見出し画像

「愛情」と「愛着」の違いを深く知った夜

その夜、私は「愛情」と「愛着」の本当の違いを知らないことに気づかされた。そのことを教えてくれたのは、見ず知らずの鳩。

しかもそのとき、彼?彼女?はすでに死んでいた。

死んだ鳩が教えてくれた「大切な心の在り方」

私の人生に、ここまで深い記憶を刻むことになるとは、一体誰が予想できただろう?



思えば、私は昔から鳥が好きだった。

幼少期はセキセイインコを飼っていて、初めて飼った1匹はロストしてしまった。まだ子どもだった私と姉は、下手くそなインコの似顔絵を描いて、近所中の電信柱に張り紙を貼りまくった。

親切な人から目撃情報の電話が入ったときには「お願いです! 捕まえてください」と必死に懇願したけれど、ピーちゃんは自由を求めて大空へと羽ばたいてしまったらしい。

落ち込む私たちを見かねた母は、セキセイインコのヒナ選びに連れて行ってくれた。数匹いるヒナのなかから私が選んだ子は……頭頂部の毛が寝ぐせのように逆立っている子。

「えー? ホントにそれでいいのぉ?」姉の不思議そうな声が飛んできたことを記憶している。

「うん。この子がいいの」

あきれ顔の姉は、大空へ羽ばたいていったピーちゃんと同じ色のヒナを選んでいた。私は、寝ぐせ頭の緑色のヒナを大事に家に連れて帰った。

姉が選んだインコは、黄色なのになぜか「さくら」と名付けられた。そして、名前付けに迷っていた私に、母が提案してくれた名前は「チチル」だった。

幸せの青い鳥の「チルチル、ミチル」からとったらしい。

母の付けた名前を気に入り、そして満足げの私。その後チチルは「ちーちゃん」と呼ばれることになる。

さくらとチチル(ちーちゃん)は、初代ピーちゃん同様にロストしたり、ロストされたりしたものの(近所の子どものイタズラで)、その度に無事に舞い戻り、10年近くわが家の家族となった。

11月23日の朝。母がチチル(ちーちゃん)の死を静かに教えてくれるまでは。

寒い日の朝だった。先に虹の橋を渡ったさくらを追いかけるように、チチル(ちーちゃん)は冷たくなっていた。

チチル(ちーちゃん)が死んでしまったその日。たかだか14年しか生きていなかった私は、それまで生きてきたなかでも一番の号泣をした。そして、生きてきたなかで一番深い穴を堀った。

大切なチチル(ちーちゃん)の体を、野良猫に食べられたくなかったのだ。


泣きながら深い穴を掘る姿……(いま、冷静に考えるとホラーでしかない)


そんな幼少期を送ったせいか、気がつけば鳥グッズが身の周りにあふれている。雑貨はもちろん、服やバッグにも鳥が存在しているのだ。

いま思うと、チチル(ちーちゃん)が死んでしまった穴埋めのように、無意識のうちに鳥のアイテムで不在を埋めていたのかもしれない。

そんな過去を持つ私が、コザクラインコをお迎えしたのは、もはや自然の流れ。

2022年5月13日。コザクラインコ小太郎0歳。わが家の一員となる。


「神さまは、なんて愛らしい生き物を創ったんだろう?」

「お前は神さまに愛されて創られた子だねぇ」

小太郎が家族になってからというもの、わが家では親ばか丸出しの会話が飛び交うようになった。さほど鳥に興味がなかったはずのパートナーが、どんどん鳥好きへと変化していく。

それととともに、幼鳥だった小太郎は成鳥へと変化を遂げていった。

毎日、毎日、発見の連続で笑顔が絶えない。
(インコってかわいいだけじゃなくて、おもしろい!)

そんな平和な毎日が続いていたある日________。

「ねぇ、いらないタオルがあったら持ってきて!」

仕事から帰って来たパートナーの声が玄関から響いてきた。

「ん? 雨降ってたっけ? 濡れたのかな」

急いでタオルを持って駆けつけると、なんともきまり悪そうな顔で、なにか言いたげに玄関に立ち尽くしている。

………………。

「鳩がさ。鳩が死んでしまってね……」ポツリポツリと、パートナーが話しはじめた。聞けば、いまにも死にそうな鳩が仕事場にいたらしい。

「触るぞ」

車にひかれない場所へと移すため、鳩を驚かせないように声をかけて持ちあげた。しばらく苦しそうに息をしていた鳩は、やがて最後の力を振り絞り、首をくいっと向けて、パートナーの目を見て亡くなったのだとか。

その話を聞きながら、リアルに情景を想像してしまった私はウルっと涙ぐんでいた。

「ごめん。手のなかで亡くなったから放っておけなくて。うちには小太郎もいるから家には入れないし、明日埋葬するからさ」

言い訳するように話す言葉を聞きながら、
(鳥好きの私が無下に扱うわけがなかろう……)と思っていた。

夜のウッドデッキで、部屋からもれる明かりを頼りに鳩の寝床を作る。袋から取り出した鳩は、思いのほか大きくて驚いた。それは、普段はちいさな小太郎を見ていたせいかもしれない。

まるで剥製のようで、薄いグレーで上品だった。眠っているみたいに美しい。そして、足には2つのリングをはめていた。

(伝書鳩? それともレース鳩ってやつかな?)

