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【伊良部一郎】17年ぶりのいらっしゃーい【テトラロジー】

5/11、奥田英朗の最新刊「コメンテーター」が発売された。今も根強い人気を持つ精神科医・伊良部シリーズの第四弾で、第三弾の「町長選挙」からはおよそ17年ぶりとなる新刊だ。
 
ファンからは長らく続編が待ち望まれて、文藝春秋の編集部からも幾多の催促とせっつきがあったそうだが、奥田先生は様々な著作の中で「(伊良部シリーズの続編は)もう書かない」という匂わせを度々行なっており、完全に消息が絶ったと思われていた。
 
しかし昨年の「オール讀物」で新作の伊良部シリーズを連載開始。そのまま今回、単行本化する運びとなった。
 
あれだけ続編執筆をゴネていた奥田先生にどんな変化が起きたのか。
 
とにもかくにも、まずは新刊を手に取り早速読んでみた。そしてせっかくの機会なので過去の三作にも触れて、これまでなぜ続編執筆を断っていたのか、そしてなぜ執筆する決断に至ったのか、その裏側を考察していこうと思う。

名医の誕生

奥田先生はかつて自身が患者だった。
 
このシリーズの主人公・伊良部一郎はその昔、奥田先生自身が精神科に通った際に出会った医者をモデルにしたのだという。奥田先生を診察したその医者は底抜けに明るい人で、そしてだいぶふくよかな体型をしていたらしい。
 
奥田先生は小説家になる前、広告業界を中心にコピーライターやプランナーとしてマルチな活躍を見せる一方で、突如として他人と一緒に仕事ができなくなる、という精神疾患を患った。突然、人に会うことができなくなり、予定していた企画会議を欠席する、という事態が続けざまに起こったという。
 
奥田先生の小説家転身時の年齢が30代前半。小説家になったキッカケが「他にできる仕事がなかったから」と言っていたが、おそらく通院していたのは上記の広告業界での仕事に精神的な限界を迎えたこの時期のことだろう。主人公・伊良部のモデルとなった精神科医との出会いは小説家になる直前の、広告業界での仕事に別れを告げた時期のことだと予想する。
 
そのため、小説家・奥田と精神科医・伊良部はほぼ同じタイミングで産声を上げたのかもしれない。

イン・ザ・プール

こうして誕生した精神科医・伊良部はまずは市井の人たちを診察していく。水泳がやめられなくなった会社員、性器の隆起がおさまらなくなったバツイチ独身男、自意識過剰な接客業者、陰キャ学生、そして外出中の自宅の様子が気になって仕方なくなるフリーター。
 
表向きは平凡な生活を送りながらもふとしたことがキッカケで精神的な疾患から逃れられない人たちを伊良部は通常とは異なるアプローチで患者たちと対峙していく。
 
このあたりの患者たちのモデルとなったのはおそらく奥田先生の身近にいた人たちだったのだろう。どこにでも普通にいそうな人たちだ。特に自意識過剰な接客業者なんかは奥田先生自身、イベントの仕事を開催するたびにこの手の人間ばかりを見てきたのだろうから。
 
診察に訪れた患者はみな頭のおかしい人たちだけど、それを診察する医者はもっと頭のおかしい人だった。
 
上手な例えができないが、この毒を持って毒を制するような、この伊良部の治療スタイルは不思議と患者の精神的疾患をきちんと治すことに成功する。この作風が読者にもウケてかなり好評だったのだろう。すぐさま続編が決まり、シリーズ化へ。そして精神科医・伊良部は次作で歴史的偉業を成し遂げる。

空中ブランコ

この第二弾で奥田先生は直木賞を受賞する。しかし間が悪いことに、受賞前にアテネ五輪取材の仕事が先に決まっており、奥田先生は晴れ舞台である直木賞授賞式を欠席することとなった。
 
