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配慮してほしいんだって

授業というものは発言によって成り立つ。知識を入れるのは予習の段階であって、それはクラス全体で行うことではない。わからないことがあったら聞けばいい。これが私の取っている授業の暗黙の了解のようなものだ。

「口を開かなければ授業に参加したことにはならない。もしあなたが休んだときに周りが困ったら、それだけあなたは授業に貢献していたということだ。」とコース開始時に私たちに先生は言った。

生徒をヨーロッパ系とアジア系で分けるのは些か雑で、且つ、浅はかだと思うけれどもヨーロッパ系とアジア系で分けようと思う。

ヨーロッパ系は良く発言する。言い換えると授業に貢献する。アジア系は口を開かない割合が高い。私は一つの授業で最低一回は口を開くようにしている。私はこの状況に別段不満を感じていなかったし、発言してくれるヨーロッパ系をありがたく感じていた。授業が進むから。すげーなと思いつつ、彼らの発言をカリカリとノートにとっている。

他の授業で、ヨーロッパの近代史と政治の授業を取っているアジア系の生徒3人と話す機会があった。

ヨーロッパ系話すよね。
知識量すごい。
あの子とあの子とあの子がいつも話す。
ああ、スーパーマンみたいな速さで挙手する子ね。
あの子出身どこなの?すっごい早口だよね。
ギリシャらしい。イギリスとのハーフだって。
そりゃ英語できるか。
ここにいる意味ないだろ、早く学部に行け。
いいよ、もう院で。
いつも発言してくれてサンキューって思ってる。

これで会話が終わるはずだった。そのときに一人の女の子が言った。「ヨーロッパ系が発言するの嫌だ。」と。

え、なんでと周りは反応する。彼女は言った。「確かに、私達アジア系はヨーロッパの歴史とか政治に関する知識は少ない。でも発言したいから考える時間が欲しい。なのにヨーロッパ系がすぐに発言するから考える時間がない。ヨーロッパ系も発言を慎むという配慮があってもいいのでは。それも一つの貢献の形だと思う。」と。

なるほどなと思うと同時に、なんかなとも思った。

知識。私たちにアジア史や日本史の知識があるように、ヨーロッパ系にヨーロッパの近代史や政治の知識があることは当たり前だと思う。そもそもコース開始前に、ヨーロッパの近代史の知識がない人はこの本を読むといいよという推薦図書までホームページに掲載されていた。知識がないのは多分自分たちのせい。
考える時間。発言の前にグループで話し合う時間はあるよねと思った。考えてから授業に来ればいい。
「それ担当の先生に話したことあるの?」と別の子が聞いた。「ないよ。でも、先生だってわかってるでしょ。なのに何にもしないんだもん。ちょっとはアジア系にも配慮が欲しい。」と彼女は答えた。

あの場で私は彼女の発言に対して何も言わなかったけれども、もし何か言うとしたら、私は何を言ったのだろう。


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