見出し画像

隣の芝は青い

私の隣の芝は青い。いつも青い。

第一志望の高校に入学したけど、所謂キラキラした高校生活を送っている子がうらやましかった。はたから見てキラキラしているという意味で。
自分もUCLに受かったのに、アメリカの名門大学に受かる子がうらやましい。一年目からGPA獲得競争に参入できるだけの能力がある意味で。
自分の意志で文系の人間になったけど、理系の子がうらやましい。就職先が盛りだくさんという意味で。
大人がうらやましい。自分で生計を立てて、自分の足で社会の中にしっかりと立って、確固とした生活を送ることができるという意味で。

他人の芝生はいつも目のくらむような青さで、自分の芝を見ると、いつも手入れをしているはずなのに、なんか枯れて、茶色くなっている。私の目から見ると。

前に、高校の友達に言われたことがある。「いいね、お前に人生、順調で。勝ち組じゃん。」学年有数の頭脳の持ち主で、旧帝大に進学した彼の芝生は私から見たら青かったけど、彼からしたら、私がいる芝生のほうが青かったのかもしれない。本気だったのかどうかは知らないけれども、「日本出ていきて~。」、「人の金で留学してみて~」とはよく言っていたのを覚えている。結論、他人の芝生は青い。

世襲制が崩れて、自分が何者かに自分自身の力でならなくてはいけない時代になった。言い換えると武士とか、貴族とか生まれだけで行けていける時代から、自分がプログラマーとか、歌手とか自分が生きていくために、何かを自分で「する」ことが必要な時代になった。優劣の尺度が多様化して、選択肢が多すぎるからこそ、自分が自分であるための絶対的な何かがないと足元が不安定になった。確固とした自分がないから、一見、自分で自分を築き上げていそうな他人を見て、不安になる。劣等感を感じるようになる。家庭環境とか、経済的要因とか色々あるにせよ、多分これが青い芝のからくりだと思う。

これが分かっていても、私は一生、他人の青い芝を見ながら生きていくだろうし、他人も私の青い芝を見ながら私の人生と交差していくんだろうな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?