なんにせよ、長旅の途中でなんらかのアクシデントがあったに違いない。どれだけ大変な思いで飛び続けていたのだろう……どのくらいの距離を? 飼い主に早く会いたくて、必死に家を目指して帰ろうとしていた姿を想像すると、ポロポロ涙が止まらなくなった。

「がんばったねぇ……偉かったねぇ……」そっと、頭をなでてあげる。

もしかすると死ぬ間際、パートナーを飼い主と勘違いしたのかもしれない。(だから最後の力を出して、振り向いたのかな……)

ひとまず、今夜はちいさな段ボールにタオルを敷いて、安眠できるようにと庭のローズマリーを添えた。

「鳩の飼い主も、帰宅しないのを心配しているかもしれないよね」
小太郎を大切にしている私たちからしてみれば、鳩の飼い主も同じ気持ちに違いない。そう思うのは当たり前のことだった。

「前にテレビで見たけどさ、レース鳩ってお風呂に入れてもらったり、すごく大切にされているみたいだよ」

パートナーから聞いた情報に「へぇーそうなんだぁ」と相槌を打ちながら、レース鳩について検索をスタートする。私は、知らないことがあるとすぐに調べたくなる性格だ。

どうやら足のリングから「日本伝書鳩協会」と「日本鳩レース協会」のどちらに属しているのかがわかるらしい。

家で眠っている子は、レース鳩らしかった。

(レース鳩ねぇ……)

名前を聞いたことはあったけれど、私はレース鳩の内容をほとんど知らなかった。調べはじめてすぐに絶句することになる。

(これは、動物虐待にならないの?)

タイムを競うために、見知らぬ土地へ連れて行き、鳩を放つ。ときには、何千キロも離れた遠い先から。

(帰ってこない鳩はどうなるの? ちゃんと迎えに行くの? いや無理だよね…… え? そのまま?)

ショックのあまり、心の声が止まらない。なおもインターネット上を検索していると、悲惨な鳩の画像が豊富にあるではないか。路上で亡くなっていたり、途方にくれて元気がなかったり。

レース鳩のことを調べれば調べるほど、2人でショックを受け、胸に重いなにかを押し込まれたようになる。

「こんなこと、俺らが小太郎にできるか? 自分のレースタイムのために知らない土地に連れ出して、勝手に放って置き去りにして。早く帰って来いよ、じゃぁな。なんてさ」

急にスイッチが入り怒りだすパートナー。

「けっきょくは、自分たちのエゴや賞金のために大切にしていただけなんだな……」

怒りを通り越したのか、呆れたようにつぶく声を横に聞きながら、私はといえば、動物虐待にならないことが理解できなくてさらに調べていた。

なんと、レース鳩の歴史は古く、世界的にも公認されていた。そんな世界が普通に存在していることに、またしてもショックを受けた。


いつもとは違い、静まり返った夕食。
思い思いに考えを巡らせていたのは言うまでもない。

と、突如……

「愛情なんかじゃない、ただの愛着だ!」

「俺たちの小太郎に対する想いは愛情だけど、レース鳩やってるやつらは自分の思いだけだ。だから、ただの愛着なんだよ。モノに対する愛着と一緒だ。生き物だなんて思っていやしない。何羽か放って、帰ってこなけりゃそれで終わり。むしろ愛着すらないのかもしれないな……」


「愛情」と「愛着」か……

たしかに、同じようでいてまるで違う。愛情には相手を想う心がある。一方の愛着は、偏った自分だけの思い。いままで言葉としてその2つを知っていても、掘り下げて考えたことは一度もなかった。

レース鳩の死を通して「愛情」と「愛着」について深く考えさせられた夜だった。翌日、パートナーと一緒に、庭の片隅に鳩のお墓を作った。季節はまだ1月で、花の乏しい季節だったけれど、庭中の花を寄せ集めて天国へと見送った。


__________________

それは、後日ホームセンターで植物を見ていたときのこと。
足元でなにか影が動いた気がした。回り込んできょろきょろ確認すると、そこにはレース鳩がいた。足のリングですぐにわかった。

以前なら「あ、鳩だ」だけで終わっていたはず。

しかし、あの一件があってから、私は鳩を見る目が変わった。

(どこから飛んできたの? お腹は空いていない? 家に帰れるといいね、でも……帰らずに野生の鳩と暮らした方が幸せかもよ)

鳩としばらくアイコンタクトをとってみる。
心なしか疲れているようにも見えた。植物を乗せている台の木陰で、少し休みたいらしい。

鳩にゆっくり休んでもらおうと思い、そっとその場を離れる。後ろ髪を引かれる思いだけれど、私にはどうすることもできないから。



いまでも、庭の片隅にある鳩のお墓を見ると思い出す。「愛情」と「愛着」について深く考えた夜のことを。

私やあなたが愛情と思っているもの、いたもの「それは果たして本当に愛情なのだろうか?」と。

今日もどこかで、飼い主の愛着を背負って飛び続けている鳩がいる。

鳩を見かけたら、やさしい眼差しを向けてあげて欲しいと思う。無垢な心で飛び続ける彼らに、ほんのひとときでも誰かの愛情が伝わったら、その鳩は幸せだと思うから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?