masato uematsu

結局、映画なのか…。映画に救われ、映画に突き放され、再び、映画に抱えられる。そんな繰り…

masato uematsu

結局、映画なのか…。映画に救われ、映画に突き放され、再び、映画に抱えられる。そんな繰り返しの人生の中で、なにも学ばず、何も身につけずに生きてきた気がする。僕のデビルスタワーはどこにあるんだろう。 https://dosuru40.com/madness-of-60sman/

最近の記事

狂い咲きサンダーロード

『高校大パニック』のCMがテレビでガンガン流れていた頃、石井岳龍ではなく、石井聰亙はスターだった。映画に興味を持つ若者たちは、みな助監督経験なく自主映画の世界から一足飛びに商業映画へ飛び出した、大林宣彦、高林陽一たちの大先輩に続いたのが、大森一樹、石井聰亙だった。 僕はまだ高校に上がったばかりで、キネマ旬報を毎回買って目を皿のようにして読んでいた。そんなキネマ旬報には毎号、試写会のお知らせがあり、あまり当たらないのだけど、気になる映画があればハガキを出していた。そして、当た

    • 箱男がついに公開された

      石井岳龍が、いや,石井聰亙が『箱男』を撮る。しかもドイツとの合作で!と言うニュースを聞いたときは本当に驚いた。正直、『狂い咲きサンダーロード』『爆裂都市』『逆噴射家族』あたりで、なんとなくブーム的な人気に翳りが見えていたし、作られる作品の公開規模もどんどん小さくなっていた。それはちょうど日本映画が観客動員を見込めなくなった時期でもあり、石井聰亙の人気というよりも邦画人気そのものの凋落だったのかもしれない。 そんな時に、あの石井聰亙が、あの箱男を、なんとドイツで撮る!というニ

      • ゴダールの『男性・女性』

        ゴダールで何が好きかと言われたら、迷わずに『男性・女性』だ。代表作は『勝手にしやがれ』か『気狂いピエロ』だし、他にも『軽蔑』みたいなわかりやすい文芸作品もある。 けれど、フレンチポップのアイドルを主役に据えた、いわばアイドル映画である「男性・女性』の瑞々しさと、映画で遊ぶゴダールの楽しそうな様子は(本人は出てこないけど)、類を見ないくらいに傑出している。 ゴダール映画は見事にメインストリームに対するカウンターだった。ベルイマンとゴダールはなんだか似ていて、どちらも不実な様

        • ゴダール、さよなら

          さよなら、ゴダール。 ありがとう。 映画の自由さと不自由さ。 広がりと閉塞。 やっぱり、ゴダールからは いろんなものを受け取った気がする。 遺作はこれから撮ろうとした、 作品の企画書の断片みたいな内容だけど、 それはそれでゴダールらしい。 亡くなって時間が経つけど、 ゴダールがいないんだという気持ちは、 ずっとある。 ゴダールから受け取ったものの大きさは だんだん大きくなっている気がする。 さよなら、ゴダール。

        狂い咲きサンダーロード

          絶望の時代に『ベルリン・天使の詩』をみる

          『都会のアリス』や『まわり道』『さすらい』などで、すでに僕たち若きシネアストの憧れの的だったヴェンダースは、ハリウッド進出第1作である『ハメット』ですったもんだがあり、興行的には失敗作を生み出してしまう。その後、『ことの次第』で、おそらくその時の心情を詰めんで映画作りがうまくいかないと状況をそのまま映画にした。 そして、我らがヴェンダースは『パリ、テキサス』で大復活を遂げる。この作品で、ヴェンダースはパルムドールを獲得した。 その後、究極のプライベートムーヴィーとも言える

          絶望の時代に『ベルリン・天使の詩』をみる

          『ミッシング』をみて思ったこと

          レビューとかではなく、この映画を見てぼんやりと思ったことだけを書く。 人は人をすぐに信じるし、すぐに疑うし、すぐに裏切る。結局、自分の中にある言葉と経験だけで判断して、誰もが平気で他人を陥れるけれど、自分だけが安全なら、とりあえずは笑っていられる。自己肯定感のない人たちが、それより酷い人間を探しあぐねて、まるで正義のヒーローのように振る舞い、また誰かを陥れていく。いくら真実を言葉にしたって薄ら笑いを浮かべる奴らの前では言霊も霧散する。霧散した言霊をぼんやりと眺めていても、き

