あの日の公園
帰り道。公園の近くを通ったら猫が飛び出してきた。何を隠そう猫が大好きな私は直ぐに追いかけた。いつもであれば逃げてしまうけれど、その子は鳴きながら近付いてきてくれた。耳がカットされていたから地域猫なのだろう。とりあえず15分位は撫で回してあげた。スーツに毛が付くけれど、そんなことは関係ない。目の前の可愛さに比べたら。横を通り過ぎていく歩行者の目が少し気になるけれど。
小学生の頃ここで暮らしてたら毎日行ってたなって思う公園が沢山ある。実際今暮らしているアパートの近くにも大きめの公園がある。そこも恐らく毎日遊んでいただろう。遊具があって、野球とかが出来そうな広めの広場があって、ちょっとした高台があって。子供心を擽るようなものが沢山ある。
実際、私自身も小学生の頃は学校終わりに毎日のように公園に行っていた。帰りの会が終わったらみんな誘って、家にランドセルを放り投げて自転車に飛び乗る。友達に自転車で追いついて話しながらその子の家に行く。そして、一緒に公園に行く。いつも遊んでいた公園には遊具があった。ブランコは随分前に撤去されてしまっていたけれど、3階建ての遊具。今思えば老朽化も進んでいたし、かなり危ないものだった。でも、小学生なんて危なければ危ないほど楽しい。鬼ごっこやらかくれんぼやらポコペンやら、とにかく出来ることはなんでもやった。そして暗くなって家に帰る。またあしたなんて言い合いながら、それぞれの家に散っていく。
そんな行きつけの公園の遊具が変わったのは中学生になってからだった。当然のように公園なんか行かなくなり、友達と遊ぶのもゲームが中心になっていった。久しぶりに公園のそばを通ったら随分と安全に配慮された、ものすごくつまらない遊具に変わっていた。もちろん安全であればあるほど良いのだけれど、たくさん怪我をした私達からしたらぬる過ぎる。かつての姿は見る影もなく。夢の跡と言った感じ。
私はブランコ大好き少年だった。今でもブランコは楽しくて好きだ。流石に怪しすぎるから乗れないけれど。ブランコのある公園を探しに、遠くまで自転車を漕いだこともあった。ブランコをするためだけに通っていた公園も、もう無くなってしまった。駅前の開発か何かで駐車場に変わった。うさぎのバネの遊具もそこにあったのだけれど、無くなってしまった。
かつて多くの時間を費やした公園が、無くなっていく。昔はもっと楽しかったと、老害じみたことを語ってしまったけれど、思い出が無くなるのは寂しいことだ。昨今では子供が遊ぶ声が煩いと言われる始末。悲しい世の中になってしまっているらしい。
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