自動車教習所
本日、自動車教習所を卒業。つまり、卒業検定に合格。仮免許は何の問題もなくすいすいと進んだのだけれども、本免許の方向変換と縦列駐車が出来なくて、相当焦ったし、不安だった。まあ、受かったんだからいいんだけど。
帰宅後、学科の勉強しようと思って、パソコンを開き、何の気なしに教習所の個人ページ(ここで技能の予約ができる)を開こうと思ったら、開かなかった。あれ、パスワード間違ったのかなと思って、もう一回パスワードを打ち込んでも、開かなくて、あー、私はもう教習所にとっては関係のない人間になったんだなって思った。確かに教習所に通うのはだるかったし、嫌だなと思いながら通っていたのは紛れもない事実だけれども、それと同時に二か月間毎日のように通っていたのだから何とも言えない愛着がある。だけれども、教習所にとって私はもう関係のない、過去の人だ。教官は一日に何人もの教習生を見るのだから、生徒一人ひとりなんてそこまで見ていないなんてことはわかりきっているけれども、未だに教習生という集合体の一部に数えられていると思っていた私に私のパソコンのスクリーンは無慈悲にも現実を突きつけてきたのだった。
いつも思う。私にとってはオンリーワンの人でも、その人から見ると、私は何人もの人間のうちの一人なんだなと。いつだってそうだ。高校三年のとき、私のクラスの担任をしてくださった先生は、一人だけれども、その先生は何人もの高校三年生の担任で、今は高校一年生の担任をなさっている。私にS字クランクのやり方を教えてくれた教官は一人だけれども、その教官は何人もの生徒にS字クランクを教えているだろう。私は川に流れる水の分子のような存在で、先生、教官は水の流れに逆らって立ち続ける小石のような存在である。水の分子にとっては、上流から下流に下っていく中で一回だけ出会う小石だけれども、その小石は何回も何回も水の分子に出会う。私は水の一分子として、出会った小石のことは忘れないけれども、小石は水の分子のことなんかすぐに忘れると思う、だって、見分けがつかないから。
ここ数年、ずーっと水の分子の私は、いつか小石になりたいと思うけれども、それはいつになるのだろうとずーっと考えている。
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