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ゴールド 金と人間の文明史-50 カールⅤ世とフランソワⅠ世の野望

ヨーロッパ内部での軍事行動の大半は、この時代の二大君主、スペインのカールⅤ世とフランスのフランソワⅠ世の野望に起因していた。

イングランドのヘンリーⅧ世はカードゲームに口を挟む見物人さながら、常にこの両者を競わせていた。


フランスは新世界で金を発見した幸運な国ではなかったが、アメリカからセビーリャに向かうガリオン船からの略奪と貿易を通じて金を獲得していた。

フランソワⅠ世は金の伝統 -金は広報活動に、大仰な見せびらかしに、そして権力の誇示に欠かせないものである- を固く信じていた。

フランソワは芸術の熱心な保護者でもあり、ローマの監獄に入っていたベンヴェヌート・チェリーニを釈放させ、フランス宮廷に招いてこう言い渡した。

-おまえを黄金で窒息させてやろう!-


フランソワⅠ世は自分こそがヨーロッパ最強の君主であると思っていた。

しかし、スペインとの1525年のパヴィアの戦いはフランスの完敗に終わり、彼はカールの捕虜となりマドリードのじめじめとした地下牢に入れられ惨めな1年を送った。


カールⅤ世はイタリアの完全制圧にかかり、軍隊をローマに派遣して当時でもめったにない残虐なやり方で攻略をした。

イタリアを支配するというのは、教皇を支配することでもあった。


ヘンリーⅧ世とフランソワⅠ世は1520年にカレー近郊ギーヌで顔を合わせていた。

フランソワは知らなかったが、ヘンリーはフランスに旅立つ直前、ロンドンにやってきたカールⅤ世と秘密会談をしていた。

そのせいもあって、ギーヌでの会談はやたらと仰々しいものになった。実質の無さを覆い隠すかのように式典と示威行動が飽きるほど繰り返された。

シェークスピアはこのときの様子をこう記している。

-今日、フランスがたが異教の神さながらに金色を燦然と輝かせイギリスがたを圧倒するかと思うと、明日はイギリスがたがブリテンを黄金の国インドを化するかのように、一人一人を金山と見せる勢いを示す-


このようにヘンリーⅧ世はカールⅤ世とフランソワⅠ世を競わせながらも、この会談後わずか3年後に、フランスと交戦した。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン




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