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ゴールド 63 人々は貨幣に価値を求める

桑を原料とする紙幣に捺されたフビライ・ハーンの紋章にマルコ・ポーロは敬意を払った。

このことは、国家が発行する貨幣と私的通貨 -今日における私的通貨とは、小切手、電子的なデータによって個人の銀行口座から別の口座へ移される大量の資産- との関係について重要な疑問を投げかけてもいる。


人々は貨幣に価値を求める。価値のない貨幣は貨幣でない。支払いの手段にならず、誰もそれを貯蓄しようとしたり、財産と考えたりはしないからである。


金属でできた正貨ないしは金属と交換可能な紙幣は、紙幣のみを用いる通貨制度よりも価値があると考えられている。ここには金属は紙よりも供給量が限られているという前提がある。つまり、金属を用いることで貨幣は無価値にならずに済むということである。

馬端臨が述べたように、「紙を貨幣とするべきではなく、金属や製品の価値を示すしるしとして扱うべき」なのだ。


フビライの政策は価値を作り出して維持するときに、国家権力が戦略的な要素であることを示している。

アメリカ独立革命の当時、植民地政府が発行した「大陸会議紙幣」は無価値の代名詞になってしまった。しかし、憲法によって正式に認められた連邦政府発行のドル紙幣は200年以上ものあいだ受け入れ続けられている。

イギリスのスターリング・ポンドは同国の君主制と同じように不断の歴史を持つ。

ソビエト連邦の崩壊後、ロシアはルーブルを国際的に認めさせることがなかなか出来なかった。

ドイツ統一後の東ドイツはドイツ・マルクが確立されていたため、通貨の交換で多くの利益を得た。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン



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