外生活の中で嫌でも直面する壁。ここに来れば何かの答えがあると思っていたんだと思う。


さて、アウシュヴィッツを訪れる為に、ポーランドの古都クラクフという街に宿泊!

「ヴァヴェル城」
16世紀まで国王の居城だった場所
市街地を囲む防壁
「聖マリア教会」
旧市街の中央広場に建つ「織物会館」

17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都であったクラクフ。第二次世界大戦の戦禍を免れ、世界で最初の世界遺産12件の1つとして1978年、世界文化遺産に登録された場所。街歩き好きには堪らないだろうなぁと言う感じの歴史を感じる綺麗な街並み。

アウシュビッツはこの街からバスで約1時間半。

今回はなんと20年以上にわたってアウシュビッツの歴史を伝える中谷さんのガイド、直前の連絡だったのでダメ元で伺ったが、まさかのマンツーマンで受けることが出来た。これに関しては泣けるほど嬉しかった😭

当日は10時半にアウシュビッツ入場ゲート前に集合し、早速案内をして頂きました。

中谷さんのガイドはとても興味深い語り口調で、ここで起きたことをただ説明する一辺倒なものではなく、どう思う?どう感じる?と常に意見交換の機を設けてくれる。だからこそ、絶えず続く非現実的な話も、凄く自分の中に落とし込みやすかった。
「この場所で殺された」
「ここで死んだ」
日常ではあまり聞きなれない「死」というフレーズ。それらを淡々と無感情に語ってくれたのも、きっとあえてなのだと思う。感情的に話すにはあまりにも悲惨過ぎる。話し手の感情に引っ張られることなく、自分の感情でこの施設と向き合えたのは、中谷さんのガイドのお陰だと思う。

ただ、第二次世界大戦、アウシュビッツ収容所、ホロコースト、学校でだって何度も学んできたことのはずなのに、知らないことが多過ぎて、そんな自分が嫌になって、何だか気落ちした。
そういえば歴史の授業はあまり好きじゃなかったなぁ。けど、歴史を学ぶことの意味を今回で強く理解した。過ちを繰り返したらいけないんだ。

世界各国から観光客の集まる場所。入場には空港並みの手荷物検索を通過し、いよいよ施設に足を踏み入れる。

天気が良く、空気も澄み渡ってて、日差しが心地よかった。

【アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所】
第二次世界大戦中、アドルフヒトラー率いるナチス•ドイツがおこなった人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、150万人とも言われる犠牲者をだした強制収容所。
収容されたのはユダヤ人、政治犯、ジプシー、同性愛者、身体障害者、精神障害者、捕虜、それを匿った人々など。うちの90%はユダヤ人であったと。

想像ができる?
この国の、この小さな街、さらにその外れの長閑な場所に建つこの施設に、
男女を問わず、子供から老人まで、世界中から150万を越える人々が運ばれてきて、残酷な形で生涯を終えてったこと。
人権を奪われ、強制労働を強いられ、大量虐殺が行われてた場所。

意外にも、足を踏み入れて、自分が最初に思ったことは「陽射しが心地良いなぁ」だった。

「ARBEIT MACHT FREI」働けば自由になれる。

この収容所で暮らし、強制労働を強いられたここの収容者たちが作ったゲート
想像ができない。この環境で、何を話し、どんな思いでこのゲートを作ったのか。
あまりにも非現実的で、いざこの門を目の前にしても何の感情も湧かず、中谷さんの話を聞きながらただ写真だけを撮った。

一部の収容者たちの写真。主に政治犯たち。ナチス政権のやり方に争った、今で言う英雄たち。
囚人服を着て、頭を丸められ、ほとんどの人が収容から1-3ヶ月で命を落としていた。

