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賢者の塔

無教養で生きてきました。

そもそもつまり「教養」ってのが何なのかすらはっきりよくわかりません。なのでググッてウィキりました。

知識、学問、芸術、精神、人格、教育、文化的活動、リベラルアーツ、、、

なるほど「脳内パラメータオールMAX」て事か!…ってそんなの、なれる訳ないじゃん…。でも事実として、いつの世にも教養高い賢者が出現します。賢い人まじ羨ましい。


僕は仕事で色んなものの絵を描きます。そしてそれには資料が必要です。理解できないものは描けないからです。モチーフとなる人物、衣装や道具や建築、動植物や自然現象。そしてそれらが何なのかを理解するには、その背景となる時代や文化、経緯、時には科学にまで及ぶ知識も必要になってきます。

で、その度にググる訳です。ウィキ&イメ検です。かつて絵描きの先輩方はこの情報を得るのに、書店を駆けずり回り、高額の資料本を探し出して、経費で落とす交渉をしたという伝説がありますが、僕らはいい時代に生まれたものです。グーグルイズマイプロフェッサー。そしてウィキのリンクが面白くて止まらなくなり、実作業時間が削られるという無教養ぶりです。


イギリスなんかに住んでると、誰もが常識として持っている知識も変わるので、一般教養も学び直しです。人種や歴史文化、日々の習慣、政治からサブカルに至るまで、すべて日本の一般常識とは違います。ついでに多民族都市ならでは、諸各国の基本情報や関係性もある程度わかってないと、例えば日本と韓国を混同しながらベトナム人に話しちゃうみたいな、ちょいちょい気まずい状況に陥ります。まあでも基本的には「新しい知識を得る」というのは快感だし、毎日飽きなくていい感じです。


そんな無教養な僕でも、いい歳になればさすがになんとなくはわかってきます。「ああ、こういう人がきっと教養の高い人なんだな」という人に出会ったりします。誰だったか現世の賢者様が言ってました。「あなたが読んだ本、得た知識はあなたの足元に積み上がっていくのだ」と。それはいずれ高く高く積み上がり、気付けばあなたは知識の塔の上で眺望を手に入れているのだと。言われてみればゲームとかでも賢者様は塔の上にいがちです。

物を知らない人は、毎日を霧の中で生きているようなものです。右だか左だかもよくわからない中で、見える範囲をただなんとなく感覚で生きています。時折霧の中にぼんやりとした影が現れて、恐れ慄いたりパニクったりします。

でも知識を得ると、周りの色んなものにかかっていたモヤが晴れて、世界の輪郭がクリアに見えてきます。物事同士の繋がりや道理も見えてきます。目の前に現れたものを不必要に恐れる事もなくなります。

塔の上では霧もすっかり晴れ、視野も広々、さぞや気分もいいことでしょう。足元のボヤ騒ぎに惑わされる事もなく、遠くから迫ってくる雷雲に気付き備える事ができます。塔の下にいる人達からすれば、それは殆ど預言者か何かのように見える訳です。


賢者様は言います。君に教養を授ける初級魔法を教えてあげよう。君の頭の中に少しでも「?」が浮かんだ瞬間、この古の呪文を唱えるのだ。

ググレカス」✨✨

いつの日か賢者の塔の上でまた会おう。そして遠くの雷雲について語り合おうと。


xx



いつの世も、アーティストという職業はファンやパトロンのサポートがなければ食っていけない茨道〜✨