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ダサい私を残しておけばよかった

今年の2月に引っ越しをした。
今回の引っ越しは、コロナで変わった生活環境や働き方に対応したかったのと、自分も色々なことを新たに出発したくて、今までとは違う環境に身を置きたかったから。

今回の引っ越しで、思いきって色々なものを捨てた。
上京したときから使っていた片手鍋とか、高校時代から着ていた服とか、OL時代の思い出のものとか、もう今の自分では使えなくなってしまったものがたくさんあって、断捨離まではいかないけどかなりの荷物を減らした。

新しい家が決まって、引っ越して、まだ来ていない家具もあって完璧とまではいかないけど、部屋が暮らせるように整ってきた。

先日から保護ねこさんのトライアルもスタートして、バタバタしながらもなんとか1週間、事故もなくねこさんと暮らすことができた。

そして今日、色々なことに追われていた自分にようやく少しだけ自分だけの時間があって、新しくこの家で買ったダイニングチェアに座っていると、なんだかひどく息が詰まるような不安な気持ちに苛まれた。

私はお買い物が好きだし、色々なものをくらべながらこれはどうかな?と想像するのも好き。だから、色々なものを手離しても、あたらしくお迎えする大好きなものたちと同じだけ年を重ねていけばいいし、それがきっと楽しいと思ってた。

そうしてこの部屋に引っ越してきて、新しい家具たちにかこまれて、Instagramとか撮ったりして、以前とは違うお部屋を楽しんでいた。と思ってた。

でも、たぶん私は少し後悔している。
Instagramには絶対映えないし、便利でもない使いふるしの片手鍋とか、高校時代のダサイカーディガンとかを、捨ててしまったことを。

新しく便利で隙のないお部屋をつくろうとして、私が私の作った部屋のなかでなんだかなじめなくなっている。
今まで長い時間を共にしたものたち、もう使えないものばっかりだったけど、私がダサくても使えなくてもいいよって、安心をくれていた気がする。

捨ててしまったことを無意識の部分で後悔している自分と、恋しがっている自分に、今日は気づけてよかったのかもしれない。
ずっと同じ場所にはいられないし、納得してやったことだから、後悔はしてるけどやりなおしたいとは思わない。ちょっと複雑な気持ちです。

このお部屋に私が馴染めるのはいつかな。
ちょっとダサいほっとするようなコーナーでも作ってみようかな。
すべてのものと、また新しい時間を刻んで、馴染んでいかなくちゃなあ…と、なんか今日は呆然としてしまった。

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