奥田先生自身に何の落ち度もないけれど、日本文学界で最大の栄誉とされる直木賞の授賞式に出なかったのはなかなかなもので、精神科医・伊良部の治療スタイルと同様に小説家・奥田先生もぶっ飛んだ作家だということを世間にアピールできた。
 
この「空中ブランコ」では前作「イン・ザ・プール」とは異なり、患者はより希少性の高い職業を持った人たちが集まった。組織的な団結力の弱まりを憂うサーカス団員、突起物を怖がるヤクザ、抑圧的な人生に疲れ果てた精神科医、イップスに陥ったプロ野球選手、自分の進みたい方向と周囲の求めのギャップに苦しむ小説家。
 
前作よりも登場人物が公人化した。そして患者の症状は相変わらず千差万別だが、今回の患者はより孤独化した。プライベートの付き合いが希薄になった時代変化にサーカス団員は苦悩し、噂話のネタの的だった学部長が自分の義父になったことで周囲がよそよそしくなった精神科医、そして周囲に弱みを見せた瞬間に職を失う野球選手、小説家、ヤクザ。特に小説家の回で出てきた「傑作の出来だと手ごたえのあった作品が売れなかった」トラウマの件は奥田先生の心の叫びだと思えてならない。
 
よりプロフェッショナルな職業を持つ人たちが患者として出てきたこの回は、直木賞受賞作品の名に恥じないほどの人気を博し、より多くの読者に支持された。そしてその人気が不動のものになり、伊良部シリーズは作家・奥田英雄と等号で結ばれるほどの認知を受けることとなった。
 
今思えば、奥田先生にとってこれが苦悩の始まりだったのかもしれない。

町長選挙

わかりやすいほどのSOSのシグナルを送っていた。
 
表題作となった町長選挙こそ一般人が患者だったが、他3人の患者はモデルとなった人物がもろに特定できるわかりやすいストーリーとなった。
 
これは評価が割れた。小生はたまにはこういう変化球があってもいいかなとは思ったけれど、過去2作と比較したら正直、拍子抜けを食らった気分だった。
 
いったいどんな流れで実在の人物を伊良部に診察させることになったのか。
 
編集部による提案なのか、奥田先生本人による企画なのか。おそらく後者だと思う。
 
渡辺恒雄と堀江貴文をチョイスしたキッカケは世間を賑わせていた球界再建問題だろうし、黒木瞳が空前のブームになっていたのもちょうどその頃。患者のモデルとなった人物たちが世間でクローズアップされたのが2004年前後に集中しているのだ。
 
この考察から考えられる仮説は、第三弾を書くにあたって、もう奥田先生の頭の中で伊良部に診察してもらう患者リストのストックがほとんど残っていなかった。だから(読者のニーズを満たせるものは)書けない。でも編集部は人気の伊良部シリーズで金儲けしたい。そういった状況に置かれた奥田先生は時事ネタという苦し紛れのネタ探しを始めることになった。おそらくそれは町長選挙の連載を始めたであろう2004年だったことからも推測できる。
 
ネタが浮かばない中、やっとの思いで書ききった。だけど読者の評判は「空中ブランコ」よりも低かった。この事実に奥田先生は大きく打ちひしがれたことだろう。その後もヒット作をバンバン連発していくが、伊良部シリーズからは距離を置くこととなった。

17年間の空白

登場人物が自らの意思で勝手に動いてくれる。 

以前のインタビューで自身の小説執筆のスタイルについて奥田先生は上記のように語っていた。だからプロットを立てない、と。あくまで意思を持った人物による自然発生的な言動に物語の生成を委ねている。
 
そのようなスタイルでこれまで幾多の大傑作を生みだしてきた。
 
例えば1960sの落合昌夫シリーズ。「オリンピックの身代金」や「罪の轍」では重要参考人が躍動。それに振り回される刑事たち、という構図がノンストップで読者たちにページをめくらせた。

キーマンが勝手に動き出せば、自ずと傑作が誕生する。

逆に言えば、動いてくれなければ物語が進んでくれない。おそらく奥田先生の中で患者や伊良部が全く動かなかった。だから伊良部シリーズの執筆は滞っていたのではないか。だから17年もの空白ができてしまったのではないか。

