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いつの間にかyahoo!トップに載って、いつの間にか批判されていた話

ある日、いきなり大学の友人や後輩や仕事で知り合った人たちからたくさん連絡が来ました。なんでか不思議に思って聞いてみたら以前インタビューしていただいた以下の記事がyahoo!のトップかなにかに載っていたようです。

意気揚々とページを見に行ったらコメント欄で「こんなの不幸のうちに入らない」「もっと大変なヤツはたくさんいる」「これで不幸だったら日本人の半分は不幸」「甘えてる」「こういう人に教育に関わってほしくない」的なコメントがたくさん。。。

たしかにインタビューが記事になったのを見て(発売当日)自分も「なかなか煽ったタイトルだなぁw」と思いました。ただ、なんとかこどもたちにとってよりよい放課後をつくっていきたいと思って、貯金も全部使い果たして借金までして。お気に入りのアメリカンバイクも売って結婚もできなくて(それは自己責任)。それでも頑張ってきたのになんで赤の他人にそんなこと言われなきゃならないの。。。とちょっぴり傷つきました。でも傷ついていてもしょうがないので自分自身を慰めるために今回の反省を記事にしておきます。

そもそも言いたいことが伝わらなかった。

今回の反省はこれにつきます。そもそも私は自分の不幸自慢がしたいわけでもなく、不幸合戦をしたいわけでもありません。順風満帆に歩んでいたけど、いきなり環境が厳しくなって非常に苦しい思いをした。社会に対して非常に強い怒りも感じた。その時にさまざまな助けを得て日常に復帰できた。その後、こどもたちの厳しい環境について学ぶ中で【自分よりもっと大変な環境にいるこどもがたくさんいること】に気付かされた。だから、生まれ育った家庭や環境でその後の人生が左右されない社会を実現したいと思ったんです。ただそこをうまく伝えられなかったのは自分自身の未熟さと、ついついいろいろ自慢したくなっちゃう性格の悪さが原因だと痛感しております。

あとは私がまだ何者でもないことも原因の一つだと考えています。社会への強い怒りから始めた学童保育。当初はこどものことを「かわいい」とはまったく思っていなかったし、教育や保育を変えていくことに興味はあってもこどもそのものにはあまり興味はありませんでした。私がやりたかったことは人生のスタートラインを同じにしたり、育っていく環境の格差を是正したいということで、こどもたちがその後、幸せになるかどうかはその子自身の問題だと考えていました。しかし、毎日こどもたちと関わる中で、こどもたちに本当にたくさんのことを教えてもらって。長い時間を共に生活して一緒に泣き、笑い、怒り、時には本気でぶつかって。そんな数年間を過ごすうちにこどもたちのことを本当に愛おしく感じ、ひとりひとりに幸せになってほしいと感じるようになりました。

そして、当初はさまざまなカリキュラムをたくさん実施して「経験や体験の格差をなくす」「意欲や能力の差をなくす」ことに目がいっていましたが、こどもたちと過ごす中で、こどもたちに本当に必要なのは「他者と比較評価されず、自分自身を受け止めてくれる居場所」だということにも気づきました。このように、自分自身もこどもたちに教わり変化している最中なので、ますます言いたいことが伝わりにくかったのかもしれません。

記事の性質上、個人にフォーカスがあたっていた

これはインタビューの依頼を受けたときからお伝えいただいていたことですし「これからのこどもたちは激動の時代を生きていく、実は親も今のままではいけないと感じつつも、どうしても今までの価値観で、宿題きちんとやるとかテストの点数がどうかとかそういうとこに目が向いてしまう。だから多様な育ち方をした人間のインタビューを載せることで、多様な生き方があることを実感してほしい」という深澤編集長の言葉に共感したからペラペラと自分の人生について話しまくってしまったのですが。

そもそも、自分の生い立ちについて話せるまでに心の整理ができたのはここ数年のことで。やはり自分の中ではあまり話したくない時代の話でもありますし。私自身は本当にろくでもない人間なので人様に偉そうにお話しするようなこともないですし。今後は粛々と学童保育について語っていこうと思いました。

捨てる神あれば拾う神あり

そんな批判の中にも「自身の経験から学童保育を運営されていることは素晴らしい」「"生まれ育った家庭や環境でその後の人生が左右されない社会の実現"という理念に共感する」と書いてくださっている方もいらっしゃったり、(おそらく記事を見て)CFAに寄付をしてくださった方々もいらっしゃいました。そういったひとつひとつの善意に救われ、これからも頑張っていこうと思えました。


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