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町田そのこ・ぎょらん

死んだ人の想いを知りたいか。死人に口なしというが、死人が最後に思ったこと、願ったことを知りたいか。死んだ友人が、同僚が、父親の愛人が、母親が、自分のことをどう思っていたかを知りたいか。知りたいのだろう。残された者は大概不安で、悲しみの中、故人を荼毘に付すのだから。

本のあらすじを読んだとき、死んだ人の思いに関する話だと知り、辻村深月のツナグと同じ部類だなと感じた。ツナグでは使者が遺族と死人を繋げ、両者の対話の中で死者が遺族に自分の想いを伝えていくのに対して、ぎょらんは遺族が一方的に死者の想いを受け取る。それが本当に死者の想いなのかを知らずに。

死者の最後の願い、想いは、全部が全部美しく、涙を誘うものではないらしい。憎悪と復讐の願い、想いがぎょらんに込められていることも稀ではない。その願い、想いをぎょらんを通じて受け取った者は、精神的に苦しむ。友人が死んだのは自分のせいだ、自分があのときああすれば、友人は死ななかったのだ、と。残された者は後悔の念に苛まされ続けるのである。残された人間は、ぎょらんに込められている想いは死者の最後の想いであると信じ込んでしまうのである。それが本当に死者によって作られたものなのかもどうかも知らずに。

人は思いもよらぬことを考えているものである。想像もしなかった想いを相手に抱いているのである。それが良い想いか否かを別として。その想いが伝わるかというと、それは難しいものだ。人間だれしも他人にはうち明かすことができない想いというものがある。それは、心の奥底の一番やわらかい部分にそっと置いてある。人間はたまにそれを取り出して、心の中で反芻して、怒り、苦しみ、喜び、笑い、泣いてから、何事もなかったかのように元あった場所に安置し直すのだろう。それでいいんだと思う。なんでもかんでも他人と共有するものでもない。でも、なんでもかんでも自分の心のうちにしまい込むものでもない。そう思った本だった。

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