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『PERFECT DAYS』に描かれていないもの

2023年の終わりに、映画『PERFECT DAYS』を観てからもう数ヶ月が過ぎた。これまでに映画館に足を運んで5回以上観た。いくら映画が好きでもこんなに短期間に複数回映画を観たのは初めてかもしれない。

なぜ、こんなに僕は繰り返し『PERFECT DAYS』を観たのか、観ることができたのか。それは何回観てもなにかを発見することができる余白がこの映画にあったからだと思う。

この映画にはあまり詳しい説明がない。なぜ、役所広司分する主人公の平山がトイレ掃除を生業にしているのか。なぜ、裕福な妹がいるのに、兄である彼だけが古びたアパートの一室に住んでいるのか。なぜ、平山は木々の小さな鉢植えを大切に育て愛でているのか。なぜ、木漏れ日を見つめ微笑みフィルム写真に収めているのか。そんな説明が一切ない。ないからこそ、僕は画面に写る平山の表情や行動からそれを想像する。その想像は見る度に深くなったり、別のものに変わったりする。

初めて観たとき、平山は世捨て人のようにも見えた。でも、仕事には熱心に取り組んでいるし、毎日をしっかりと楽しんでいるようにも見える。だとすれば、彼はこの暮らしを選んだのだという気持ちがしてくる。しかし、最初からこの暮らしを選んだと思うには、謎が多い。特に妹との会話に出てくる父の存在は平山の人生に大きな影を落としているようだ。

二回目に観たときに、ふと思ったのは最初、彼は自分の人生を一度リタイアしたのかもしれない、ということだった。ある程度成功していたのにもかかわらず、何かのきっかけで、もしかしたら父親とのトラブルで、すべてを捨てても構わないと思ったのかもしれない。だとすれば、平山の今の生活は確かに、彼が選んだ道ではあるにしても、最初から望んでいたものなのではなく、成り行きで手に入れた暮らしなのかもしれない。しかし、彼はそこからさらに堕ちていくつもりはなく、そこで持ちこたえ、自分の人生を新しくやり直そうとしたのかもしれない。そして、平山の暮らしは平山という人物が、自分を見つめ直し、自分の身の丈に合った暮らしを手に入れようとしている過程なのかもしれないと思えたりしたのだった。

それはつまり、平山という人物がまだまだ枯れきってはない男だということを意味している。だとすると、彼には力を入れて取り組める仕事があり、写真を撮り、植物を育て、読書をするという趣味がある。仕事帰りに立ち寄れる酒場があり、気持ちのいい銭湯があり、たまに足を運ぶ歌のうまいママがいるスナックがある。

さて、そんな平山の生活に足りないものがあるとしたらなんだろう。それは女の影だ。平山が身を持ち崩した世捨て人ではないとしたら、健康な肉体を持った平山の日常として描かれていないものは女性との関係だろう。そうやって繰り返し観ていると、はっきりとは描かれていないのだけれど、スナックのママとの関係が見えてくる。

通っているスナックでは、平山へのママの対応が少し贔屓されていることは描かれている。付きだしのポテトサラダの量が多かったり、愛想が良かったりする。これは賛否分かれるかもしれないけれど、平山とママはたぶん男女の仲なのだと思う。いや、付き合っているという感じではなく、おそらく一度か二度関係があったのだが、お互いの客とママという関係以上に進展させようとは思っていない。けれど、やっぱりに憎からず思っているから気にはなる。

そう思って2回目3回目にこの作品を観ていると、河川敷で平山が辞めていたであろう煙草を吸っている場面もわかりやすい。彼は焼き餅を焼きやけ酒とやけ煙草にふけっていたのである。だとすると、三浦友和扮する元夫とのやりとりは絶妙に面白くなる。というか、そう考えないと、どうしてもこの場面の深さが見えてこない気がする。

実は、『PERFECT DAYS』で気になっている部分がまだあるのだが、たぶん上映中にもう一度くらい観にいきそうな気がするので、その時に確かめてからまた追記していきたい。


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