遅筆家を自称しながらも、なんだかんだ作品を完成させてきた奥田先生が17年も手をつけられなかった。伊良部シリーズ執筆のハードルの高さは我々の想像をはるかに超えていたのだろう。

コメンテーター

そして今作である。

表題作の「コメンテーター」は物語の主人公が患者じゃない、という斬新な切り口だったが、それ以外のフォーマットは過去3作を踏襲していた。そして登場人物はほとんど一般人だった。

「コメンテーター」と「パレード」はコロナ、「ラジオ体操第2」は江ノ島で撮り鉄を怒らせた自転車乗り、とかつて世間やSNSを賑わせた時事ネタが下敷きとなっているが、「ピアノ・レッスン」、「うっかり億万長者」の元ネタは不明。

さすがに17年もの月日があると、ネタのストックも貯まっただろうし、患者の設定には以前ほどの苦労はなかっただろう。そして何よりも伊良部の治療メソッドがいい。相変わらず破天荒だし、患者にアルバイトやらせてそれをピンハネ、という医師免許剥奪レベルのことを平然とやってるのだが、屁理屈が上手いからどれも有効な治療方法に見えてしまう。

長い時間が経過した。それまでに様々な作品を書いた。それがたくさんの引き出しとなり、伊良部シリーズの続編を描ける状況になった。今作が世に出たのはそういった流れがあったからではないだろうか。

答え合わせ

上記ではウダウダ自論を述べたけれど、出版元の公式で本人がしっかりその理由を答えてくれていた。

〈伊良部シリーズ〉はもうやめようと、封印したつもりでした。

ヒット作は一度捨てたほうがいいという考え方なんです。ヒット作というのは諸刃の剣です。読者も出版社も続編を要求してくるけれど、それに応えていると自己模倣と縮小再生産が始まる。

気持ちが変わったのは『オール讀物』の周年企画だから書いてほしいと言われたのがきっかけです。
僕は自分の作品はめったに読み返さないんだけれど、恐る恐る読んだら、これやっぱり面白いな、じゃあもう1冊くらいやってもいいかな、と思いました。

久々に書いてみたら、伊良部とか看護師のマユミちゃんとか、昔の友人に会ったみたいでしたね。書くのが難しいとか苦労はなく、すぐ当時の感覚に戻れて、書いていて楽しかったです

全く見当違いのことを言っているではないか!笑

ネタが切れたわけでなく、伊良部シリーズに縛られたくなかっただけか。なるほど。

思えば伊良部シリーズは奥田先生の作家活動開始の間もなくに発表された作品で、伊良部シリーズだけにリソースを集中投下するリスクは確かにあったかもしれない。それでも17年も寝かしたのは、本当に書きたくなかっただけでないかと思ってしまうのだが。笑

でも今作で、令和の時代も伊良部が元気にやってる姿を見れてよかった。以前、何かのインタビューで奥田先生は三億円事件(1960sの落合昌夫シリーズ?)をモデルとした昭和が舞台の小説を構想中と言っていた。おそらく次回作はそれになるのだろう(超楽しみ)が、伊良部シリーズは今作が真の意味で最終回となるのだろうか。

大事なことが上記インタビューの最後に書かれてあった。

マンネリ化とか縮小再生産の恐れは、いまはもうなくなりました。
〈伊良部シリーズ〉も、もう1冊くらい書いてもいいかな。

おー!更なる続編執筆をやる気になってくれてる。そうなると断然期待してしまう。

次は宮内庁のお願いで小室圭さんを診察するためにニューヨークへ診察出張する伊良部が見られるかもしれない(もろに公人をモデルにした作品は拍子抜けする、と言っておきながら!)。

マユミちゃんにはブラック・ヴァンパイアの海外ライブという名目で是非ともカーネギーホールで暴れてもらいたい。


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