いさ

クリスチャンです。思索、黙想、研究してます。どの記事も、聖書がベースです。

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クリスチャンです。思索、黙想、研究してます。どの記事も、聖書がベースです。

最近の記事

黙想②「安息に入る」

マルコの福音書を通読した。この書は、いくつか大きなテーマが流れながら、話が進んでいく。「救い主」「王」「種」「富」「食卓」そして、「安息」。まだまだ色々あるが、僕にとって、これらのテーマが浮いて見えた。本記事は「安息」について書いていく。 なぜ、「安息」について書くのかといえば、今まさに僕自身が神様から安息を学ぶように命じられているからだ。 お金と病僕は、去年の年末に、コロナの後遺症で倒れていた。インフルエンザのような症状が続き、何ヶ月も仕事へ行けなかった。結局、仕事を辞

    • 思索②「前提」

      最近、ある人と話をしたときの言葉が離れない。 「前提から話さないといけないと、途中で気持ちが折れて、話すのを諦めてしまう。」 ※本記事は考えたことをつらつらと書く備忘録です。まとまった記事でもなく、何かの研究でもなく、メッセージ性もなければ、誰かに宛てたものでもありません。遠くの誰かを評価しているような語り口調になっており不快な気持ちにさせたら申し訳ありません。予め、お伝えしておきます。 彼は続けて言う。 「同じような状況にいる人なら、言わなくてもわかる“当たり前”があ

      • 思索①「ワンドット思考」

        「私が間違ってる」 「あの人が悪い」 「私が正しい」 「あの人が正しい」 この真なのか偽なのか、のどちらかしか答えが出せない考え方のことを、僕は「ワンドット思考」と呼ぶことにした。 ※本記事は考えたことをつらつらと書く備忘録です。まとまった記事でもなく、何かの研究でもなく、メッセージ性もなければ、誰かに宛てたものでもありません。遠くの誰かを評価しているような語り口調になっており不快な気持ちにさせたら申し訳ありません。予め、お伝えしておきます。 ドットとは、一時期流行って

        • 黙想①「不幸を喜ぶ」

          ムカつく人の不幸を喜ぶことを日常にしてしまうことがある。自分を否定した(と思えた)人、敵意を持ってくる(と思えた)人、意見が合わない人。そういう人が悪く言われてたり、罰せられてたり、不幸に陥っていたときに「ざあまみろ」と内心では思う。 だけど、それは心の中だけの話。表向きには「大丈夫?」「何かあったら相談してね」「祈ってるからね」と、まるで良い人を演じることさえある。 口と心が分かれている。これは、多分、一番重たい罪なんじゃないかと思う。 実は、そんな思いが心の奥底に隠

        黙想②「安息に入る」

          携挙研究②『方法』

          研究する際に、どんな方法で調べ、まとめていくかの方法がとても大切だと思います。 というのも、①『動機』でも書いたように、携挙神学(ディスペンセーション主義)の神学枠組みの根拠を示すための部分的な聖句引用ですと、その聖句が本当に患難前携挙のことを示しているかどうかがわからないからです。 なので、まず第一条件は「聖書が何を意図しているのか」です。文脈を必ず確認し、全体的に見て、その聖句が意図していることを読み取ります。 と、ここまではよほど問題なく納得できると思うのですが、

          携挙研究②『方法』

          携挙研究①『動機』

          はじめに、僕がなぜ携挙を信じたのか、またなぜ研究をするのかをお伝えします。 なぜ携挙を信じるのか携挙を信じるに至った大きな流れをかきます。 ①青年時代(教会の教え)②つまずき時代(自分で考える)③現在(夢を見る) 青年時代(教会の教え) 僕の教会では携挙について語られてきました。いわゆるディスペンセーション主義に立ち、キリストは花嫁なる教会をある日、ある瞬間に、天に引き上げるというものです。それは瞬きよりも早く、突然やってくるもの。僕らに罪があったら、取り残されると教え

          携挙研究①『動機』