          『ミッシング』をみて思ったこと

          映画『関心領域』をみて

          第二次大戦中、アウシュビッツ収容所の壁を隔てた隣で、裕福に暮らしていたナチスドイツの高官家族の暮らしぶりを描いた作品。 関心空間というタイトルは、塀の向こうに関心を持たず、自分たちの暮らしだけに関心を持っている人々といったところだろうか。 でも、収容所の塀一枚隔てた暮らしでそんなことはあり得ない。日々聞こえてくる銃声や叫び声。虐殺された死体を焼く煙が窓の向こうに立ち昇る。そんな一つ一つの情報が胸の中に蓄積しているのは確かなのだが、それでも緑豊かな庭を作り、贅沢な食事をしな

          映画『関心領域』をみて

          『希望のかなた』の絶望

          北千住にある東京芸術センターのシネマブルースタジオで。あそこはフィルム上映で見れるのがいい、というかたぶんフィルム上映しかできないんだと思う。DCPを入れてたらもっと必死で集客しないとやっていけないもんね。 公開時にみた時には、妻と大喧嘩したことを思い出した。同じく難民を描いた前作『ル・アーブルの靴みがき』が、優しい人たちばかりが登場して、ラストもそれなりに包み込むようなエンディングだったのに、本作が難民にとってきびしさが付きまとうものだったからだろう。妻は、主人公に肩入れ

          『希望のかなた』の絶望

          『ニュー・シネマ・パラダイス』を斜に構えてみてしまう理由

          なんか、すごいタイトルを付けて書いてみたものの、なんかちょいとズレた気がしたので、書き直す気満々なのだけれど、またちょっと考える。

          『ニュー・シネマ・パラダイス』を斜に構えてみてしまう理由

          小津のDNAが日本に育たない理由

          2023年の年末から2024年の1月にかけて、映画好きとしてはとても幸せな時間を過ごした。ヴェンダースの新作『PERFECT DAYS』が公開され、アキ・カウリスマキが引退を撤回して『枯れ葉』を公開してくれた。その上、『枯れ葉』なかにはジム・ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』を主人公たちが観ているという場面まであった。なんだか嬉しくなってしまったのだけれど、思い返せばヴェンダースもカウリスマキもジャームッシュも小津安二郎に強い影響を受けた作家ばかりだ。アメリカ、フィンラ

          小津のDNAが日本に育たない理由

          『コット、はじまりの夏』でテーブルの上に置かれたもの

          1980年代、アイルランドの田舎町。9歳のコットは父母と3人の姉と一緒にして暮らしている。稼業は酪農らしいがうまく行っているようには見えない。特に父親は子供たちに興味を示さず、ギャンブルと酒のために出掛けてばかりいる。 そんな中、母親はコットの弟か妹を身ごもる。出産を控えた母親は、末娘のコットを従兄弟夫婦の家に預けることを決める。 さりげなく描かれるコットの実家での暮らしは、育児放棄の一歩手前で、預けられたおばさんの家での暮らしは、コットにとって生まれて初めて自分と向き合

          『コット、はじまりの夏』でテーブルの上に置かれたもの

          『PERFECT DAYS』に描かれていないもの

          2023年の終わりに、映画『PERFECT DAYS』を観てからもう数ヶ月が過ぎた。これまでに映画館に足を運んで5回以上観た。いくら映画が好きでもこんなに短期間に複数回映画を観たのは初めてかもしれない。 なぜ、こんなに僕は繰り返し『PERFECT DAYS』を観たのか、観ることができたのか。それは何回観てもなにかを発見することができる余白がこの映画にあったからだと思う。 この映画にはあまり詳しい説明がない。なぜ、役所広司分する主人公の平山がトイレ掃除を生業にしているのか。

          『PERFECT DAYS』に描かれていないもの

          映画について書き始めるこころ

          3年ほど前にノートに登録して、「映画について書こう」と思っていたのに、何も書かないまま時間だけが過ぎた。この3年の間に、いろんなことがあった。人は平気で嘘をつく。ついた嘘を真実のように塗り固めようと、新しい嘘をついていく。嘘だとわかっていても金になるなら、悪魔に魂を売り渡す。映画のようなストーリーが目の前で繰り広げられると「映画なんて」と思う日々が続いた。それでも、ふと潜り込んだ暗闇で、そんな自分の絶望を「どうせ絶望なんて、癒されるもんじゃないよ」という声を聞いて救われてしま

          映画について書き始めるこころ

          いい環境を守っている

          いい環境を守っている