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50 心の守り方

キャパを超えた嫌な感情を、その都度その都度うまく逃がせる人は良いけれど、僕は昔からそれが苦手だった。

仕事をしていると、どうしても気持ちをこらえなければいけない瞬間というのがあって、結構しんどいし嫌になることもある。例えばミスをしてしまったり、怒られたり、会話がうまく出来なかったり。

二十歳から社会に出て、仕事をするようになってもう十年以上。だけど僕の心は依然弱いまま。というか、十年やって気付くけれども、心そのものを強くするなんて出来ないんだ。出来るのは、心を守る理性をうまく扱えるようになるだけ。

僕のカラダの中には、心を守っている理性の壁がある。例えば、誰かの言葉が飛んで来て、それを直接心で受け止めてしまうとキツい時があるから、そうならないように一旦理性の壁が言葉を受け止める。心まで行ってはいけないような棘のある言葉は、理性が受け付けて理性が返す。危険なものから殿様を守る家来みたいな役割。

当然、その間は心は機能していないので、いわゆる鈍感な状態。感受性はOFF。なので、そうして心を守れば守るほど、鈍感になり、感受性がなくなる。

僕は、心は守りたいけれど、感受性を失くすのは嫌だから、理性の壁の出番が終わったらそれをしまうということをしなければいけない。その出したりしまったりが、この十年のうちに上手になった。自慢になるようなことでもないけれど……

昨日、気持ちが落ち着かなくて、滅入ってしまったというか、情緒不安定になって、どうして良いかわからない状態を長い時間味わった。気持ちが落ち着かない原因があるはずなのに、それがわからなかった。コンセントが抜けているのに動いているドライヤーを見ているような気分。心の動きの、その源が全然わからない。そういう状態。

結局、その原因が翌日の今はわかったので、気持ちもわりと落ち着いて大丈夫なのだけど、なんで昨日みたいなことが起こるのかを考えていた。

先ほどの理性の壁の話で、うまく出し入れをして心を守ると言ったけれど、心を襲うものがいつどこから来るかはわからない。家来の目を盗んで城に忍び込む暗殺者みたいに。昨日はつまり、まんまと入り込まれてしまったんだ。そして、そんなことも知らず家来は城の外に見張りに出る(理性の壁を出す)。もう良いだろうと城内へ戻ると、殿様は何者かにすでにやられている。家来たちは何がなんだかわからない。殿様をやったのは誰なのか(心を病ませたのは何なのか)。原因のわからない情緒不安定。

キャパを超えた嫌な感情は、その都度その都度逃がせた方が良い。だけど、理性の壁でやってきた僕のカラダは、タイミングが悪いと自らの壁が邪魔になってうまく感情を逃がせない時がある。内出血みたいに内に溜まってしまう。昨日の情緒不安定は、そういうものだったんだと思う。溜まった血を抜くのにしばらくかかったけれど、今はもう大丈夫そう。

こうして書いてみて思う。なぜ僕は自分の感受性をそんな危なっかしく取り扱うのだろうか。でもまたすぐ思う。社会の中に、理性の壁を出したまま心の出番を失くしてしまった人を見るからだ。凝り固まって、人の気持ちもわからないで、美しさよりも正しさに囚われて、そんな人間、僕は嫌なんだ。今の自分のやり方がすべて正しいわけではもちろんないけれど、大切にしたいものは、大人になってもずっと大切にしたいんだ。

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