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おべんとうが人生を回す

最近、夫の仕事が忙しすぎる。

朝は5時に起きて出ていき、夜は終電間近に帰ってくる。
家族第一で息子にメロメロ、休日だけは死守したいはずの夫がついに、先週末は土曜日出勤、日曜も家でパソコンを開いていた。

働きづめの夫を見ていると、「過労死」などという言葉が頭をよぎる。直接的でも間接的でも、そんなことは許せない。
せめてご飯だけはしっかり食べてよ、という話をしていて、はたと思った。お弁当を復活させよう、と。


大学生の頃、友人にひとり、いつもお弁当を自分で作ってくる子がいた。

岩手県出身の、背がすらっと高くて色白で小顔の、すごく綺麗な女の子。淡いたまご色の、かわいいけれど量もしっかりと入るお弁当箱には、卵焼きやトマトやお肉が、いつも彩りよく詰められていた。

「大変じゃない?」
他の友人に聞かれても、彼女はいつものおっとりとした口調で、「慣れれば全然大変じゃないよー」と言って笑っていた。

私はそのやりとりを、隣でぼんやりと眺めていた。
多分みんなは、私が彼女と同じお弁当箱を持っていることすら知らなかったと思う。それはまだ入学して間もなかった頃、彼女と私が一緒に国分寺のアフターヌーンティーリビングで買ったものだった。

毎日きちんとお弁当を用意してくる彼女に対し、私は結局、片手で足りるくらいしかそのお弁当箱を使わなかった。
はじめての一人暮らしに浮かれ、自堕落なまでに羽を伸ばし切ってしまった私には、毎日きちんと早めに起きて、自分のためにお弁当を作ってくる彼女が、別世界の人のように思えていた。

結局そのお弁当箱は、何回かの引っ越しの中で、私の荷物からいつの間にか脱落していってしまった。


月日は流れて。
27歳で転職し、再びひとり暮らしを始めたとき、私には大きな気がかりがあった。
全く貯金がなかったのだ。それこそ、その月のクレジットカードの引き落としにヒヤヒヤして、あれこれと気を巡らせてしまうくらいに。

貯金が全くない27歳は、たぶんさすがに、非常にまずい。

とにかくまずは100万円を貯めようと思った。一番出費を抑えられるのは昼食代だ。「慣れれば全然大変じゃないよー」と笑っていた、18歳の彼女が目に浮かんだ。
会社からの帰り道、私は再びアフターヌーンティーリビングに向かった。あのたまご色のお弁当箱はなかったけれど、明るい花柄のお弁当箱を手に入れた。次こそは無駄にしないぞと、出陣前のように昂りながら家に帰った。


いざお弁当づくりを始めてみると、これが本当になんてことなかった。

週末におかずを作り、シリコンの小分け容器に冷凍しておく。朝は卵焼きだけは焼いて、おかずと冷凍食品を詰めるだけ。慣れれば15分も掛からなかった。

なんてこともないのに、お弁当生活はいいことが多かった。

まず、会社のレンジでお弁当を温めていると、男女問わずいろんな人から、「えらいね」「きちんとしてるね」「美味しそう」などと褒めてもらえる。これがまず嬉しい。おかげで続いたようなところもある。

「いい奥さんになるよ」「さらっと結婚しそう」とも言われた。ジェンダー的には色々問題があるかもしれないけれど、当時、とても結婚したくなっていた私には、それらの言葉はそのまま嬉しかった。

私はいい加減で気分屋で、行き当たりばったりで三日坊主で、ガハハと笑っていながら、そんな自分に自信がない。そんなセルフイメージだったのが、お弁当を作っているだけで「さらっと結婚しそうな、きちんとしたいい子」のように扱われたのだ。
職場でのそういうキャラ付けは少なからず、実際の自分の性格というか、佇まいに影響していったと思う。


そうやってお弁当を毎日作って、きちんと食べて、順調に貯金がたまっていったとき。私は自分の日々の生活が、なかなかいいような気がしてきた。

それはSNSで誰にでも見せてしまうような派手なものではなく、自分の中でだけしずかに持っていれば、それで一番満ち足りるような。

晴れた午後に、商店街の八百屋さんで会話する楽しさも、美味しいおかずが作れた時の嬉しさも、知っている自信。
「私と結婚したら、こんなに楽しいことがあるのになあ」と思える気持ち。

そういう感じで生き始めたとき、するんと婚活も進みだした。

それまでは婚活サイトを見たりしても、「どの人もよく見えるし、どの人ともやっていけなさそう」だと思っていたのに。
自分の生活が、ささやかにだけど確立されていったとき、自ずと、一緒にいられるなあと思う人が絞られて、運よく、その人にも「いいなあ」と思ってもらえたのだった。



夫のお弁当は、前日の夜に作り、冷蔵庫に入れておくことになった。

お弁当なんて久しぶりだ。妊娠して、寝ても覚めても眠さがとれず、それどころじゃなくなって以来。

前日の夜、布団で目を閉じても、ついつい段取りを考えてしまった。気合が入っているなあと、自分で自分を微笑ましく思う。

朝起きて、今夜はお弁当を作るのだと思うと、一日がいつもよりも活発になった。

朝から洗濯機を2回まわし、息子にたくさん絵本を読み、たくさん遊び、ふるさと納税でもらった虎の子の牛コマを解凍した。

ずっと頭の端に積み残していた保育園見学の予約をして、気になっていたテーブルの上を片付けた。

冷凍食品の買い出しに行き(夫はコーンクリームコロッケが好きだ)、玄米ご飯を仕掛け、息子のご飯とお風呂を済ませる。

これも冷凍庫に眠らせていた明太子を切り、ごぼうをささがきにして牛ごぼうに。

息子を寝かしつけ、簡単に自分の夕飯を済ませると次は、ほうれん草をオリーブオイルと塩で炒めた。

最後に、久しぶりに、お弁当用の卵を焼く。

お気に入りの銅の卵焼き器を熱すると、ほのかに甘い独特の匂いがした。おばあちゃんの家の台所の匂い。
卵液を流し入れると、一気にあかるい破裂音がして、プツプツと膨らんできた部分を端から菜箸でとんとんと割る。

お箸で手早く巻きながら、大人になったなあ、としみじみとした。
初めておばあちゃんから卵焼きを教わった頃は、大きな立派なヘラを使って、全身全霊で巻いていた。卵焼きを作るとき、私の脳裏にはいつもその光景がよみがえる。


お弁当箱に全部を詰めると、なんだかすごく嬉しくなった。
達成感と、「できた」という喜び。「できた」というのはいつでも嬉しい。
きっと一番にはこの喜びがあったから、せっせとお弁当を作っていたのだ。


洗い物を済ませてベットに入り、目を閉じた。
満足感ですぐに眠れるかと思いきや、頭が冴えて、他に積み残していることがどんどん頭に浮かんでくる。
NISAやiDecoも結局何も調べていないし、保育園の見学はもう少し行きたい。電動自転車も必要だし、家を買う話もしっかり考えないといけない。


ああ。お弁当をつくると、きっと、自分のしっかり者スイッチが入るのだ。
これからもたびたび、きっと、お弁当が私の人生を回してくれるだろう。


私の、長文になりがちな記事を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。よければ、またお待ちしています。