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雑文(53)「クッション」

 芳香である。嗅げば嗅ぐほど飽きない、そんな匂いだ。脳みそを素手で触り回る、そんな匂いでもある。
 柑橘を割った水々しい匂いや、あるいは泡立った石鹸の清潔な匂い、私の好きな匂いはそんな匂いで嗅ぐときにそんな匂いを期待してしまう。
 それほど多くはないだろうが、それでも私はこれまでにそれなりに匂いを嗅いできた。どれもが多少の優劣はあるが私の好みであった。
 個人差はあろうが私の場合、クッションに求めるのは手触りじゃなくて匂いだ。賢明な読者諸君の中には「感触」だと主張される方がおられると思いますが、あくまで私の好みは「匂い」であって、それが世間一般かと問われたら、世間一般にアンケートを取ったわけじゃないので正直わかりません。
 いずれにせよ、これまで私はクッションに匂いを求め、それなりにクッションに出会い、その匂いを嗅いできました。どれもが好ましいクッションであって、私の欲求を満足させるに足りました。クッションはなくてはならない、ベッドの上から長くとも半年切らした時期はありましたが、私はこれまでずっとクッションに依存してきたに違いありません。世間一般の方がそうであるように、むろん世間一般の方にアンケートを取ったことがないので真偽は定かではありませんが、クッションは誰もがなくては困るマストなアイテムなんでしょう。私がそうであるように。
 使い古したクッションがあります。これまでよく浮気もせずに使ってきたと思います。むろん誘惑は何度もありましたが結局裏切らなかったのです。どうしてか。なぜ誘惑に負けずにこのクッションを愛用し、私は満足できたのか。賢明な読者諸君にはきっとおわかりのことでしょう。あえて私がここで代弁するまでもなく、そんなことわかりきっているのでしょう。
 そうです。
 私は、変わらずこのクッションを愛しているのです。皆さまと同じように。これからも愛し続けるのでしょう。いつまでも変わらず一途に死ぬまでずっとクッションと共に永遠に。
 このクッションに出会えたことが私の幸福だったのです。むろん私個人の考えなので、世間一般にアンケートを取ったわけじゃないので本当のところはわかりませんが。

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