施設を囲う鉄線。当時は約220Vの電流が流れていたと。過酷な環境に耐えられなくなった収容者が電流を利用して自殺をすることもあったと。

冬はマイナス20℃にもなる土地でこの生活環境。
とても人として扱われていたとは思えない。

多い時期では1日に6,000人のユダヤ人が殺されていたというガス室。
施設に到着した際に非労働力と判断された主に子供、女性、年寄りが、消毒のためシャワーを浴びると裸にされ、出来るだけ多くの人を詰め込むために両手を上げた状態で中に押し込み人で満たす。天井に空いた穴から毒ガスを流し込む。
毒ガスを落とすのは同じユダヤ人の収容者で、遺体を処理するのもユダヤ人の収容者。

実際に使用されたガス缶。

遺体を処理するための焼却炉。
ガス室から近くにあり、ガス室で効率良く大量の人を殺し、この焼却炉で効率良く処理することができる、そんな風にこの施設は設計されていたと。

ここで多くの命が失われた「死の壁」。
沢山の人がこの壁の前に立たされ銃殺された。

この日は本当に天気が良く空が綺麗で、だからこそ、より一層不気味に見えた。

アウシュヴィッツ強制収容所からバスで15分ほど移動したところにあるビルケナウ強制収容所。
この線路がヨーロッパ中に繋がっており、各地から収容者が輸送されてきた。

収容者の輸送に使われた列車。車内の環境は劣悪で、何週間にも及ぶ移動の中、その道中にもたくさんの人が命を落としたと。

ドイツの敗戦確定後、施設の多くは隠蔽の為にドイツ軍によって破壊された。写真は破壊されたガス室。


説明を受けながら施設を周り、写真を見て、本やテレビで見たことのある景色を目の当たりにする。意外と冷静に話が聞けて、自分の感性はどうなんだ?とか思ったりもしていた。なんだか実感が湧かなくて。

けど、ある部屋の中で、ここで失われた150万人の死の重さを実感する。
一部屋がいっぱいになるほどに積まれた髪の毛、靴、眼鏡や鞄。施設に到着すると金品は回収される。戦時下、資源として使えるものは全て奪われる。ガス室で殺された女性の遺体からは、衣類として加工するために髪の毛が刈り取られた。それらが当時のまま部屋いっぱいに積み上げられている。その量が尋常ではない。
小さな子供の靴や、綺麗に三つ編みにされた髪の毛が、無造作に積み上げられている。おぞましい程の量。さすがに冷静ではいられなかった。

マンツーマンでの中谷さんとの時間。
色々な質問をさせてもらった。
この世から戦争は無くならないのか?差別や迫害は無くならないのか?なんて質問まで。

歴史から学ばなければいけないことを教えてもらった。正しい認識をもって、正しい判断をしなければいけないことを。
自分の中にも少なからず差別意識があることにも気付かせてもらった。なんだか自分が怖くなった。
現在の世界情勢と照らし合わせながら説明をしてくれる。もしも自分に選択を迫られる状況がきた時、今の自分には正しい判断を出来る自信がなかった。余りにも無知で、考えが至らないんだなって。

旅で訪れたボスニアで言ってた。誰も戦争なんてしたくなかったのに、気付いたら民族間での殺し合いは始まってたって。
アルバニアでも言ってた。間違いには気付いていたけど、誰もそれを口にできる状況にはなかったって。

アウシュヴィッツの職員の人たちは、過ちを繰り返さない為にここでの歴史を伝えているけど、今また新たに戦争が起きてしまったことに、悔しくてしょうがないって。

世界中から、たくさんの人達がこの施設を訪れて学んでいる。人種、宗教、国籍、文化を問わず。
その意味を考えさせられた。世界はきっと一つの輪のはずなんだろうなぁ。

一生に一度、
やりたい事をやるのが人生だと思ってた。
けど、やるべき事、やらなければいけない事も沢山ある。
「これは俺の人生」は余りにも傲慢だったのかもしれない。

まだ何の答えも出てないけど、今後自分はどう生きていくべきなのかを考えるきっかけを与えてもらった。
やっぱり来て良かった。今日この日のここでの体験は、間違いなく自分の中に色濃く残っていくのだと思う。

もしもこれを読んで興味を抱いた人には、一緒に学んで欲しいな、ここでの歴史。

ここからはバルト三国を経由して、フィンランドを目指します!目的は白夜の体験!

次回投稿もお楽しみに♪

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