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心は癒やされていなかった。

父から結婚記念日お祝いメールの返信に、
「お互い健康に過ごして、会えたらと思っています」とメールが来た。普通なら大したことない言葉がプレッシャーになる。「会えたら」この言葉に反応してしまった。
毎回メールが届くとドキっとしてしまう。緊張してしまう。何を言われるのだろう?こちらのメールに対しての返信でも少し見るのがこわいと感じることがある。

私の父は完璧主義者。
父から「やったこと教わったことはできて当たり前」と言われて育ち、幼少期から殆ど褒めてもらった記憶がない。出来なかった、間違えた、分からなかったことがあると、
「なんで出来なかったんだ?」
「なんで間違えたんだ?」
「なんで分からないんだ?」
と言われてきた。
「なんで」と責められるばかり。
8割くらいできていても全て否定されているようだった。
100点のテストを見せたら褒めてもらえると思ったが褒めてはもらえなかった。
「すごいね、頑張ったね」という言葉が欲しかったのに、「100点のテストは見せなくていい、間違えたものを持ってこい」という言葉が返ってきた。できて当たり前だから見る必要がないのだ。

「どうしたら褒めてもらえるの?」
答えは見つからないまま時が過ぎ、後に完璧主義の私が形成された。

この完璧主義は社会人になってから私を苦しめた。父から言われた言葉「なんで間違えたんだ?なんで出来なかったんだ?なんで分からなかったんだ?」と自分を責めまくった。いつからか間違えること、出来なかったこと、分からないということは恥ずかしいことなのだと認識するようになっていた。
「私はちゃんとしている」と言える人間でいるために、認めてもらいたくて頑張り続けていたんだと思う。
2年半前、職場の状況がガラッと変わる事になり、「まだ頑張らなくちゃいけないの?このままでは心が壊れてしまう」と思い退職。
しばらくは何もせずゆっくり過ごすつもりだった。でも、父に何か言われるかもしれないという気持ちが出てきて、資格取得に励んだりオンラインで講座を受講していたが、結局ちゃんとしているアピールを頑張りすぎて休むことになった。また心が壊れそうになってしまった。

今回のメールでずっと抑えていた気持ちが出てきたみたい。
「申し訳ないけど、しばらく会いたくない。
きっと、何もしていない今の私は受け入れてくれないでしょ?認めてくれていないでしょ?認めてもらいたくて頑張りすぎていたことに気づいた。親を安心させるために動いたら自分のためじゃなくなってしまう。私は私のペースで動いていく。もう、しんどい思いはしたくない。」
父に言えないから母に思いをぶつけた。

涙が溢れてきて、たくさん泣いた。
本当にしんどかったんだと受け入れられた。今回のことで、精神的にラクになっていないことがはっきり分かった。

ヒーリングアートセラピーに出会ったのは必然だったのかもしれない。
体験会に参加してから、描きたいなと思ったら描いている。楽しいし面白いと思った。「アートを見てもらえたら嬉しいな。絵心なくてもこんなの描けたよ。」画像アップをして気づいた。自己承認欲求が強くなっている。出来上がったアートは私の気が済むまでアップしたいと思っている。

今回、初noteとなりました。ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。こんな私ですが、これからもどうぞ宜しくお願いします。

皆さまのスキやコメント、そして温かい気持ちに感謝。

1st_note1さんの画像を使わせていただきました。ありがとうございます🎶

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