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53 這い上がるんじゃなくて、一生懸命に逃げて来ただけ。

自分の今の人生を評価するなら、「下の中」っていう所。下の下ではない。這い上がった感が正直ある。だけど、世間を見渡すと、まだまだ全然下の方にいる自分に気付く。卑屈になっているわけでもなく、変に謙遜しているわけでもない。ただ、直感的に出てきた評価は「下の中」だった。

何を指標にしているかというと、「ストレスの無さ」。世の中はストレスに溢れている。そして、人類はストレスから逃れるように進化して来たようにも思える。人間関係のこともそうなんだけど、もっと原始的な所、歩くのが面倒くさいから車を発明したり、火を焚くのが面倒くさいからライターを発明したり。便利になるということは、面倒くさいことから逃れ「られる」ということ。

会社勤めをしていた頃、毎朝起きるとまず胃がキリキリと痛み始めて、最寄り駅のホームに立つと線路を見て飛び降りることばかり考えていた(そんな勇気もないくせに。なくて良いんだけど)。要はすごくセンシティブだったし、幼稚だったから、何もかもをすごく大袈裟に感じていた。あれはでも、紛れもなくストレスだったんだ。自分の不出来が原因だったり、人間関係が原因だったり。

そこから頑張って這い出してみると、少しストレスを感じる機会が少なくなった。冗談抜きで前は毎朝胃が痛かったのに、今は三、四ヶ月に一度あるかないかだ(今もあるのが中々に悔しい)。

僕は今日気付いてしまったのだが、早いうちに自分の心の中から取り除かなければいけないのは「敵対心」だ。この「敵対心」が、言い方がすごく悪くて申し訳ないんだけど、下の下の世界には蔓延している。

昔父親から聞いた話で、死ぬと長いスプーンとスープを渡されて、天国に行った人は隣にいる人にスープを飲ませてあげて自分も飲ませてもらえるが、地獄に行った人は自分で飲もうとするからスプーンが長過ぎて飲めない、という話があった。その話を思い出す。協力し合う精神がなければ(ましてや敵対心!)、そこはまさに地獄。

「ストレスのある場所から逃れる」というのが、実は僕のモチベーションになっているのかもしれない。嫌なことから逃げる、逃げ切る、というのは、本当の所かなり難しい。逃げたと思いきや気付けばまた同じ場所に戻っていて、また同じ目に遭っているということがよくよくある。これが本当に悔しい。「あ、僕はまた、この駅のホームで昨日と同じ嫌な気持ちになっている」と気付くあの瞬間。

最近は、仕事をしていても、相手のことを好きになれることがあって、それってかなり僕の中では「前進」で、俗に言う「住む世界」というのを実感として感じる。「下の中」なんて言ったら、今周りにいる人に怒られちゃうし、実際それ以上に恵まれていることがある。だから僕は、新しい世界の淵にかけることが出来たその手を、離したくない。そこまで行くと、誰かが引っ張り上げてくれることもあるしね。

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ただずっと書いていたくて広げたノート。

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