好きなものを仕事にする、プロであること、そのバランスって難しい

以前漫画家の方が集まる作業通話に参加させていただいた時に、海外ドラマの話になったことがあって、私は海外ドラマが好きなのでとても盛り上がった。

その時にその話を聞いていた別の参加者の方から、「海外ドラマお詳しいんですね」と言われたので、「好きで色々見てるんです」と答えると、「資料で見てるんですか?」と聞かれたので、ちょっとびっくりした。でも、このやりとりでびっくりするのは、ひょっとすると私だけなのかもしれないと思って、ちょっと寂しくなった。「好きで見てる」と答えたのに、「資料ですか?」と言われたことがびっくりした。

漫画家というお仕事をさせて頂いている以上、確かに資料で見るものは多いし、見たものは全部資料になるとも言える。私が見た海外ドラマも、きっと私の仕事に影響を及ぼしているので、そういう面では資料ともいえる。
でも、きっと私が「ソシャゲが好きで色々やってるんです」「鬼滅の刃が好きなんです」と答えていたら、きっと「資料ですか?」とは聞かれなかった気がする。
海外ドラマってそんなに普通に好きでいることが珍しいのかな…?と思ったのと、漫画家ってなんでも資料にしないといけないのかな?一般的にそう思われてるものなのかな?と色んなモヤモヤを考えるきっかけになってしまった。

似たような話で、「猫飼ってよかったね、バズるネタができたじゃん」「ネタにできるね」ともたまに知人から言われます。
ネタにする目的や、バズるために猫飼わなきゃいけないのか…?私が猫を飼ったら、そういうふうに見られるの…?とすごくモヤモヤしてしまった。
私が私の人生を充実させるために猫を飼うことが、全部「漫画家」という仕事を充実させる方向に吸収されてしまうのがとても違和感がある。
なので、誤解されないようにこういう日記を書いたりもした。

私はエッセイ漫画を描いて仕事をしているので、エッセイという性質上、今飼っているぽてとのことを触れずにスルーするという選択肢は難しいかなと思うし、保護猫を迎えることの楽しさや体験談を発信出来たらと思っているので、そのスタンスを理解してくださる編集さんのもとではお仕事としてぽてとのことを描くと思う。「猫で売れましょうよ!」「保護猫をガンガンプッシュして保護猫の第一人者になりましょう!」みたいなスタンスの方とはぽてとのことをお仕事として提供できないかなと思っています。

海外ドラマにしても、猫のことにしても、私が感じるのは「漫画家=自分のアイデンティティ」となってしまっていて、それが漫画家本人も周りの読者や環境も共通の認識なのかなということ。

それを否定はしないけど、私は漫画家である自分が自分のすべてではないので、周囲からそういう風に見られることがとても息苦しい。

お仕事目線で面白い資料を沢山見ることと、楽しんで映画やドラマを見ることは私の中で別物だし、私は仕事と楽しみを切り分けて考えている。
だからこそ創作しようと思った時に、その両方がシナプスでふっとつながった時、インスピレーションが下りてくるのかなと思う。あくまでこれは私の感覚であって、みんながそうであるべきとは思ってないです。

「好き」で見るものと、「仕事」で見るものは別物だし、
猫を飼うことは「仕事」につなげるためじゃなくて、自分の人生を充実させるためにしたことです。

悩んだこともあったけど、そういうスタンスで仕事をしていると、私の「好き」を穿った目で見ることなく理解してくれる人が増えたり、「好き」でつながれる人との充実した出会いが癒しをくれたり、私の「好き」のままで仕事していいよと言ってくれる案件もたまには来たりします。

他の人がそうすべきとは思わないし、これは私の性格と経験でこうしていくか、と決めた方法論であって、仕事をとるための話とかではなく、単純に自分が好きなものを「資料ですか?」とか「ネタにしようよ」と言われるのが嫌なんです、という話でした。そういう私は変わり者かもしれません。

でも、「好き」なことで仕事をもらえた時は、それがお仕事として成立するように「プロ」としてのふるまいをもとめられると思っています。
今まで私は好きなアイドルのことで色んなお仕事を頂いてきましたが、その中で自分が「プロとしての一線」だとこだわってきたことを続きに書きました。まあ自己満足なんで恐縮ですが、よかったらこんなこと考えてたんだなと参考にしていただけたら幸いです。

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